安心と信頼の詐欺

 ルーツェと折り合いをつけた日の夜。

 もうすぐ深夜に差し掛かる頃、いつもなら部屋で就寝しているラグロスは階下に降りていた。


 裏路地にまで聞こえる槌の音。

 幸いこの辺りの住民は少ない。その少ない住民にはジエルが生活用品を提供していることもあって、文句を言う住民は居なかった。


「なんでそんな遅くまでやってんだ?」

「……ン? ラグロスカ、どうしたんダ? こんな遅くニ」

「眠れないだけだ」

「眠れない理由があるのカ」

「……」


 容易にラグロスの内心を見抜く友人に、彼は無言の肯定を示した。


「最近は相談も受けてなかったしナ。聞いてやるゾ?」

「酒を持ち出しながら言うセリフじゃねぇよ」


 微笑を浮かべたジエルが、背の高いテーブルに木製のジョッキとビール瓶を並べる。

 肴にする気満々な彼にラグロスが舌打ちを一つ。

 しかし、こんな悩みを打ち明けられるのもジエルぐらいだった。


 ラグロスも男だ。それなりのプライドがある。

 だが、ジエルに限って言えば探索者になりたての頃からの付き合いで、情けないところも散々晒している。今更見栄を張る相手ではない。


 ──張りたいという気持ちはあれど。


「……強くなりてぇ」

「オレが出来ることはやったゾ?」

「知ってる」


 ラグロスの装備は全てジエルが用意したものだ。

 特に彼の武器である大剣は質量を重視した特注品。


 大剣のような、さらに言えば質量を追求した武器はシーフィルではあまり売っていない。

 シーフィルの探索者はスキルで威力を出すのもあって、機動力のある軽い武器を好んでいるからだ。


 故に、ラグロスの武器はジエルに頼むほかなかった。


「俺だって戻りてぇよ。けど、足手まといにはなりたくねぇんだ。最悪、一人でも何とかなる強さが欲しい」

「そんなこト、他の探索者も考えてるサ。それが出来ないからパーティを組むんだロ?」

「でも、スキルがありゃ話は変わる」

「そうカ? 強い奴ほどスキルに頼りすぎはよくネェって聞いたゾ」

「それはスキルをやみくもに使うなって話だろ? 結局必要なのは変わんねぇよ」


 ラグロスも現段階で最高進度の下層の探索者がスキルだけに依存していないことは知っている。

 だが、下層にまでたどり着くような探索者は大抵切り札を持っていた。

 彼らが言いたいことはその切り札を雑に切ったりするなということだと彼は考えている。


 無論、少ないスキルでなんとか中層までこぎつけたラグロスにも切り札はある。

 ただ、それは諸刃の剣。


 単純明快な攻撃方法。体を破壊しつくし、ため込んだ力をぶつけるだけの自爆。

 不可避のハイリスクが確定する、当たるか分からないハイリターンの攻撃。


「ホー……」


 話を聞いたジエルがビールを注いだジョッキをテーブルに戻し、部屋の一角を漁り出す。

 ジエルの部屋は色んなものであふれかえっている。今は片付いているが、一時はラグロスが頻繁に掃除するほどだった。


 無理やり押し込んだのであろう、押し入れの中をまさぐるジエル。

 遠目でもぎゅうぎゅうに詰められているのが垣間見えた。


「そうだナー。こいつはどうダ?」

「……」


 ジエルが持ってきたのは小さな小瓶。コルクで線をされた瓶の中で透明な液体が揺れている。

 何の変哲もない水のようだ。


「こいつを呑んで戦えバ、体に染みる魔力が多くなるんだとヨ」


ラグロスが小瓶を光に透かし、しげしげと中を見る。

特に混ざりものもない透明な液体がゆらゆらと揺れている。まごうことなきただの水だ。


分かっていた結末。鼻で笑い飛ばしたラグロスは小瓶をジエルに突き返す。


「──はいはい、ただの水だろ」

「バレたカ。楽に──」

「儲けたいのに。だろ?」

「ハハハ、バレたカ」


 あからさまな詐欺を仕掛けて来たジエルにラグロスはため息を吐く。

 ジエルはもとよりこういう奴だった。


 楽して儲けたい。

 それが彼のモットー。真面目にやればもう少し良い店を持てるほどの鍛冶師なくせに、本気で作ることは滅多にない。


 数少ない彼の本気が今のラグロスの武器である鉄の大剣だ。

 ただの鉄ではなく、加工が難しい迷宮産の鉱物との合金製。防具ごと人を食らうキラーフィッシュの牙でも傷がつかない硬さと密度を持つ。


 その性能に見合う多額の支払いは、ジエルが楽に儲けるために意味の分からないものへ変えられている。

 儲けられたかどうかは、彼の小さな店が答えを示していた。


「でもヨ。魔力が染みれば強くなるのは本当だゾ?」

「それは知ってる」


 元は魔力である迷宮生物は倒されると魔力へ還る。

 魔力の一部は近くにいる生き物へ流れこむ。それは僅かな量だが、塵も積もれば山となる。

 長い間探索者を続けているラグロスの運動性能は常人の数倍はある。


 でなければ、鉄の塊を持って探索など出来やしない。


「あト、思い込みも大事だからナ。きっと意味はあると思うゾ」

「売る側がきっとなんて言葉使ってる時点で怪しいんだよ」


 出会ったことから変わらないジエルのスタンスにラグロスがある種の安心を覚える。


 ラグロスの攻撃力を軸に戦っていた風の踊り子。

 けれど、依存しては危険だと言うリットの言葉からラグロスが欠けた時の連携も生み出された。

 それは彼が居なくても十分に中層でやれるもので、ラグロスがここにいる意味を迷うには十分なものだった。


 そして、唯一ラグロスも居る風の踊り子に執着していたルーツェも変わった。

 変えさせたと言っても過言ではないが、そこに寂しさを覚えたのも本当だ。


 仲間たちが変わる中、ジエルの振る舞いに安心を覚えてしまう。

 そんな自分をラグロスは自己嫌悪していた。


「買い手が信用しテ、買った商品が買い手の求める効果を出せば詐欺じゃなイ」

「ははっ、屁理屈すぎるだろ」


 子供のように純粋に笑うラグロス。

 馬鹿らしい。その一言に尽きる。


 そうやって、馬鹿なりに現実を直視しなければ踊り子に居られただろう。

 だが、探索を繰り返せば繰り返すほど実感する限界。


 現実の直視が辛くなったラグロスには出来ない所業だった。


「在庫はあるかラ、欲しい時は言えヨ」

「ただでも要らねぇよ。……眠くなってきたから寝るわ」

「おウ。良い夢見ろヨ」

「そうだな、夢くらいは良いのを見る」


 それぐらいの権利があってもいい。

 投げやりに返答して、ラグロスが自分の部屋へ戻るため階段を上る。


 やるせない気持ちを吐き出せただけでも彼の気は楽になっていた。

 降りてくる時よりも足取りが軽い。


 しかし、意外なものを目にしてその場に縫い付けられた。


「……セレン?」


 ラグロスの視線の先、階段を上った先の窓辺に腰かけるセレンが居た。

 ここぐらいはとローブを脱いでいる少女の服装は相変わらず真っ白だ。

 横に作られた白のおさげと後ろの白翼も合わせ、彼女が純白の天使であることを彼に再認識させる。


「もしかして、聞いてたか?」


 槌の音もない。音を隔てる扉もない。耳をすませば階下の話し声を拾うことは十分に可能だ。


 ラグロスが尋ねると、腕を組んだまま窓辺に背中を預けている彼女が静かに頷く。

 うまい答えが思いつかないラグロスは気まずそうに茶髪の頭を掻いた。 


「……他言無用な」

「貴方、強さが欲しいの?」

「──」

 

 アリエルに心配をかけられるのも困るからと釘を刺すと、ずいぶんと直球な質問が飛んできた。


 しかし、遅れて納得する。

 少女との会話でセレンが力という言葉に反応することを知っていたのだから。


「……ああ、そうだよ。──胸張れるぐらいのな」

「ふぅん」


 顔を背け、ぶっきらぼうに言いながらもラグロスが胸の内に僅かな期待を抱いた。

 人ならざる存在なら、何かラグロスの知らない手法を持っているのではと。


 だが、魔石という十分以上の対価を貰っているラグロスがそれを言い出すことは出来ない。

 期待を持ちつつ、横目で天使の様子を窺う。


 窓から差し込む月光に照らされる少女の姿は卑怯なぐらいに綺麗だった。

 様子を窺っているだけなのに、気を抜けば顔ごと彼女に引きつけられない。


 ラグロスが誘惑に耐えていると、セレンが上体を逸らし、反動を使ってしなやかに窓辺から離れた。

 ラグロスへ妖艶な笑みを向け、


「──なら、夜更かしに付き合ってもらおうかしら」

「──」


 そう言った。

 横目に彼女の笑みを捉えたラグロスが、顔を背けるのも忘れて彼女の笑みに見惚れる。

 いつの間にか、背けていた顔は正面へ向けられて彼女の顔を見つめていた。


 これから始まるぶっ通しの講義も知らずに。

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