飛翔
セレンの全身を覆い隠しているローブの下。
ラグロスがはっきりと目にするのは初めてだった。
彼女と最初に出会った際、広げた翼でローブが捲りあがっていたのでシルエットは何となく見えていた。
しかし、それも夜闇の中では暗がりでまともに見えない。分かったのは細身なことぐらいだ。
加えて彼女はフードも深く被っている。太陽の下でその美貌を直視するのもまた初めてだった。
端正な顔の横で括られた白い髪が揺れている。
彼女の服装は元のローブの色でもある白を基調にしたものだった。
胸元に小さなリボンが付いた白のブラウス。何故か肩が露出していて、防御性はなさそうだ。
フリルが付いた白のスカート。白のニーソックスに白のミュール。
紫ローブの下で眠っていた白尽くしの彼女の服装だ。身に着けているものすべてが、ラグロスの素人目にも非常に質が良さそうに映っている。
そして、彼女の背には天使であることを再認識させる白い翼が生えている。
ローブのせいで気付かなかったが、正直探索者とは思えないほどの露出の多さに思わずラグロスが目を背けた。
あまり直視していいものではなかったのもそうだが、腑抜けた面を晒すのが嫌だったのも理由の一つだ。
「……どこ見てるのよ」
あからさまに視線を背けたラグロスの正面へセレンが回り込む。顔を覗き込んできた彼女は、不満げに頬を膨らませていた。
しかし、ラグロスが彼女に視線を戻すことはない。
今まで探索者活動に打ち込んできた彼にとって彼女の服装は少々刺激的だった。
「……そりゃ勿論川だろ。渡らなきゃなんねぇからな」
どこか言い訳染みた口調でラグロスが言う。確かに顔を逸らした先の方角は森を分断している大河を向いていた。
見惚れそうだ。などと、口が裂けても言えなかった。
「……そうね。じゃあ、さっさと渡りましょうか」
それなりに服に自信があったセレンはラグロスが何も言ってこないことに満足いかなかったが、彼の言うことも最もだと翼を広げた。
ばさりと音を立てて広げられた翼を見て、ラグロスは彼女がしようとしていることを察した。
「……おい、どうする気だよ」
「察しが悪いわね」
「バレたくないんだろ?」
「そうよ? だから早くするの」
言うや否やセレンがラグロスの背後に回り、がっしりと肩をホールドする。
細い手足のどこにそんな力があるのかと疑問に浮かぶが、背中──肩甲骨辺りに押し当てられ、強く主張している存在に思考を奪われたラグロスが身を固くする。
「ちょっと、飛びにくいから力は抜いてなさい」
「……おうよ」
人肌よりも不自然な柔らかさ。浮ついたことと無縁だったラグロスにとって暴力的でさえある。
そんな無茶なと口にしたいのをなんとか堪える。同時に、可能な限り力を抜くことに努めた。
彼の力が抜けるのを確認し、セレンが身をかがめ、上へと飛び出す。
「──ッ」
「っと」
一定の高度まであがると、セレンが何度か翼をはためかせながら滑空を始めた。
そんな彼女にホールドされているラグロスは何気に初めての経験に言葉を失っていた。
空に飛び上がる際に彼を襲った空気抵抗のせいで空を堪能する余裕はなかったが、それでも代えがたい経験であったことに違いない。
ごうごうと空気を切り裂く音を耳にしながら、彼は自身の茶髪がひどく波打つのを感じた。
滑空の速度はかなりのものだ。セレンがどうしているのかを気にする余裕は彼になく、背中の感触と襲い来る慣性に意識を奪われていた。
背中の誘惑と滑空の慣性と戦っていたせいか、ラグロスの体感的に飛行は一瞬だった。
事実、空に居た時間は一分にも満たない。
短い時間で済むからこそ、セレンが空を飛ぶことに踏み切っていた。
「着地は自分でなさい」
「……え──は?」
流石に人をホールドしたまま着地するのはセレンにも難しく、最悪死なない高度まで降りた彼女があっさりとラグロスを手放す。突然宙に放り出された彼は困惑の声を上げながら地面へ墜落。
なんとか四肢を着くことで殴打を免れる。
着地の衝撃はじんじんと響く痛みとなって彼へ跳ね返っているが、幸か不幸かそれくらいの痛みは慣れっこだった。
「……おい」
「天使に飛ばせてもらったのよ? 文句なんて言う権利があって?」
情けない着地を見せたラグロスとは対照的に、翼をはためせながら優雅に着地したセレンが当たり前のように言ってのける。
(…………役得だとは思ったけどよ、けどよ──)
誰が見ても二度見するであろう彼女の美少女ぶりにはラグロスもとっくに見惚れているし、今の短い飛翔でも、代えがたい経験をさせてもらったと思っている。……絶対口にすることはないが。
宙にルーンを描いて魔力性の紫ローブを纏いなおしたのを見て、少し名残惜しいと思ってしまった自分を窘めるように頬をぱちぱちと叩いた。
「……はいはい、ありがとうございます天使サマ」
「心がこもってないわ」
言葉こそ不満げだったが、彼女の声色はとても楽し気だった。
ローブこそ着こんでしまったが、フードは被っていないので口を押えて楽し気に笑うセレンの顔が良く見える。
女性経験の少ないラグロスはそれだけでも直視に耐え難い。
「……気のせいだよ」
仮に弁護をするなら、風の踊り子にも女性陣は居る。故に女性経験自体は彼にもある。
ただ、意識をする機会がなかったというのが本質だった。
「そういや、なんでローブを脱ぎ捨てたんだ? あれ、魔力で出来てんだろ?」
「…………」
「おい?」
話を変えようと別の話題を口にするラグロス。その場しのぎではあったが、気になっていたことでもあった。ラグロス自身魔力について詳しい訳ではないが、いわゆる外殻のようなものをわざわざ脱ぎ捨てる必要があるとは思えなかった。
それならば、普通に解いて消せばいいだけの話なのだから。
彼の言葉で今度はセレンが口を閉じてしまう。
突然顔を俯かせて黙り込んだ彼女に、ラグロスが自身よりも身長の低い少女の顔を覗き込む。
少女の白い肌に僅かな朱色が混じっていた。
その意味をラグロスが考え込み、羞恥だと推測した彼がその理由を探す。
「なぁ。まさかカッコよかったとか言わないよな?」
「──~~ッ!」
「……ほんとかよ」
ぷるぷると震える眉に、むむと歪んだ唇。
いつも被っているフードが無いお陰で、ずいぶんと感情豊かなセレンの表情が伺えた。
正解を引き当てたラグロスは苦笑する。
彼女を馬鹿にする気は彼になかった。何しろローブを脱ぎ去った瞬間は彼もカッコいいと思ったのだから。
それに、彼自身ロマンと呼ばれるようなものが好きだったのもある。
名の知られた探索者があだ名で呼ばれることに憧れを感じたりするような童心。
お金に窮して探索者になったが、憧れを抱いていたからこそ、この仕事選んだ。
彼が自身の体を酷使してでもチャージを使った正面戦闘を行っているのも、それにカッコよさを見出していたからだ。
勿論これが一つの正解であることを分かった上だが、チャージを利用して大弓のような遠距離武器を使ったり、投げ物に徹する選択肢もあった。
費用削減という現実的な理由もあれど、それらを投げ捨てて一つに絞っているのは彼の憧れ故でもある。
「まぁ、いいんじゃねぇの? 俺もそういうの好きだしよ」
「……そう?」
彼の内心を知らないセレンがラグロスが賛同を見せたことに目を瞬かせ、困惑気に小首を傾げた。
彼女は今までこのような感情に同意を得られなかった。最適解でない──ラグロスが思うロマンの振る舞い。
「ああ、まぁ俺の仲間はあんまり理解してくれねぇけどな」
「……そうね。私もそうだったわ」
「天使がそういうことはしなさそうだもんな。なんていうか……こう、なんでも効率的に? みたいな」
「んふ、確かにそうかもね」
それを認められた。
つい漏れ出た奇妙な声を手で抑えたセレンはフードを被りなおした。
彼女の動作が示す感情を知るラグロスは踏み入ることなく微笑んだ。
(なんだろうな。捻くれた子供って感じか)
友人であるリットとセレンの姿は容姿こそ違えど、ラグロスの目には重なって見えた。
地方の貴族として生まれるも兄に立場を奪われ、親の愛を受けられなかったリット。
そんな彼に愛を与えていた幼い頃から彼を知るチリー。
セレンに足りなかったのは愛を与えてくれる存在だとラグロスは直感していた。
「──!」
突如弾けたいくつもの水飛沫。
せっかくセレンことを知れそうな機会だったが、ここは迷宮。
彼女の強引な突破のせいであっさりとしていたが、邪魔などいくらでも入る。
「サーフェイスランナー!」
「……へぇ、本当はこれが邪魔をしに来るわけ」
噴き出した水飛沫から現れたのは大人よりも高さのある数匹の巨大アメンボ。
単に飛び石を渡るだけなら多くの探索者がここを通っただろう。
蒼のアーチと同じく、避けられるのにはそれなりの理由がある。
飛び石の大河ではこの巨大アメンボ、サーフェイスランナーが理由に当たる。
足場の悪いはずの水面を地面のように自由に移動できる彼らの餌食となった探索者は少なくない。
「セレン、近づくなよ。水の上じゃ流石に分が悪い」
「言われなくても分かってるわ」
そう警告しながら、ラグロスは違和感を感じていた。
サーフェイスランナーがここにいること自体は知っていた。
足場の悪い場所で彼らが襲ってくるから石飛の大河が避けられる場所なのだ。
(まあ、運が悪いだけか)
サーフェイスランナーは群れを作らないはず。
だが、ここにしか生息しない個体。探索者もわざわざここを通るものは少ないので、研究不足だろうと余計な考えを捨てて大剣を構える。
同じく、アメンボたちも針状の鋭い口を一斉にラグロス達へ向けた。
しかし、彼らは水面でこそ自由に動ける反面陸上での活動力はない。
そう見越しているラグロスが水面からしっかりと距離を取った。セレンも彼にならって陸地へと寄りながらルーンを描く。
水上でラグロス達を睨み続けるアメンボたち。
すると、突然後退したかと思えば背伸びのように六本の足を延ばし、背中から黒い羽を広げる。
「……おいまさか」
迷宮生物の生態というものは完全に解明されていない。
情報提供は探索者組合から一定の報酬を貰えるため、積極的に生態観察を行う者もいるが、このような環境が悪く容易に死ねる場所に生息する迷宮生物はところどころ情報が抜け落ちている。
サーフェイスランナーが飛べるという情報を知るものは少なからずいただろう。
だが、その探索者たちは漏れなくこの世に居ない。
ラグロスが顔を引きつらせる。
自分よりも大きいアメンボ、水上に居ないならカメムシと変わらない見た目が飛ぶのは彼も知らない。
広げた黒い羽を高速で震わせ、アメンボたちが飛翔する。
ラグロスには空を飛ぶアメンボに対する攻撃手段をろくに持たないが、セレンは違う。
ルーンを描き上げ、いくつかの光の槍を生み出すと彼女は自信ありげに微笑む。
「飛ぼうが一緒。貫くわ」
「何もすることねぇな……」
その言葉を皮切りに光の槍が一斉に発射された。
光速で宙を走る槍は宙を舞うアメンボたちを貫き、撃ち落とす。
投げナイフ程度はラグロスも持っているが、かなりの速度で宙を移動するアメンボに当てる練度はラグロスにない。セレンのスリルな的当てを見ているだけしか出来ない。
「……時間ぐらいは稼いでくれる? 弾数が足りないわ」
「おうよ」
肉壁になれとの命令に景気よく大剣を構えて応え、光の槍を逃れた個体と相対する。
上下左右と動き回るアメンボの口が狙っているのはラグロスの背後にいるセレンだ。
迷宮生物もあの光の槍を無視できなかった。
「……チャージ──ほら、お前らの好きな魔力だ。寄って来いよ」
己のスキルを起動し、ラグロスは自身の中で魔力が蠢くのを感じる。
そして、口端を吊り上げた彼が煽るように笑った。
迷宮生物は魔力で作られている。その魔力は倒した後に魔石となる分と空気中に霧散する分に分かれている。
そんな不思議な生態を持つ迷宮生物は魔力で作られているからか、魔力に対しての反応が強い。
逃げ出したり襲ってきたりと反応は様々だが、光の槍を放ったセレンに狙いを定めたのであれば襲い掛かってくる習性の個体だ。
それを利用したラグロスがチャージを起動して囮を買って出た。
「……」
羽を唸らせ、複数のアメンボがラグロスへ突撃してくる。
対して、彼は大剣を腰だめに構えて体を捻る。
徐々に近づく羽音。十分に溜める時間はない。
少ない時間で体に行き渡らせた魔力を生かし、強化された力で大剣を振るう。
豪と風を咲き、鉄の塊が飛来してい来たアメンボを纏めて吹き飛ばす。
体こそ大きいサーフェイスランナー。しかし、水上を移動するために体重を犠牲にしているため、非常に軽く、脆い。
ラグロスの一撃を受けるなど不可能だった。
一瞬で体をひしゃげさせ、彼の周囲が三体のアメンボたちの魔力の霧で覆われる。
だが、まだアメンボたちの数は尽きていない。
「──ッ!」
振り回した大剣を勢いのまま体の前にまで運び、アメンボの針を防ぐ。
突き刺さった針から何かの液が注入されたのか、金属がじゅうと溶ける音をラグロスが聞き取った。
「……ふっ──!」
膨れ上がった力が急速に無くなっていく虚脱感。座り込みたくなるのを堪え、息を吐き出しながらラグロスが後方へと下がる。
一瞬の攻防だが、確かな時間を稼いだ。
あとは大人しく後ろの少女に任せることを選ぶ。
「上出来よ」
上機嫌なセレンが目を細めた。白く細い彼女の指はもう仕事を終えている。
描きあがったルーン。彼女の周囲に光の槍が生み出されていく。
指揮棒のようにセレンが再び指を宙に走らせると、槍は光の軌跡を残して残るアメンボたちを貫く。
どれもがアメンボたちを一撃で機能停止に追い込み、地に落ちる前に魔力の霧へと変えさせた。
爆発させる必要もなかった。
「……流石天使、金が稼げるこった」
キラーフィッシュの時よりも大きな魔石がごろごろと転がっている。
パーティを抜けた今の方が稼ぎが多くなっているラグロスは自嘲気に口を歪ませた。
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