ルーツ
「お待たせしましたっ。ミラクルサワー二つです……どうかした?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
「そう? ならいいのだけど」
部屋に入って来たアリエルが剣呑な雰囲気を察して、ほんのりと眉を持ち上げた。
しかし、すぐに態度を直したラグロスを見て、トレイに乗せた二つのグラスを並べる。
グラスには黄色の液体が波打っている。水面でパチパチとはじける様はビールに近い。
また、縁には切られた小さな白い果肉が添え付けられていた。
「はい、ミラクルサワー二つね。セレンちゃんは飲み方分かるかな?」
「……分からないわ。普通に飲むわけじゃないの?」
「──そうだな。まずは普通に飲んでみろよ」
「…………大丈夫、よね?」
「ふふふっ──飲めなくはないし、飲んでみたら?……ふふっ」
さっきとは打って変わってニヤニヤとし始めたラグロスがセレンに飲むよう促す。
あからさまに怪しい彼の様子に弾ける黄色の液体を見つめるセレン。
そんな二人を見ていたアリエルが堪えきれず噴き出すも、同じくセレンに飲むよう促した。
しかし、提供する立場であるアリエルも変な笑みを浮かべている。
その怪しさにセレンは辞退しようかと迷うも、ここでやめるのは負けた気がするとグラスを手に取って軽く口に含んだ。
「──んんっ……~っ!?」
口に含んだ瞬間彼女の舌を強い酸味が襲った。
レモンをそのままかじったかのような酸っぱさ。
経験したこともない刺激にセレンが目を白黒させながら首をぶんぶんと振るう。
「はははっ!!」
「んふふふ!」
綺麗な反応を見せてくれた彼女へラグロスとアリエルが大笑い。
ここまであっさり飲むとも思わなかったのもあり、不意打ち気味に彼らを笑わせた。
「──~~。はぁ、はぁ。……ッ!」
口に含んだのは少しだけだったのもあり、彼女が酸味を乗り越えるのに時間はかからなかった。
だが、絶妙な甘さを感じる後味が妙に恋しくなる。
この酸っぱさは何度も味わいたくないが、不思議と不味い訳ではない。
今まで味わったことのない不思議な刺激に気を惹かれはしたが、罠にはめてきた彼らへ文句を言うのが先だった。
「すまんって。そんなあっさり飲むとは思わなかったんだよ」
「私もー。ごめんなさいね。ちゃんとした飲み方を教えるから」
「…………まぁ、いいわ」
まだ完全には酸味が抜けきらないセレンが文句を言う前に、二人が口々に謝罪する。
彼らの言う通り、飲まない選択肢もあった。その上でプライドが彼女の最後の一押しを担っただけだ。
素直に謝られてはセレンもそれ以上強く言うことは出来なかった。
「これ、食べてみて?」
アリエルが指さしたのはグラスに突き刺さる白い果肉。
セレンは特に疑わずその白い実を口にした。
彼女の向かい側ではラグロスも同じようにその実を食べている。
しかし、普通に噛んでいるセレンと違って、彼は舌の上で転がすように食べていた。
何か意味があるのだろうかと、彼女もそれにならう。
「そう、舌の上で転がすようにね。満遍なく転がしたら飲んでみて?」
「分かったわ」
ラグロスが先にグラスを口に付けたのを確認してから、セレンも再度グラスをあおる。
すると、先程の強烈な酸味が感じず、代わりに来たのは後味で感じたさわやかな甘み。
「…………」
「美味いだろ?」
「…………そうね」
喉をごくごくと鳴らし、何度か夢中で飲んでいた彼女がこくりと頷く。
ローブに隠れて見えないが、背中の羽らしきものがもぞもぞと動いているのを見て、ラグロスがより笑みを深める。
(案外、素直なのかもな)
雰囲気こそ周囲を寄せ付けない刺々しいセレン。
見た目の美しさも相まってまさしく薔薇のようだが、そう思い込んでいるだけかもしれないとラグロスは考えを改めた。
「満足いただけたなら何よりね。で、ラグロス君。この子は一体どうしたの?」
「ん、あー……」
どこまで言っていいものか分からず、ラグロスはセレンへ視線を送る。
しかし、彼女は目の前のミラクルサワーに夢中で聞く耳を持っていない。
「……踊り子を抜けたのを関係があるの?」
「──っ。流石……耳が早いですね」
「勿論! ……って言いたいところだけど違うわ。ルーツェちゃんが怒った顔でこっちに来たから」
「あぁ……。それは、ご迷惑おかけしました」
「ううん、私はいいのよ? でも、ルーツェちゃんはすごく怒ってたから。……話ぐらいはしておきなさい?」
「…………はい」
目の前の女性を若くしたような外見を持つ少女、ルーツェが怒り心頭で来る様子を彼は鮮明に思い浮かべられた。彼女を風の踊り子に引き込んだのはラグロスなのもあり、申し訳ないと思うところもあったのは事実だ。
しかし、標的を分散させる
彼らの機動戦とラグロスの戦い方は合わない。もう分かり切ったことだ。だから抜けた。その選択に苦心があれど、後悔はない。
だから、謝ることはあってもパーティに戻る選択肢はない。
もし、ラグロスが新たなスキルに目覚めれば話は変わるだろうが、中層で戦い方が変わるほどのスキルが発現した前例はない。上層に二年もいるならなおさらのこと。
とりあえずは頷いたラグロスが黙ってグラスの中身を口にする。
硬くなった表情を誤魔化すためでもあった。
「……ねぇ。アリエル、さん」
「あら、何かしらセレンちゃん」
敬称を呼び慣れないセレンがたどたどしくアリエルに話しかける。
すでに彼女のグラスは空っぽだった。
「どうして、北国の憩い場って名前を付けたの? 特に、北国って……ここは西端よね?」
「それはね、この大陸の話じゃないのよ」
「……?」
「私は隣の大陸、パルテル大陸の出なのよ。その大陸の北国、ノースラルで生まれたから北国ってこと」
「へぇ……どうしてここまで来たの?」
興味深そうに頷いたセレン。
わざわざ自らの生まれ故郷を離れ、隣の大陸にまで来たということが彼女にとって意外に映っていた。
「深い理由はない、かしらね。私もやりたかったことを求めていたらここで店を開くことになっただけだから」
「……そうなんだ」
珍しくセレンが興味深そうに話を聞き入っていた。
その様子を横目で見ていたラグロスは彼女の背景になんとなく当たりをつけていた。
少なくとも、好んでこの場所に来たわけではないことを。
*
翌日、彼らはまた早朝から探索活動を始めていた。
桟橋前にある広場。そこに並んだ転移装置を使い、蒼のアーチを抜けた先の転移装置へと戻っている。
「ふぅん、こうやって転移装置を中継地点に進めるのかしら?」
「そうだな。上層は小刻みにあるけど、下に行くほど転移装置の数も少ねぇらしい」
「まぁ、そうでしょうね」
「……何か知っているのか?」
「知らない方がいいと思うわ」
「そうかよ」
何か事情を知っているらしいセレンだったが、そう言われてはラグロスも深く聞けず黙り込む。
黙り込んだ彼は話す代わりに鞄から畳まれた紙を取り出した。
「それは?」
「地図。俺も完璧に覚えてるわけじゃねぇからな」
「買ったってこと?」
「いや、ドーさん……俺の仲間が描いたんだ」
几帳面でパーティの保護者的な立場でもあった中年男性のことを思い出しながら地図を開く。
もしはぐれた時のために、とわざわざ写して五人分を用意してくれていたドーレルにラグロスは頭が上がらない。
はぐれこそしなかったが、結果的にこんな場所で役に立つとは彼も思っていなかった。
「そう。……随分几帳面ね」
「ああ。おかげで色々助かった」
単に地図を描いただけでなく、ところどころにメモ書きが記されている。
元々はぐれた時のために作られたのもあって、一人でも転移装置の元へ行けるルートが記されていた。
今から通る道もこのルートを使ったものだ。
まだ人も少ない森の中を二人は歩く。
森の澄んだ空気はとても気持ち良いが、二人の先からより涼し気な空気が漂ってきた。
加えて水流の音が良く聞こえてくる。大きい川があるのが見て取れる。
蒼のアーチを抜けると上層の三分の一が終わったことになる。
そう考えると随分短く感じるだろうが、本来は迂回路を使うエリアだ。そこかしこに居る動物を模した迷宮生物の相手をしながら迷宮に慣れる場所でもある。
裏を返せば、ここからが本番とも言える。
「ここも迂回路と正面ルートがある」
「どっちが早いの?」
「そりゃ、正面に決まってるさ」
「じゃあ直進ね」
「……少しは考えろよ」
欠片も迷いを見せない白髪少女にラグロスがため息を吐く。
この先は単に敵が厄介なだけではないので、彼女が強いと知った上でも躊躇があった。
「とりあえず、どんな感じかは見てみりゃわかる。まぁ、ここからでもだいたいわかるけどよ」
「……大きな川が見えるわ」
木々の隙間から丸太一つでは到底対岸に渡れないほどの川が覗いている。
先程から来る涼しい空気もこの川のせいだった。
森の中にしてはやけに太い川に、セレンも若干の困惑を見せていた。
「とりあえず、岸に出てみりゃ分かるさ」
彼の言うまま、二人が森を抜ける。
枝葉が邪魔をしていた視界が晴れて、彼らの眼にはっきりと大河が映った。
「へぇ……」
「蒼のアーチみたいな不可思議さはねぇけど、こっちはこっちですげぇもんだろ?」
「……そうね。対岸が遠いわ」
「もうちょい感想が欲しいけどな……」
ごうごうと音を立てて流れる流水。
探索者の道を塞ぐように立ちふさがる大河。
霞んで見えるほどに対岸との距離は遠い。
水流には埋め込んだようにところどころに石が水面に出ている。
人二人が何とか立てる程度の足場が大河に点在していた。
「飛び石の大河ってんだ」
「……飛び石。なるほど、これを伝っていくわけ?」
「ああ、だいたい半分くらい進みゃ浮島に転移装置がある。対岸にもあるが、まずはそこを目指す形だな」
「……ここからは見えないけど」
「川に沿ってもう少しあっちに行ったほうだよ」
セレンがラグロスの指さした方を見ると、確かに転移装置らしきものが目に映った。
遠目に見える程度なので、一日あれば余裕をもってたどり着けるに違いない。
しかし、単にアスレチックをさせておしまいとも思えないセレンが水の中を凝視する。
「……ここにもキラーフィッシュが居る訳?」
「……キラーフィッシュはいねぇな」
「何かはいるのね」
「数は少ないから俺でも倒せるけど、ここじゃもっと厄介って話だ」
「そう」
セレンはなおも水面を睨み続けている。
しばらくすると、今度は空を見上げた。屋内にも拘わらず存在する太陽は外と同じ速度で移動している。
その太陽がまだまだ朝日として顔を出したばかりであることを示している。
「……面倒ね。突っ切るわ」
「は?」
空を睨んでいたセレン。やがて彼女が決心するように息を吐き、そう言い放った。
思わず呆気にとられたラグロスの前で、セレンは身に着けていた紫のローブの首元で括られた紐を引っ張る。
するすると音を立ててズレ落ちたローブを彼女は勢いよく投げ捨てた。
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