風の踊り子

「ひゃっ!?」


 セレンは突然浮いた体に対応できず、小さな悲鳴を上げ、次に現れた広場の地面に前のめりで倒れた。

 飛ばされた先はシーフィルの桟橋手前にある広場だ。

 時刻はまだ昼下がりで、ここにも探索者たちが賑わっている。


 そして、彼らが群がる先には三つ並んだ転移装置があった。


「……大丈夫か?」


 初めてならば無理のない反応を見たラグロスが手を差し出す。

 やけに来るのが遅かったのが気になったが、なにやらセレンが疲れているのもあって彼女の様子を心配していた。


「……ありがとう。──こっちに来て」


 素直にラグロスの手を取ったセレンが立ち上がる。

 先程探索者からかけられた言葉の数々。どれも主にラグロスを軽視する類のものだった。何故そこまで軽視されるのかといった疑問が彼女の中で渦巻いていく。

 しかし、それ以上に勧誘してきた探索者が来るのを恐れ、セレンがラグロスの手を引いて動き出す。


「お、おいっ」


 困惑しながらも妙に遅れて飛んできたのを鑑みて、何かあったのだろうと引かれるがまま彼女に連れていかれる。

 広場から離れ、人目に付かない路地裏に入ると、彼女は足を止めて振り向いた。


「ねぇ」

「なんだよ」

「どこか腰を落ち着けられるところないかしら? ないならジゼルの所でも良いわ」

「……人目に付きたくないとかあるか?」

「そうね、探索者の目につかないならどこでも」

「分かった。人目に付かないならそうだな……」


 ラグロスはやはり何かあったのだと確信する。

 どこか良い場所はあるだろうかと思案する中、片手がいまだに暖かいことを思い出す。

 暖かさの元を見やると、セレンが彼の手をまだ握っていた。


「手」

「……何?」

「もういいだろ?」

「……あ、そうね」


 セレンが握っていた手を放す。放した後も何故か拳を握ったり閉じたりしている。

 ラグロスの目にはそれが名残惜しく感じているように見えた。

 いまいち考えが読めない彼女の行動に彼は疑問符を浮かべるが、今は忘れて目的地へと足を動かした。


 *


「ここだ」

「喫茶店?」

「あぁ。金もねぇしあんまり行かねぇ。けど、今日はこれだけ魔石があるなら贅沢もする」

「……ふぅん」

「ダメか?」

「いえ、問題ないわ」


 セレンは先程からラグロスを見定めていた。

 強くはない。探索者の一人が言っていた言葉。

 確かに、たかが喫茶店に入ることを躊躇するほどお金が無いのはセレンにも気になった。

 そして、風の踊り子というワードも。


 とはいえ、多少弱いくらいなら支障はない。もとより戦力として当てにしていないのだから。

 あくまで彼女がラグロスにを感じただけのことだ。

 道草を食っているほど暇ではないが、彼女の好奇心を満たす程度の寄り道は許容範囲だった。


 セレンからの了承も得たラグロスが喫茶店の扉を潜る。

 彼の後を追いながら、セレンが上を見上げる。


 “喫茶 北国の憩い場”


 彼女の先、屋根にかけられた看板にそう記されていた。

 しかし、この大陸から見てシーフィルは西端に位置する。不思議な店の名前にセレンは疑問を抱いた。


 彼女が首を傾げている間にラグロスが扉を開ける。扉に備え付けられた鳴子がからんからんと音を立てて彼らの来店を告げた。


「いらっしゃいませー! あら、ラグロス君じゃない! それと……後ろの子は?」

「こんにちはアリエルさん。こっちはセレンです。注文は……ミラクルサワー二つで」


 彼らの来店に答えた声の主は、長い青髪を下ろしカールさせている落ち着いた雰囲気の女性、アリエル。

 白と青を基調にしたロングスカートの給仕服と白いキャップを身に着けた彼女は、柔らかい笑みを浮かべて二人を出迎える。


「承りましたっ。席は……逢瀬なら奥の方が良いかな?」

「やめてくださいよ、そんなんじゃないですって。でも、奥の方が助かります」

「ふふふっ。──分かったわ、ご注文の品はそっちに持っていくから個室の方へどうぞ?」


 からかってくるアリエルにラグロスがぶんぶんと首を振って否定する。

 セレンのような美少女は彼にとっても魅力的だが、あの光の槍を見てしまえば怖くて言えたものではない。

 本心から否定しているのを感じ取ったアリエルはコロコロと笑うと奥へと手を伸ばした。


「はい、ありがとうございます。セレン、行くぞ?」

「……ええ」


 彼らが会話している間もセレンは店内を見渡していた。


 古風な純喫茶らしい雰囲気。窓際やカウンターの端には小鉢に収められた観葉植物が飾られている。

 カウンターに並んだいくつかの席と、窓際に三つ並んだテーブル席。そのどちらにも客はいない。

 いくら立地が悪いからとはいえここまで来なければ店を畳むほどだろう。


 それを気にした風には見えないアリエルも不思議だったが、セレンは大人しく案内された奥の席へと向かった。


 案内された奥の席はどうやら個室らしく、扉を一枚隔てた場所だった。

 宿の個室と同じサイズの部屋の中央には丸テーブル。そして、それを囲む木製の椅子が五つ並んでいる。


 窓はあるが、白い網目状のカーテンがかかっている。光を通すが、外の景色はよく見えない。外から中を見ることも出来ないだろう。


「座りなよ」

「ええ……それよりも、あれだけ客が少なくてもやっていけるの?」


 俗世を良く知っているわけではないが、そんなセレンでも客が来なければまずいことは分かる。


 彼女の疑問を聞いたラグロスも乾いた笑みを浮かべた。彼自身も内密の話をするのにこの場所はもってこいだったが、それ即ち客が少なくて助かると言う皮肉もはらんでいる。


「まぁ、普通なら無理さ」

「ならどうして?」

「俺も詳しく知ってるわけじゃねぇ。でも、趣味みたいなもんらしいぜ?」

「理由になってないわよ」


 彼が言いたかったのは稼ぐための仕事としてやっているわけじゃないということ。

 だが、いわゆる金持ちの道楽に近いという意味をセレンには理解できない。


「まぁせっかくだから聞いてみたらどうだ?」

「……」


 下手を晒して天使であることを知られたくない彼女はその提案に沈黙し、難色を示した。

 だが、あまり人が来なさそうなこの場所は活動拠点にはもってこいだ。その場所の主と親交を深めることは必要なことでもある。


 そんな迷いに苛まれた彼女はとりあえず判断を先送りにした。


「あとで考えるわ。 別の話をしましょう」

「……そうだったな。何の話だ?」

「さっき、貴方が先に帰った後。私に話しかけて来た人が居たのよ。それも複数」

「まぁ、そうだろうな」


 ラグロス自身は周囲からどのように思われているか知っている。

 そして、上層の探索者からは嫉妬に近い感情を抱かれていることも。


 上層の迷宮生物はあまり強くない。だからラグロス達でも時間をかけることで攻略を進められた。

 だが、多くの探索者にとって上層の道中よりも最奥の門番と呼ばれる迷宮生物が困難となる。


 上層の突破は半年が基本。これは二つの意味を含んでいる。

 半年もあれば門番の元へたどり着けること。その門番を倒せるか否かで中層に行けるか否かが綺麗に別れること。


 多くの探索者は門番と呼ばれる迷宮生物を倒すことは出来ない。

 故に集まったのが弱いと思われているラグロス達への嫉妬だ。


「知っていたの?」

「まぁな」

「そう……私が見る限り、魔力の知覚に長けた貴方がそこまで弱いとは思えないのだけれど」


 人間は魔力の操作が上手い訳ではないとセレンは分かっている。

 それは探索者達を見れば明白だ。


 だからこそ、その操作をするための第一歩──魔力の知覚が出来るラグロスに彼女は多少の期待をしていた。


 だが、迷宮で話しかけて来た探索者たちの声はどれもラグロスを軽視するものだった。さらに言えば、中層にたどり着いている彼より強いと自惚れている者もいた。


「いーや、事実だよ。最近限界も感じてたしな。だからパーティを抜けた」

「それは彼らが言っていた踊り子のこと?」

「そうだよ。風の踊り子」

「限界かどうかは知らないけど……貴方の居場所だったのでしょう? どうして自分から捨てたわけ?」


 妙に気迫のある彼女の問いにラグロスは眉をひそめる。

 答えることは構わないが、彼女が言っている目的からは遠く離れた話であることは彼にも分かる。

 彼女の声に乗せられたどこか粘り気のある何かも気になった。


「……俺のスキルとあいつらのスキルがかみ合わなかっただけだ……足を引っ張ってんだよ」

「そうだとすれば、なおさら疑問。かみ合わない上に周囲から軽視されていた。……そんな貴方達でも中層に行けた。仮に貴方がお荷物ならそんなことは不可能でしょう?」


 セレンの声が勢いを増していく。畳みかけてくる彼女の正論。ラグロスもそのことは百も承知だった。


 確かに門番との戦いはラグロスが居なければ突破できなかっただろうと彼も分かっている。

 否、彼のスキルは門番のような正面突破が求められる戦いでこそ輝く。力押しが足りない風の踊り子を支えていたのは事実だ。


 だがそれ以降、中層では毎日内出血を引き起こすほどのオーバーチャージで戦っていた。限界も見えていたのだ。


「…………何が言いたいんだよ」

「────」


 金を稼ぎたいだけの自分が最奥を目指すリットたちのパーティには長く居られない。彼の目標を知っているからこそラグロスは引いた。それだけのことだ。


 部外者にあーだこーだと言われる筋合いはない。素直に聞いていたラグロスもつい怒気をはらんだ言葉を口にしてしまう。


 彼の言葉はつい熱が入ってしまったセレンを冷ますのには十分だったらしい。

 すっと波が引くように黙り込んだ彼女がいつの間にか浮いていた腰を下ろす。


「……少し、言い過ぎたわ」

「……まぁ、事実だ。信用ならねぇならいつでも俺を切ればいいさ」


 それからしばらくの間二人は沈黙を過ごし、アリエルが注文を届けに部屋に来るまでその沈黙は続いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る