魔力の知覚
「……暇ね」
窓の縁に乗り出して、ぼんやりと外を眺めていたセレンが呟く。
寝る必要が無い彼女は一日中起きたままだった。
しかし、外に出て見つかっては本末転倒。仕方なく部屋の中でじっとしているしかなかった。
階下から聞こえ始めた槌音と登ってきた朝日を見て、ようやくセレンが部屋を出る。
着ている服は相変わらず上質な白ローブのままだ。
「ラグロス。起きてる?」
セレンがドアをノックする。
しかし、返事はない。時刻から考えてまだ寝ていてもおかしくはない。
とはいえ、これ以上待つのは彼女も苦痛だった。
「“起きなさい”」
我儘に近い感情でセレンはラグロスをドア越しに起こした。
壁一枚を隔てて聞こえる布団をめくる音を確認し、セレンはドアを開けた。
「朝よ」
「……あぁ」
無理やり起こされたラグロスはぼさぼさな髪のままベッドの上で座っている。
彼の目は焦点が合っておらず、頭は起きていない。
帰って来た返事も空返事だった。
(人間はやっぱり弱いわね……)
いくら命令が効くからとはいえ、人体にも限界がある。そのことを改めて認識したセレンはため息を吐いた。
やはり一人で活動すべきだったかと若干の後悔もあったが、昨日追手に見つかった失態を踏まえると現地の協力者が欲しいのも事実だ。
「“支度なさい”」
あくまで支配しているのはこちら側。彼の容態を案じる義務などない。そう決めつけ、セレンは再びラグロスに命令を下して準備を急がせた。
それでも眠気には勝てないらしく、彼の動きは随分と遅い。
再びため息を吐いたセレンは一足先に槌音が響く階下へと降りていった。
(暑いわね……)
降りた先では昨日よりも熱気が増していて、熱を逃がしにくいローブ姿のセレンが顔を歪める。
しかし、見慣れないものへの興味が勝り、槌音が聞こえている場所へと足を運んだ。
「……ン?」
一定のリズムで金床に槌を振り下ろすジエル。
しかし、聞き慣れない足音に持ち上げた槌を止めて振り返り、無表情ながら瞳を輝かせるセレンを見つけた。
「……邪魔したかしら?」
「いヤ、趣味みたいなものだからナ。出来は気にしてないんだヨ」
ふるふると首を横に振ったジエルにセレンはほっと息をついた。
槌を下ろしたジエルの興味は友人が連れて来た少女へと向く。
「それよリ、ラグロスとはどういった関係デ?」
「……話す義理はないわ」
「ハハハ、そうカ。そいつはすまないナ」
友人が面倒な奴を拾ったことに愉快気に笑うジエル。以前彼が言ったことをラグロスが無意識に守っていることに対しての笑みだった。
話を拒んだのに笑っているジエルにセレンが怪訝な表情を浮かべていると、再び彼が口を開く。
「オレにはよく分からんガ、困っていることがあれば言ってくレ。ついでの範囲なら力になってやるサ」
「ええ、ありがとう」
素直に微笑んだセレン。その魅了する笑みに、ジエルは考えを改める。
お節介もあるだろうが、ラグロスがセレンを連れて来たのは一目惚れのようなものもあると。
現実はラグロスが良いように使われているのだが、一介の鍛冶師に気付ける道理はなかった。
そうこうしているうちに、階段を駆け下りる足音が聞こえて来る。
「……全く、遅いわね」
「まァ、許してやってくレ。昔から朝は苦手なんダ。あいつハ」
「──すまん。遅くなった!」
半ば無理やり起こされ、半分寝ている意識のまま支度を整えたラグロスが二人の元に現れる。
鈍器のような大剣を背中に背負い、それを振るうために軽さを重視した急所を守るだけの皮鎧。
いつもの彼の装備だった。
「遅い。早くいくわよ」
「分かったよ」
「頑張れヨ」
「ああ、行ってくる」
ジエルの見送りに、ラグロスが片手をあげ、セレンは軽く会釈することで応えた。
*
セレンの追手に見つからぬよう、大通りを避けて裏路地を歩く二人。
まだ眠気が冷めないラグロスは会話する気力もなく、ぼんやりとセレンの後を追っていた。
「……なぁ。朝食は食ったのか?」
「私は睡眠も食事も要らないの」
「……は?」
歩いているうちに眠気も冷めて来た彼が、今度は急いで支度をしたせいで忘れていた食欲を思い出す。
彼が下に降りてすぐ出発したので、セレンはとっくに食べたのだろうと思っていたラグロスが予想外の答えにぽかんと口を開けた。
「天使には食事も睡眠も要らないの。要るのは魔力だけ」
「へー」
始めて彼女の口から天使と認める発言が出たことにラグロスが深く頷く。
確かに、食事も睡眠も要らないと言うのは人らしくないと納得していた。
「んじゃ、ちょいと失礼」
空腹を耐えかねたラグロスが背嚢をあさり、棒状の携帯食料を口にする。
干し肉のような保存食よりも少し値は張るが、大きさの割に腹を満たすので荷物を減らしたいラグロスはこれを好んでいた。
「……不便ね」
「いいんだよ」
食事を取らないセレンからすれば趣味としてならともかく、必要に駆られて食事をするのは不便極まりないものとしか映らない。
若干の同情も混ざった声にラグロスはすぐに携帯食料を食べ終えて、彼女と並んで歩きだす。
しばらく続く無言。
港町故の潮風が彼らの髪を撫で、塩気のべたつく感触にセレンがほんのり眉を持ち上げる。
港町に慣れているラグロスはここを訪れた客──主に女性が垂れ流す文句を予測していた。
「慣れさ」
「……そうね」
その様子を横目にとらえていたラグロスが気楽に言うが、慣れる気がしないセレンはフードを深く被って潮風から身を守った。
やはり人間は不思議だと認識を改める。
そのまま歩くうちに、海が見える場所へと出てくる。
港町であるシーフィルは他の港町と違ってあまり漁を行わない。
代わりにここの経済を担っているのが、広々とした海から生える角張った建造物──神の修練場だ。
見た目は城一つ程度を収容できる大きさだが、内部はその十数倍の広さがある。
判明している限り、上層、中層、下層の三層に分かれており、層ごとに環境が異なるのが特徴的だ。
加えて、修練場内の迷宮生物は倒すと魔石を落とす。
上層の物ほど質は悪いが、エネルギー源となるため日銭を稼ぐためだけに探索者になるものは少なくない。
そして、シーフィルはこの魔石などの産出物の貿易で栄えていた。
「わぁ……」
素直に感動しているセレンが歓声を上げる。
美貌を持ちつつも人を寄せ付けない雰囲気のセレン。そんな彼女が外見上の年相応に興奮しているさまをラグロスは微笑ましそうに見ている。
神の修練場さえなければ水平線が見える場所だ。長い間シーフィルに住んでいるラグロスからすれば水平線を見て興奮してほしい気持ちが少なからずあった。
それとは別に、空を飛べるであろうセレンが海にここまで感動するのは予想外でもある。
「天使なら飛べるんだろ? 海くらい見たことねぇのか?」
「──池や湖ならあるわ。けれど、ちゃんとした海を見るのは初めて」
「ふーん」
気になる所ではあったが、下手につついて何か命令されるのも嫌なので、ラグロスはそれ以上聞かなかった。
楽しそうに海を眺めるセレンとその後を追うラグロスの二人は、神の修練場へと繋がる長い桟橋を渡り、迷宮の入り口である門の前にたどり着いた。
もう少し立てば探索者たちで賑わうこの場所も人はまだ少ない。
町の衛兵が検閲をしている列に並ぶ二人。
並び慣れたラグロスとは対照的に、セレンはまごまごしている。
彼女はどこに追手が居るか分からない中で、人の近くにいるのは落ち着かなかった。
「ねぇ」
「ん? どうした?」
「何か被るもの、ないかしら?」
「……あぁ。すまん、今は持ってない。あと、露骨に隠れるとあっちに疑われるぞ」
セレンが追われる身であることを忘れていたラグロスが申し訳なさそうに目尻を下げる。
被るものが無い訳ではなかったが、服というよりは布の類だ。そんなものを被ったまま検閲を受けるのは装備と言い張るのも無理がある。
門の検閲自体はあくまで犯罪者などをいれさせないための軽い確認で、本来は万が一に溢れて来た迷宮生物を食い止める役割だ。とはいえ、あからさまに怪しい人物を入れてくれるほど温い訳でもない。
「……そうね」
「別に、ローブの色を変えるとかでどうにかならないのか?」
「何を言っているの?」
唐突におかしなことを言いだしたラグロスにセレンが怪訝に目を細める。
「それ、昨日は気付かなかったけど魔力で出来てんだろ?」
「──よく分かったわね」
「まぁ、魔術師ほどじゃねぇが、魔力の扱いには慣れてるんだ」
ラグロスが少し照れくさそうに鼻の下を指で擦った。
彼の唯一のスキルであるチャージは、基本的に放出することで攻撃に使う魔力を内部で蓄積し、力をためるもの。
彼は長年肉体を傷つけてくる厄介な代物に触れていたせいで、魔力の知覚に長けていた。
そんな彼の言う通り、セレンの白いローブは彼女の魔力で作られたものだった。
「それは意外な情報ね。……まぁ、ローブの色くらいならできるかしら」
「……?」
ラグロスのことを完全な荷物とみなしていたセレンが意外な情報に眉を持ち上げる。その後、不安げに呟いたが、ラグロスがその呟きを聞き取ることはなかった。
しかし、何かを口にしたことは彼にも分かったので、尋ねようと口を開きかけ──
その口が声を発する前に、セレンのローブが黒色に変わっていた。
「──……すげぇな、天使」
「こんなので感動されても困るわ」
不安げな表情を一転させ、余裕のある笑みを浮かべるセレン。
出来るかどうか分からず、不安だった彼女の内心を他所にラグロスはしきりに感心していた。
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