水流走る緑蒼の樹海

「通って良し!」


 近辺の犯罪者と顔が同じでないことのみを確認されただけで、二人は門をくぐることを許された。

 他人を警戒しているセレンは思いのほかあっさり通ることが出来て、拍子抜けしたように硬くなった頬の筋肉を緩める。


「……これでいいの?」

「気にすんな。形式的なもんだよ。後でわかるけど、ここを通ることも少ないからな」

「──そう」


 納得していないセレンだったが、目的に支障が出ないならとそれ以上気にするのを辞める。

 検閲が緩いことには様々な理由がある。

 その最たるものが、多くの探索者を確保したいと言うシーフィルの声である。


 中層より下──詳しく言えば、中層の中腹部から奥を攻略する探索者は多くない。

 迷宮生物の強さが一気に増すのが主な理由だ。

 そのせいで、奥に進まず稼ぎを得るため中層以降への探索を行わない者が多い。


 その中層以降の探索者の母数を増やすため、神の修練場の検閲はかなり緩くなっていた。


「とにかく、こっからが迷宮だ。外から見たのとは違うから驚くなよ?」


 おどけた顔で言ったラグロスが楽し気に先を歩く。

 先程海を見て感動していたセレンがこの先の景色を見て驚くさまを期待した故だ。


「……」


 軽い足取りで先行するラグロス。

 しかし、セレンは昨日迷宮には入っていた。バレるのが嫌で検閲を避けたのだが、迷宮には確かに足を踏み入れている。

 そのことを言うタイミングを逃した彼女はどうしたものかと悩んだまま彼の後ろをついて行った。



 *



 門の先にある見慣れない金属製の階段を下り、二人が迷宮の内部へと足を踏み入れる。


 彼らの眼前に広がるのは緑と蒼で織りなされる樹海だ。


 緑はあらゆるところに生える木々と草花。伸びた枝を足場に小鳥たちがさえずりを響かせている。


 蒼はそれらの間を潜り抜けるように至る所で流れる小川。

 澄んだ水の中では魚たちが川底の石に隠れ、時には流れに乗って泳いでいる。


 それだけならば単なる森と見られるが、流れる小川は地面だけでなく、をも流れている。

 まるで橋のようにアーチを描いているものから、木を中心として螺旋を描いているものから様々だ。


 そんな小川の中で魚達が宙を泳ぐ様は誰が見ても驚くだろう。

 細く、人が飛び越えられる幅でしかないが、縦横無尽に流れる水流は緑の樹海を蒼で彩っていた。



 屋内に入ったはずなのに存在する朝日の光を浴び、眩しそう目を細めたラグロスが後ろを振り返る。

 その顔は随分と誇らしげで、彼の瞳は後ろに居る少女がどんな反応をするか期待に満ちていた。


 しかし、気まずげに頬を掻くセレンを見つけてラグロスの表情がどんどん曇っていく。

 彼も彼女の様子を見て悟ってしまったのだ。ラグロスの方を見ることが辛くなったセレンが顔を背ける。


 沈黙。


「……行こうか」

「え、ええ」


 やがて、気を取り直してラグロスが口を開き、これ幸いとセレンも後を続いた。


 この時間はまだ探索者たちが少ないが、入り口付近であるこの場所はしばらくすれば探索者たちで景色どころではなくなる。

 しかし、今は違う。一度入ったことがあるセレンも少なからず周囲に目を奪われていた。


「で、どこまでなら来たことがあるんだ?」

「……このまま真っすぐ行ったところ、水の橋がたくさんあった場所よ」

「あぁ。蒼のアーチか」


 神の迷宮の大きな特徴は単なる迷宮でないこと。

 その多くが内部に自然を内包しており、天然の迷宮が探索者たちを阻んでいる。


 蒼のアーチと呼ばれる場所は至る所に水が走っており、それらが作り出すアーチで出来たエリアだ。

 アーチの間隔は人が濡れずに通るのが難しいほど狭い。アーチを避けて通れば小川が至る所に流れる足場の悪い場所を通らなければならない。


 そのため、必然的にアーチをくぐる必要があった。


「……確かに最短だけど──」

「分かってるわ。そんなことは承知の上よ」


 蒼のアーチは上層を通る上での最短ルートにある。

 また、両側にある迂回路は自然動物を大きくした程度の迷宮生物しか存在しない。ほとんど森と言っても過言ではなく、組合から初心者はこの迂回路を勧められていた。


 理由を良く知るラグロスが彼女に警告するも、セレンが断言して彼の声をさえぎった。


「それに、蒼のアーチの先には転移装置もあるのでしょう?」

「……あぁ。そこまで知ってるなら従うさ」

「安心なさい。足手纏いであっても守れるくらいには余裕よ」

「俺だって上層じゃ遅れは取らねぇよ」


 挑発気味に薄く笑うセレンにラグロスが食い気味に言い返す。

 上層だけで言えば彼の探索歴も長い分とても慣れている。

 ここで足手まといになるのは流石に彼のプライドが許さなかった。


「そう。それだけ聞ければ十分よ」


 満足げに微笑んだセレンがラグロスを追い抜かすと、探索者たちに踏み均されたけもの道を歩いて行く。


 追い抜かされたラグロスも背負っている大剣を抜き取って、彼女を追う。

 得物を持っていないセレンがどうするのかは多少気になったものの、彼女は服を魔力で作れるほど扱いなれている。心配せずとも戦えるだろうとふんでいた。


 それからほどなくして彼らは開けた場所へと出る。

 木々が減り、至る所に小川が走る森の広場。水流の架け橋によって形作られた水流の小迷宮──蒼のアーチだ。


 途中の森に流れる小川と違い、水流の中に魚は居ない。そして、森に居た小鳥やリスのような自然動物も居ない。


 川のせせらぎが耳に良く響く。

 あらゆるところで流れているせいか、嫌にうるさい音だ。


 ここの事情をよく知るラグロスが大剣の柄を握りしめ、硬い表情のまま水流を睨んでいる。

 セレンはそんな彼とは対照的に散歩でもするかのように、アーチ群の入り口をくぐり始めてしまう。


「お、おい」

「何してるの。早く来なさいよ」

「……あいよ」


 事前に承知だと聞かされていたとはいえ、あまりの無警戒ぶりにラグロスが思わず声をかけてしまう。

 しかし、当の本人はピクニック気分でローブと白髪をはためかせ、くるりと振り向いて彼へ手招きする。


 何も知らなければ、確かに水流の架け橋を潜るのは幻想的だ。

 ラグロスはその幻想的な景色に見合わない顔の険しさでセレンを追う。


「……なぁ。ほんとにここの事、知ってるんだよな?」

「もちろんよ。昨日も途中まで通ったもの」

「そ、そうかよ」


 仲間たちとならともかく、一人で蒼のアーチを通る勇気はラグロスにはなかった。

 今も彼は水流に目を向け、耳をすませている。


「はぁ……警戒しすぎよ」

「……仕方ないだろ」

「人の限界ってものかしら?」

「……」


 煽るように言ったセレンの言葉にカチンときたものの、ラグロスは無言を貫いた。

 ここを一人で通ったのなら彼がセレンに何も言えないからだ。


「……来たっ──!」


 その理由が近づいてくる音をラグロスが捉えた。

 バシャリ、バシャリと水面を出ては入るのを繰り返す音だ。


 その音のが聞こえる方へ彼が大剣を向ける。


 彼が警戒する先には小川を泳ぐ何匹もの紅色の魚。

 キラーフィッシュと呼ばれ、人をも容易に喰らうほど顎が発達した迷宮生物。

 むき出しの牙が眼に映り、彼が嫌そうに顔を歪める。


 血で染まったかのような深い赤色の魚群が、彼らの頭上へと迫り──


 水飛沫が跳ねた。


「この──!」


 通り雨の如くキラーフィッシュたちが彼らへと降り注ぐ。

 キラーフィッシュたちが居たのは一本のアーチのみ。二人が伸び退くだけで攻撃は簡単に回避できた。


(多い……!?)


 不幸なことに、襲い掛かって来たキラーフィッシュは二十匹を超えていた。

 普段は二十も超えないのはずなのにと内心舌打ちしつつも、少しでも多く減らすため大剣を振るう。


 地に落ちて無防備になったキラーフィッシュたちをラグロスが全力で叩き潰す。

 キラーフィッシュも跳ねることでなんとか川へと戻ろうともがくも、何匹かは鉄の塊に押しつぶされた。


「──退きなさい」


 奮闘するラグロスの後方で、セレンが宙に手のひらサイズの印を描いている。

 青白い魔力の光が軌跡を残し、一筆書きで滑らかに印が描かれた。彼女が手を放すとより発光し始める。


 印が発光したと思えば、いつの間にかセレンの周囲にいくつもの光の槍が浮かび上がった。

 後ろで魔力の高まりを感じたラグロスはセレンが何かをし始めたと察知。彼女の声と同時に飛びのく。


「……」


 彼が引いたのを確認し、セレンが待機させていた槍を撃ち放った。

 飛来した槍が地面に地を跳ねるキラーフィッシュたちを次々と貫く。

 どうみても過剰な威力だったが、この威力と数を即座に打てるのはラグロスも驚きを隠せない。


 しかし、数えられる程度の槍と、数えきれないほどのキラーフィッシュ。

 どうしてもうち漏らしは出てしまう。


「まだっ……! ──だっ!?」

「退きなさいと言ったでしょう?」


 これらを逃がすと面倒なことになる。すかさず追い打ちを仕掛けに行こうとするラグロスだったが、飛び出そうとしたところをセレンに髪の毛を掴まれ無理やり止められる。


「けどよ──」


 抗議しようと振り向いたラグロスの耳が爆音を捉える。

 はっと、キラーフィッシュたちをの方を見ると、地面に刺さった槍が今度は次々と爆発。

 槍の一撃を逃れたキラーフィッシュたちを光の爆発が消し飛ばしていく。


 思わず耳を塞いでしまうほどの爆発音。思わず目を覆ってしまうほどの光量。

 しかし、不思議なくらい爆風が二人を撫でることはない。

 あくまで槍から解き放たれた光の奔流がキラーフィッシュたちを飲み込んでいるだけのこと。


 眩さと音が収まり、ラグロスが目を隠していた腕を下ろす。


「……魔石」

「言ったでしょう?」

「……あぁ。そう、だな」


 残っていたのは魔石だけ。

 あれだけの爆発があったのに、地面が抉れていることもない。


 水の架け橋の下。草地の上に魔石がごろごろと転がっているだけの光景。

 それを目にしたラグロスは唖然とする他なかった。


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