目的

 入り組んだ路地の先、商売する気のない位置にある一軒の宿屋へ二人がたどり着く。


「ここ?」

「ああ。隠れるにも丁度いいだろ」


 しかし、看板が宿屋であることを簡潔に示しているだけで、見た目は二階建ての家屋に他ならない。


 天使にとって屈辱的ではあったものの、今の少女の状況を鑑みれば丁度いい場所だ。実に地味である。

 文句を言いたそうに口をむにゃむにゃとさせるも、やがては一本に引き結んでドアをノックするラグロスを追った。


「んー? 客カ?」

「俺だよ、ラグロス」

「おー、久しぶりだナー。少し待ってロ」


 ドアの奥から聞こえて来た声が黙り込むと、しばらくバタバタと足音が聞こえた。

 右往左往しているようにも聞こえたが、やがて、ドアが開かれる。


「待たせてすまないナ、ラグロス。……? 見ないうちに可愛い嬢ちゃんを引き連れてるじゃないカ。なんダ、見せびらかせに来たのカ?」


 現れたのはこげ茶色の髪と無情ひげを生やした中年男性。

 身長は高いが、体はほっそりとしているために若く見える。

 無地の服に群青色の前掛けを着ている彼がにやりと笑い、独特なイントネーションでラグロスをからかった。


「違う。踊り子、抜けて来たんだ」

「……そーカ。ま、入りなヨ」


 さらりとパーティを抜けたと言ったラグロスを見て男性が心配そうな表情を浮かべるが、すぐにそれを引っ込めると彼らを招き入れる。

 入った瞬間、漂う熱気に当てられて思わずセレンが口を開いた。


「……あつ」

「あー、すまんナ。炉をつけてるんダ」

「炉?」

「こいつ──ジエルは鍛冶師やってんだ。大したの売ってねぇけど」

「失礼な奴ダ」


 ラグロスの呆れた声に、ジエルが不満げな声で彼の肩をぱしんと叩く。

 しかし、彼の表情はとても楽し気だ。肩を叩かれたラグロスも小さく笑っている。


 探索者を始めたことからの付き合い。つまるところ三年以上の緩い付き合いだ。

 彼らの仲はそれなりに良好だった。彼らの態度がそれを示している。


「で、何の用ダ?」

「抜けて来たって言っただろ? 部屋、二人分貸してくれ」

「……分かっタ」


 何か言いたげな表情のままジエルが、家屋に入ってすぐにあるカウンターの裏へと回る。

 鍛冶屋をやっていると言っていた通り、店内には様々な武具が置かれており、奥の部屋から炉の熱と思われる熱気も漂っていた。


「……」


 少女には見慣れないものが多く、しきりに店内を見渡していた。

 彼女の様子にラグロスは苦笑する。命令を達成したからか、彼の体の主導権が完全に帰ってきていた。


「ほらヨ」

「ありがとよ、代金の話はまた明日しにくる。ほら、上がるぞ」


 ジエルが形の違う鍵を二種類投げて来た。

 落とさないようそれらをしっかりと受け止め、ラグロスが少女を二階へと案内する。


「──ええ」


 少し名残惜し気に一階を後にした、少女と共に二人は二階へと上がる。

 二階は特に変わったものはなく、痛んだ木製の廊下と、対照的に配置された部屋のドアがあるだけだ。


「どっちがいい?」

「待って」

「ん、なんだ?」

「ここに泊まるなんてまだ言ってないわよ」


 淡々と話を進めるラグロスを少女が手で制する。

 体の主導権は彼女がいつでも奪えるのに、まったく臆することなく少女を連れていくラグロスの気が彼女には知分からなかった。


「ああ、そうだったっけ? そいつは悪いな。とりあえず、ここなら誰にも話は聞かれねぇ。話なら存分にしてくれ」


 申し訳なさそうに目尻を下げたラグロス。

 ようやく話の流れが止まり、困惑したままだった少女が気を取り直して口を開いた。


「まずは……“私のことを口外しないで”」

「……っ」


 ラグロスの体に痺れが走る。

 同時に、口外するなという内容から彼女がやんごとなき身分なんだろうなと彼が思案する。


 彼女の命令が効果を発揮しているかは分からないが、先程地に頭をつけられたことなどを踏まえれば機能していると認識していた。


「その辺りの話、聞かせて貰えないのか?」

「……貴方にそんなことを許した覚えはないけど」

「ほら、口外するなって言われても限度があるだろ? あんたを追いかけていた男がいつ聞いているかも分からねぇし」


 半分ほどはラグロスの嘘だった。

 お節介を焼いたのも彼の心配が半分、好奇心がそのまた半分。残りは少女が可愛いからという単純なもの。


 だから、多少の事情はこれからのために必要だということを前にだして尋ねる。


「……そうね」

「……」


 すると、少女が確かにと頷いて思案し始めた。

 ラグロスは思いのほかあっさりと流される少女を見て、思わず苦笑する。

 下手をすれば詐欺にあっても可笑しくない程単純だ。


 もちろん、先程のラグロスを操った何かを踏まえればどうにかするのかもしれないが、何かしらやらかしそうな雰囲気が拭えない。


「とりあえず、名前だけ聞かせてくれ。なんて呼んでいいのか分からねぇ」

「……セレン。名乗ったわ。貴方の名前も聞かせなさい」


 少し不満げに名乗った少女、セレンがふんとそっぽを向く。横に垂らされた白のおさげも同時に跳ねた。


「ああすまん。名乗ってなかったか。俺はラグロス、よろしくな」

「よろしくも何も、貴女は私の支配下にあるの。ゆめゆめ忘れないことね」

「はいはい。で? あんたの目的は?」

「この……」


 全く態度を改める気のないラグロスに、セレンは持ち上げた拳をわなわなと震わせる。

 しかし、ここで怒っては挑発に乗ったようなもの。理性で堪えたセレンは気持ちを落ち着かせて話し始めた。


「私はここの迷宮の深部に用があるの」

「ふぅん? まだ誰もここの迷宮は攻略してねぇけど、奥に何があるのか知ってるのか?」

「……ええ、でもそれをあなたに話す義理はないわ」


 流されやすいセレンが初めて強い拒絶を見せる。強い執着も感じられる彼女の言葉。

 それを聞いたラグロスは踏み入るべきでないと判断して、話を変えた。


「別にどうでもいいさ。で、一人で行く気か?」

「当たり前よ。信用できないお荷物を抱えたくないもの」

「……なるほどな」

「言っておくけど、貴方の記憶は後で消すわよ?」

「……は?」


 思わぬ一言にラグロスが固まる。

 娯楽を楽しむ余裕が時間的にも金銭的にもなかったラグロスにとって、この面白そうな話を忘れ去るのは寝耳に水だった。酒の肴が消えてしまうだろうに。


「それこそ、当たり前よ。いくら支配下とは言え、信用できないもの」

「……」


 当然の理論だ。出来るなら記憶を消した方が安全に違いない。

 ただ、ラグロスは出来ればセレンに同行したかった。


 使い辛いスキル一本の彼ではパーティを組むのは難しい。

 しかし、出来れば仕送りを止めたくないラグロスは迷宮に潜れる方が都合がいい。

 迷宮生物から落とす魔石ぐらいは拾っておきたい。加えて、多少の下心も確かに存在した。


 間違いなく強く、美少女なセレンを逃す手はなかったのだ。


「じゃあよ、中層までは同行するってのはどうだ?」

「……どういうこと?」


 ラグロスを訝しむセレンの目線が彼へと突き刺さる。

 下手なことを言わないよう気を回しつつ、彼は言葉を続けた。


「俺はパーティを抜けたけど、上層を攻略してる。中層までの最短の道を案内できる」

「貴方、お荷物にならない?」


 セレンのその言葉で目の前の少女が強いのは確信できた。

 恐らく、ガンガン突き進む自分に遅れないかという意図だとラグロスが理解する。


「まあ、中層はきついけど、上層は問題ねぇ。スキルなくともやれる程度にはな」

「……へぇ」


 セレンの瞳が好奇に歪む。


 ここにいる人間たちがスキルと呼ばれるものに頼っていることは事前に調べていた。

 同時にスキルの何たるかを知る彼女は、それを頼らずとも迷宮生物を相手できると言ったラグロスに素直に感心したのだ。


「……そうね。この辺りのことは詳しくないし、少しの間こき使わして貰おうかしら?」

「ああ、頼んだ」

「……でも、一つ聞かせて」

「……なんだ?」


 ラグロスはこちらが提案しているのに最後に協力を頼みこんだ失敗を内心で舌打ちしつつ、尋ね返す。


「正直、こちらの思い通り過ぎて怪しいの。“その意図、吐きなさい”」


 再び彼の体に痺れが走る。

 そこまで怪しませてしまったことを後悔しつつ、ラグロスは自身の意識に関係なく口を開いた。


「金が要る。あと、放っておけなかったのもあるけど、多少の下心もある」

「……下心?」


 単純明快な答えを吐き出させられたラグロスは主導権を取り戻し、咳ばらいを一つ。

 下手をして何をされるか分かったものではない存在を前に、彼は何というべきか迷っていた。

 しかし、命令されているがために彼の口は意識に反して勝手に開く。


「あー。ほら、あんた綺麗じゃんか。見てて飽きねぇってやつだよ」

「……ふぅん?」


 セレンは色恋沙汰には随分と疎いらしく、曖昧に頷く。

 何とか誤魔化せそうな雰囲気にラグロスは内心で安堵する。

 命令にも制限の度合いがあるのか、一目惚れという言葉を口にせず済んでいた。


「で、お金がどうしたの?」

「人間生きるのには金が要るんだよ」

「よく分からないけど、この町では探索者をやっていれば稼げるものじゃないの?」

「俺が生きる分にはな、けど、仕送りする分も稼ぐ必要があるんだ」


 一般常識周りも疎いようで、ラグロスは思わず彼女を訝しんだ目で見つめる。

 結局少女の正体は分からぬまま。

 容姿から見るに天使だとは思うが、その天使という存在がここまで世間知らずなのかと彼は疑っていた。


 だが、この辺りの人間でないのは分かりやすい。藪蛇になっては困るので言及はしなかった。


「そう。……まぁいいわ。単純なのは分かりやすいもの」

「助かる」


 良くも悪くも単純なセレンはその提案を呑んだ。こちらを陥れる意図がないのであれば都合がいい。

一方、追及されると正直困るラグロスは頭を深く下げるのを兼ねて硬い表情を隠していた。

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