白翼

 主にお金と装備しかない荷物を持ち出してラグロスは宿を出る。趣味らしい趣味も精々美味いものを飲み食いするぐらい。かさばる物はなかった。

 彼もすぐさま地元に帰る気はない。けれど、これ以上リットたちの元で長居をするつもりもなかった。


(とりあえず、俺の代わりを探すまでは居なきゃな。……仕送りどうっすかなぁ)


 探索者を始めて三年。普通は色々なパーティを転々として自分にあった場所を探すもの。


 しかし、恵まれないスキルも相まってその三年間を同じパーティで過ごした。

 無理やり出てきたものの、名残惜しい気持ちも彼の心中で彷徨っている。


 恩ぐらいは返すと決めていたラグロスは他の宿を取る前に探索者組合に寄ろうと決めた。

 組合は迷宮を抱える町、都市同士が連携して探索者を支える組織だ。


 パーティを求める探索者は組合に自身の能力を登録し、募集リストに掲載してもらうことで新たな仲間を求める。


 そこで見つかる程度ならリットたちもすぐに見つけるだろうが、何事にも時節がある。

 入れ違いにならない保険も兼ね、彼は町の大通りにある組合の中へ入ろうとして立ち止まる。


「なぁ、中層でいいパーティねぇか?」

「お、お前も上層を抜けたのか?」

「あぁ。臨時のパーティでなんとか」


 話を聞くに上層をつい最近攻略した探索者達らしい。

 彼らが口にした中層のパーティという言葉もあり、思わずラグロスはそっと距離を取って聞き耳を立て始める。


「でもなぁ……中層に来てる奴なんて大抵はもう固定メンバーが決まってるぞ? 俺の所もな」

「だよな……」


 パーティを転々とするのは主に上層を攻略する探索者たちが多い。

 これはスキルが増え、出来ることが増えたりで他のパーティに勧誘されるためだ。


 ラグロス達はこのスキルの習得がないために同じパーティから変わらなかった。


「仮に空きがあっても、な?」

「風の踊り子みたいなとこじゃ意味ないか」


(──ッ!)


 ラグロスが息を呑んだ。

 風の踊り子。それはラグロスが先程まで所属していた──リットたちのパーティの名前だった。

 彼らのパーティは有名だ。勿論、今の会話からも察せる通り良い意味ではない。


「スキル二つはともかく、一つとか普通辞めるだろ」

「……でもよ。一応中層には来てんだろ?」

「上層なんてまともなスキルと仲間が居りゃ、半年もかかんねぇよ」


 彼らの言うことは正しい。


 ラグロス達の三年間の活動の内、二年を上層、一年を中層に使っている。

 つまり、常人の四倍以上の時間をかけて彼らはようやく上層を抜けたのだ。


「……ま、どっちにせよあそこは五人埋まってるし関係ないか」

「だな。俺もゆっくり探すわ」


 二人が苦笑を交わし、組合の入り口から離れていく。

 彼らが離れてもラグロスはしばらくその場で立ち尽くしていた。


 そういう評価を受けていたのは知って居たが、比較的新人の者に言われるのは心に来るものがあった。

 だが、訂正させる実力もない。


「……クッソ」


 悔しさに唇を噛みしめたラグロスは組合には行かず、頭を冷やすため裏路地へと足を運ぶ。

 行っても無駄だと気付かなかった苛立ちは、力強く地面を叩く彼の足音に乗せられていた。



 *



「──ハッ、ハッ……!」


 魔石灯の光も届かないシーフィルの薄暗い裏路地を駆ける一人の少女。

 全身を覆う白ローブのフードを目深く被っているため、彼女の容姿や表情は分からない。


 しかし、荒い息遣いとしきりに後ろを気にする仕草から何かから逃げているのは見て取れた。


(今のうちに、隠れないと……!)


 追いかけてくる足音が止んだのを確認し、少女は辺りを見渡して手ごろな隠れ場所を探す。

 しかし、この辺りに店はなく石造りの民家ばかり。

 深夜で戸も閉まっている家が並ぶ場所に隠れ場所などなかった。


 焦りを募らせる彼女が遠のいたと思っていた足音を耳にする。


(……来た!?)


 どうするべきか定まらないまま彼女は地面を蹴ってとにかく逃げる。

 人目に付きたくない彼女は大通りを避けていた。


 だが、追手もそれは把握しているらしく、大通りを壁に見立て追い込むように足音が散開していく。

 徐々に狭まる包囲網。


 恐怖も相まって彼女の判断力が荒い動悸と共に低下していく。


 考え抜いた末、このままでは捕まると少女が目の前のT字路を大通りの方へと曲がって逃げ出す。

 同時に、彼女は背中に生えた羽を動かした。どうせ捕まるなら姿を晒したって変わらない。そう決意して飛び立とうとした瞬間だった。


「おわっ!?」

「きゃっ!?」


 そこへ、曲がり角の先に居たラグロスが白ローブの少女とぶつかる。

 持っていた荷物の重さも含め、体重差で少女が地面へ尻餅を打った。


「……す、すまん! 大丈夫か!? ──羽?」

「──かくまって!!」

「──は? え……?」


 夜の暗がりのせいで少女を認識するのが遅れたラグロスが慌てて手を伸ばす。遅れて、捲れ上がった少女のローブから覗く白い羽に困惑した。


 彼が困惑している間に、少女は叫びながらラグロスが背負っていた背嚢をぶちまけ、空きの出来た皮袋の中へもぐりこんだ。

 少女の意味不明かつかなり無礼な行動にラグロスが目を白黒させ、ばら撒かれた袋の中身を呆然と見つめる。


 そんな彼はドタドタと四方八方から近寄って来る足音を聞き取った。

 直前に少女が口にしたかくまってと言う言葉と、追いかけてくる足音。


 それらが導き出す結論を直感で得たラグロスが我に返り足音の主を探した。


「少し、良いだろうか?」

「……構わない」


 足音の主は少女と同じような白ローブを着込み、フードを目深く被った男だった。

 ラグロスは少女と目の前の男の関係を思案しながら、男の動向を警戒する。


「今しがたここを私と同じローブを着た者が通らなかっただろうか?」

「……ああ、見た」


 袋の中で少女がたじろぐ。

 ここでラグロスが少女のことをばらせば一巻の終わりだ。

 今からでも逃げ出すべきかと迷う少女を置いて、彼は言葉を続ける。


「大通りを抜けてあっちにいったよ。ぶつかられたせいでこのざまさ」


 思ったよりさらりと嘘をつけたことにラグロスは自分で驚いた。

 しかし、そのことは表に出さないよう押し隠し、目の前の男を見つめ返した。

 お前もその仲間かと言わんばかりに、仮初めの嫌悪感を顔に作る。


「そうか、情報感謝する。その者を追っているため貴方の手伝いは出来ないが……これで代わりとして頂きたい」

「……ああ、ありがとよ」


 白ローブの男がピンと指で硬貨を弾く。


 嘘をついたのにお礼を貰ったラグロスが罪悪感で僅かに眉をひそめるが、今は演じることに徹する。

 その甲斐あって、男はそのまま大通りへと走っていった。


 ローブ男の後ろ姿をしばらく目で追っていたラグロスはローブが夜闇に消えていくのを確認し、ほっと息をつく。


「……もういいぞ」


 ラグロスの声で少女が袋から顔を出す。

 彼女の表情からまだ警戒の色は抜けていなかったが、しばらく周囲を見渡して安全を確認すると安堵の息を吐いた。


「……助かったわ」

「……それは良いけど、戻すのを手伝ってくれよ?」

「……」


 少女は自分がぶちまけた荷物の群れを見て顔を歪ませた。


 出来れば今のうちにどこかに隠れたい。だが、助けてもらったのにそれを無下にするのも避けたい。

 何より、このまま逃げ出したことを根に持ったラグロスが白ローブの男に少女のことをばらされても困る。


「……分かったわ」

「──ふんっ」


 長い沈黙の末、少女は頷いた。

 不承不承の態度を隠さない少女にラグロスは不機嫌そうに鼻を鳴らして屈みこむ。

 互いの第一印象は最悪だったと言えよう。

 ともあれ、彼らは無言で荷物を袋に戻す作業を始めた。


「……なぁ」


 その途中、ラグロスは少女の背中に目を向ける。

 先程見えた白い翼はもうローブに隠されて見えない。見間違いだったかと首を傾げた彼は好奇心のままに口を開く。


 いつもの彼なら、見ず知らずの他人にそこまで深入りすることはなかった。

 だが、迷惑をかけられたのもあり、このくらいなら良いだろうと思ってしまったのだ。


「何?」

「翼があるけど──ッ!?」


 鳥人か、と尋ねようとしたラグロスを少女が組み伏せた。

 仮にも探索者として活動している彼が一切反応できない程の速度だった。


 ラグロスの体を馬乗りの形で押さえつけている少女は、フードの奥で金の瞳を煌めかせ彼を睨みつけた。

 突然のことにラグロスが抵抗しようともがくが、目の前の華奢な体からとは思えないほどの力で動けない。いわゆるツボのようなものを押されているのではなく、シンプルな力量差で負けている。


「お、おい!?」

「──黙って」


 少女がを広げた。見間違えかと疑っていたものを直視したラグロスが目を見開く。

 腕から生えている鳥人とは違い、腕と翼の動きが一致していない──完全に背中から生えている。


「──!」


 何かしらの事情があることはラグロスにもすぐに分かった。

 しかし、弁明をしようとする彼の口からは言葉が出ない。さらに言えば音も出なかった。


(これ……魔力か!?)


 遅れて今の現象が魔力によるものだとラグロスが気付く。

 少女から発せられる魔力がローブをはためかせ、少女のフードを取り払う。


「……」


 再びラグロスが音を失う。

 しかし、それは外からではなく自分から。少女の美しさに見惚れての物だった。


 フードに隠された少女の鮮やかな白い髪が垂らされる。首元の横で結ばれていた髪の束がラグロスの胸元を漂った。

 白銀を思わせる髪と、どこまでも見通すような金の瞳。

 人形を思わせる完成された顔と、およそ人のものでない白翼。


 お伽噺に現れる天使の姿そのものだった。


「……」

「……? ──うぐっ!?」


 魔力を使わずとも動かなくなったラグロス。

 これ幸いと天使が怪しく瞳を紫に輝かせ、青年の胸に指を沿わせて何かを描く。


 彼の胸元から光が輝き、その光にラグロスが首を傾げると体に異変が走る。視界には映っていないが、彼の服の中、胸元に不可思議な紋様が浮かんでいた。


 何か痺れるような感触が体を駆け巡り、一周し終えるとその違和感は消えていく。

 少女がラグロスの上から退いたのもあり、彼は慌てて彼女へ詰め寄った。


「な、何を!?」

「頭が高いわ、“ひれ伏しなさい”」

「は!? あぐっ!?」


 途端に強気な口調になった少女に混乱したまま、ラグロスの体が勝手に膝をついて頭を地につける。


「記憶は……後でいいわね。“それ、早く片付けて”」

「お前……!?」


 ラグロスの意思に反して、彼の体が散乱する荷物の片付けを行う。

 彼女がラグロスに施した紋様は自身の言いなりにさせるもの。


 天使である少女から見て人間のラグロスは下等生物だ。隷属させる術を使うことに躊躇はなかった。


 だが、彼女も荷物を無視して自身の安全を優先するのには僅かな罪悪感があり、自身のプライドとの兼ね合いの妥協案としてラグロスに片づけを任せた。


 もとより持ち出していた荷物は少ない。


 共同資産に当たるものが多かったのと、ラグロスの少ない攻撃手段を補うための道具類と仕送りにお金も消費している。

 いわゆる趣向品はほとんどなかった。


「……終わったぞ」


 さして時間もかかることなく片づけを終えたラグロスが背嚢を背負って立ち上がる。

 彼の目は少女を訝しんでいたものの、また何か命令されては困るので沈黙を貫いた。


「そ。じゃあ、“どこか休める場所へ連れて行って”」

「……」


 ラグロスが言葉を発する前に彼の体が動く。

 主導権を奪われているラグロスは、方角から探索者を始めたころに使っていた宿屋へ向かっていると推測した。


「あ、あー……。これ、いつになったら解放してくれるんだ?」

「……もう少し後。悪いようにはしないわ」


 声が出ることを確認してからラグロスが尋ねる。

 随分な仕打ちではあったものの、彼から見て少女は犯罪者には見えない。

 着ているローブも、先程触れた布の触り心地からして高級品だ。


 彼女を追いかけていた男も同じローブを着ていたことからも、単純な話ではないと推測する。

 加えて、今はやることもない。長時間拘束されるのでないなら、非日常を楽しむつもりだった。

 どうせしばらくは暇になる予定だ、丁度いいだろう。


「あいよ」


 ラグロスは素直に了承し、自分から宿屋へ動き出そうと意識する。

 すると、体の主導権が一部帰って来た。ぎこちない動きが滑らかになったことで少女がたじろいだ。


 命令しているはずの体が滑らかに動く。

 それは、支配されている側が意識的に命令を遂行している証明でもあった。


「おい、行かないのか?」

「……いえ、行くわ」


 立ち止まった少女を気にして振り返るラグロス。

 およそ命令されている側とは思えない動きに困惑しながらも少女は彼の後を追った。

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