諸刃の剣士は迷宮征きし白翼を追う

青空

上層:天使との邂逅

諸刃の剣

 神の修練場──中層。岩山地帯で五人の探索者が異形の魔物──迷宮生物と戦闘を繰り広げている。


「ルーツェ! ラグロスの所に引きつけてくれ! “シルフィード”!」


 灰色長髪の青年がロングソードで蜂型迷宮生物、ニードルビーを切り飛ばし、長い青髪をポニーテールにした少女へと叫ぶ。

 彼が叫びと同時に唱えたスキルが光の粒子となって少女へまとわりつく。


「了解」


 シルフィードと呼ばれる軽量化のスキルを貰った女性、ルーツェは巨人型迷宮生物、タイタンの棍棒を軽やかに避ける。猫のようなしなやかな身のこなしでそのまま右へ左へ、時には宙へ。

 踊るようにステップを踏んで攻撃を避けながら後方へ誘導する。


 そのまま後退し続けるルーツェの先には大剣を担いだ茶髪の青年が待ち構えていた。


「ドーさんも頼む! “チャージ”!」

「もちろんです。“ブーストエリア”」


 青年が腰を深く落として、大剣を腰だめに構える。彼が唱えたスキルが光の粒子となって自身に纏わりついて筋力を増強、手に握った大剣の柄を僅かにへこませた。


 そんな彼の後方で槍を構える黒髪の中年男性もスキルを唱える。すると、青年の足元から赤く発光する円が生まれた。

 円の上に居る青年の光がさらに増し、彼が握る大剣の柄から軋んだ音が鳴りだす。


「ラグロス! あとはお願い!」

「おうよ!」


 ルーツェが青年、ラグロスにタイタンを擦り付ける形ですれ違う。

 頭の悪いタイタンの狙いもちょこまかと動く女から、狙ってくれと言わんばかりに仁王立ちをする男へと移った。


 ──なんと矮小な生き物か。押しつぶしてやろう。


 腰よりも小さい生き物が正面から挑んできたことにタイタンの口が嘲笑で歪み、大きく棍棒を振り上げる。


 対する青年は大剣を構えたまま動かない。

 じっと力を蓄える彼に応えるよう、光の粒子は輝きを強める。


「オオォォー!!」


 小細工ごと潰さんとタイタンが棍棒を振り下ろす。


(ここだっ!)


「──はァァァ!」


 青年は致死の一撃から逃げ出すこともなく、構えた大剣を振り上げた。


 棍棒と大剣がかち合い、周囲に走った衝撃波がぐんと岩肌を駆け抜け、石礫を震わせ、探索者たちの髪を撫でる。

 はた目から見れば体格的にも負け試合にしか見えないと言うのに、せめぎ合う両者の武器。

 簡単に押しつぶせると楽観視していたタイタンの目が一杯に開かれた。

 しかし、これは一対一ではなく一対五。悠長にしている暇など残されていない。


「“クイックバレット”!」


 桃色の髪をおさげにした少女が樫の杖を振りかざす。

 先端に施された無色の魔石が輝き、虚空から小さな魔弾が連続で放たれる。


 風を切った魔弾は吸い込まれるようにタイタンの顔へ命中。威力は小さくとも人体の弱点である頭部に当たれば、さすがの巨人と言えどたじろいだ。


「──らッ!」


 棍棒の勢いが緩めば、当然均衡も崩れる。

 相手の勢いが緩んだことを感じ取ったラグロスはさらに前へと踏み込み、棍棒を弾き飛ばしながらタイタンの頭部へ一閃。


 刃こぼれが激しく、刃物というよりは鈍器に近いそれをまともに受けたタイタンの頭がひしゃげる。

 そのまま後ろへと倒れ込み、灰のような塵と化して霧散した。


「……ふぅ──ッ」


 ラグロスが安堵の息を吐く。同時に鋭い痛みが彼のつま先から脳天までを駆け抜ける。

 何倍も体格差のある迷宮生物を一撃で仕留める一撃。それは青年の身にも返って来る諸刃の剣だった。


 その証拠に、内出血で彼の両腕が紫に染まっている。

 下手に血濡れでない分軽い怪我にも見えるが、もう今日は彼がこの一撃を振るうことは出来ない。

 痛みに慣れていないものなら、その場で悶えて動けないほどの激痛。じんじんと血流の脈動に合わせ本能が訴える危険信号。


 しかし、痛みに慣れてしまったラグロスが痺れが走る腕に顔をしかめることはあれ、声を上げることはない。精々、今日はやりすぎたかと若干の後悔を覚える程度。


 強いて言えば、この程度しか出来ないのかと何度も抱いた劣等感に内心ため息を吐くくらいだ。


「大丈夫か?」

「何度も言ってるだろリット。慣れっこだ」

「……その腕がどう見ても大丈夫じゃないから言っている──ドーさん回復お願い」


 今日で十回目の全力戦闘を終えたことを確認し、灰色長髪の青年──リットがラグロスの身を案じる。


 ラグロスにしてみれば、己の武器はこれしかない。それにこの無茶ぶりのお陰でチャージを用いた攻撃回数も少なからず増えている。下手な筋トレよりも効果的だろう。

 故に、彼は痛みを訴える体に鞭打って無理やり笑顔を浮かべた。


「“ヒーリングエリア”。ラグロス君、無理をしないようにと言っているでしょう?」


 ドーさんと皆から呼ばれる中年男性、ドーレルは意地を張るラグロスをたしなめながらスキルを唱える。

 すると、ラグロスを中心に現れた薄緑の円陣が光の粒子を放ち、彼の体へとまとわりついて癒し始める。


 ドーレルはこの探索者の一党の保護者的存在だった。

 年の功もあり、迷宮生物との戦闘経験も豊富な彼は無茶が死を招くとよく知っている。

 だが、若い者が素直にそれを聞き受けないことも知っていた。加えて、ラグロスが無茶をする理由も。


 だから、窘めることはあれ無理に止めることはない。


「リット君。やっぱりこのルートはやめようよ。ラグロス君の負担が大きいもん」

「……僕も分かっているよ、チリー。とにかく今日は戻ろう」

「ん。稼ぎも十分」


 先程は杖を振るっていたおさげの少女、チリーから上目遣いで頼まれたリットは深く頷く。

 彼らの後ろでタイタンが残していった無色魔石を拾っていたルーツェも、頷きと共に青色の髪を揺らして賛同した。




 *



 港町シーフィル。

 ここには神の迷宮と総称される特異な迷宮の一つ──神の修練場があることで有名だ。

 様々な特異性故、神の迷宮と称される場所付近には町が栄えている。


 ラグロス達一行もシーフィルを拠点に迷宮へ潜り、深部を目指す探索者たちだ。

 そんな彼らはいつも利用している宿に戻り、夕食を囲みながら話し合いをしていた。


「チリー。心配してくれるのは嬉しいけどよ、俺らにはこれが一番合ってんだ」

「あたしはそう思えないよ!」


 話題は彼らの戦い方の話だった。


 身軽なリットとルーツェが敵を惹きつけ、硬いものはラグロスが切り伏せる。

 それをチリーやドーレルがサポートするのがいつもの布陣だった。


 この隊形の経緯は主に神の修練場の特異性にある。


 迷宮内の敵を倒すことで稀に会得できるスキル。

 得られるものは探索者達の素質に依存し、リットは対象を身軽にさせる“シルフィード”、ルーツェは幻影を作る“ミラージュ”を会得していた。彼らが敵を惹きつけるのも囮役に長けているせいだ。


 そして、ラグロスが会得しているスキルは“チャージ”と呼ばれるもの。

 自身を鈍重にする代わりに肉体を強化するこのスキルは、どんな敵に対しても確かな攻撃力を持っていた。


 だが、彼には斬撃をより鋭くする“スラッシュ”のような攻撃スキルと呼ばれるものを持っていなかった。

 “チャージ”は汎用性が高く探索者の間でも優秀である。しかし、それは攻撃スキルと組み合わせて高い効果を発揮するのだ。


 “チャージ”のみに頼るには強化度合いによって重さを増す体が邪魔になる。

 しかし、ラグロスには“チャージ”しかない。だからこそ、先程のタイタンの攻撃に真っ向から対抗したのだ。

 だが、本来の力から逸脱した攻撃は何度も振るえるものではない。


 無理して振るった結果が毎日のように引き起こす内出血だった。


「これのお陰でわたしたちは上層を抜けて中層に来ることが出来た。でも、チリーが言うことも間違ってない」


 今も食事をしているラグロスは腕を巻き付けた氷嚢ひょうのうで冷やしていた。

 そんな彼を見て、ルーツェもチリーに一部賛同する。


「けどな……」


 ラグロスもこれが無茶であることは重々分かっていた。

 だが、このパーティにラグロスが居る限り、彼の役目は必然的にこうなってしまう。


 もとより、彼らのパーティはラグロスを除き、機動戦に強い。


 リットやルーツェは勿論のこと、威力こそ低いが出が早い“クイックバレット”を持つチリーに、足りない威力を補う“ブーストエリア”を持つドーレル。

 ここにラグロスが増えることで相手取れる迷宮生物は増えたが、彼らの強みを殺している。


 だが、ラグロスがそれを言い出すことはない。

 ちぐはぐであることは皆が承知している。このパーティを組んだ時点で分かり切っていた事実だ。


「……」


 リットがそれ以上は言うなとラグロスを目線で咎める。

 彼も分かっていると僅かに頷くことで応えた。軽いアイコンタクトで意思疎通が出来るくらいに彼らの仲は深い。だからこそ、決断も出なかった。


 このパーティは寄せ集めだった。

 スキルは主に複数得られるもの。しかし、彼らが所持している数は一つか二つ。故に他の探索者とパーティを組み辛かった。


 それでも完全にあぶれるほどではなかったが、固定のパーティを組むことはできない。

 それを嫌ったリットとチリーが同じくあぶれていたラグロス達三人を集めたのだ。


 中級者として認められる中層を探索できているのは彼らの努力の賜物と奇跡故だ。


 ここから先へ行くにはラグロスと入れ替わりでより機動戦に特化できる探索者を入れた方がいい。

 ラグロスとリットの共通認識であり、同時にそれを認めるラグロスと認めたくないリットですれ違っていた。


 気まずい雰囲気のまま食事が進む。時間が経つにつれかちゃかちゃと食器の鳴る音だけが良く聞こえた。

 ドーレルが千切れた布を縫いなおすように何とか話を繋ぐが、雰囲気が和らぐことはなかった。



 *



「リット。いるか?」


 朝から早い探索者たちがとっくに寝静まる深夜。そろりそろりと木製の廊下を忍び足で歩く影が一つ。

 影ことラグロスが目的であるリットが寝泊まりしている部屋へたどり着きノックする。


「……ラグロスか。入っていいよ」

「おう」


 許可をもらったラグロスはなるべく静かにドアノブを捻り、ドアをくぐる。

 リットの部屋は様々なもので入り乱れていた。

 探索者らしい武具から消耗品に地図。それから粗暴なイメージのある探索者には似合わぬ経費をまとめた帳簿に何かの資料をひもで閉じたものまで。


 部屋の主は者が散乱する中央であぐらをかいている。相変わらずの散らかり具合にラグロスがため息を吐く。


「少しは掃除しろよな」

「別に使うからいいんだよ」

「……そうかよ」


 少しも恥じないリットに再度ため息を吐いたラグロスが空いている椅子に腰かける。

 ため息をいくらつこうが、ラグロスが彼の部屋を無理やり掃除することはない。


 事実、散乱しているものはどれも迷宮探索に使えるものだ。一見飲みかけの瓶らしきものにも薬から毒薬の素材、それらを混ぜ込む投げ物がセットで置いてある。不必要なものはなかった。


「で、こんな夜更けに何の用さ? まさか夜這いじゃあるまいし」

「気色悪いこと言うな。……分かってるだろ?」

「だとしても──せめて皆の前で言いなよ」

「それが出来たら苦労しねぇよ。地元に帰るって言っときゃいいさ」


 リットが鍵付きの棚を開けてへそくりのワインとそれを注ぐためのグラスを二つを取り出した。

 そして、机にならべて瓶の蓋を抜く。


「……ま、飲みながら話そうよ」

「今夜中に出ていくから一杯だけだ」

「珍しく強引じゃん」


 強情なラグロスに、リットも口調は柔らかくとも顔を固くする。

 それを誤魔化そうと、彼はグラスにワインを注ぐことに専念した。それでも、どうにか止められないかと頭を回転させる辺り、つくづく彼はリーダーらしい人間だった。


「ここは居心地が良すぎる。つい、だらだらしちまうんだ」

「当たり前だよ、下層に三年掛けたんだからね。夫婦にだってある倦怠期も超えた」

「つまらん冗談はよせ──でも、中層はこうはいかねぇ。迷宮生物を相手取れても何度もは無理だ。稼げても先へは進めない」


 探索者は主に二種類に分けられる。

 日銭か蓄えかはともかく稼ぐことを目的にする者と、深部を目指すことを目的にする者。

 リットとチリーは後者で、その他三人は前者だった。


「だから?」

「俺の代わりに新しい奴を入れろ」

「僕が素直にそれを認めると?」

「じゃなきゃ奥へ進めねぇ。……心配すんな、俺も代わりは探しておくからよ」

「……君はどうするんだい?」


 吐き捨てるように言い放ったラグロスが不機嫌そうにワインを口に含む。

 不機嫌な割に、ワインを飲む所作は整っていた。口調と仕草が似あっておらず、まるでボタンが掛け違っているような違和感を覚える光景。


 やけに詳しいリットと何度も飲み交わしたせいで慣れてしまったせいである。

 そんな彼を見て苦笑しながらリットが尋ねる。


「さぁ? 地元へ帰って畑でも継ぐんじゃないか?」

「……君が仕送りできなくなれば親御さんはどうなるだろうね?」

「無理なら上層で稼ぐさ」


 ラグロスの家は貧しかった。土地を借りる小作人として貴族にこき使われる農民の家。

 彼がシーフィルに来たのも出稼ぎの意味合いが強い。探索者としてそこそこの稼ぎを得た今は十分な仕送りができていたが、それを辞めてしまえばどうなるかなど想像に易い。


「……馬鹿だね」

「バカだから探索者やってんだよ」

「それ、俺達にも言ってるのと同義じゃない?」

「うっせぇ」


 いつのまにかグラスの中身は空になっていた。

 ラグロスが中身を確認せずにグラスを傾け、空だと遅れて気付く。


「おかわりは?」

「いらねぇ。もう行くからな……俺だけ贅沢出来ねぇし」

「そ。荷物は?」

「外にまとめてる」


 グラスをリットに突き出し、ラグロスが椅子から立ち上がる。もう少し話していたい気持ちはあった。

 けれど、この気持ちがこのパーティをいつまでも燻らせている。少なくとも、彼はそう思い込んでいる。絆されないように早く出ようと気持ちが急いた結果だ。


 背を向けた彼にリットがため息を吐きながら呼びかける。考えなしの彼だから一時の感情だろうと高をくくっていた。

 しかし、もう準備万端なラグロスに彼は言葉を詰まらせ、仕方なく諦観のこもったため息を吐いた。


「……本気って訳か」

「言ったろ?」


 今日初めて見たラグロスの笑みにリットも苦い笑みを浮かべるしかなかった。

 憑き物が取れたような彼の笑みを見て、リットにはこれ以上止める言葉が思いつかなかったのだ。

 むしろ、送り出すことこそが友人なりの礼儀なのではと錯覚するほど。


「じゃ、またな」

「……あぁ、また。いつでも待ってるよ」


 だから、命綱なしで飛び降りようとするラグロスに一応の保険をかけてあげることにした。

 それが誰にとっての保険かは彼らにも分からないが、そうすべきだとリットは思っていた。


「……」


 出来れば忘れたい善意の言葉を無視して、ラグロスは足早に部屋を出た。

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