第13話
まさかこうなるとは思わなかった。
高校生だったあの頃の自分に、教えてあげたい気分だ。
Rinだった人と付き合うことになるよ、出会えるよ、と伝えたら、あの頃の自分はすんなり信じることができるだろうか。
倫太郎の家に引っ越して、一週間が過ぎた。
泣いて小さくなって背中を向けた倫太郎にうっかり惚れてしまったので、いろいろなことをすっ飛ばしている倫太郎に突っ込まずそのまま同棲を始める。
まともな人間性、さようなら。
倫太郎にしばらく養われることになるけれど、ずっと甘えることはせずに、自分の貯金の残高と相談しつつそのうち仕事を見つけてお金を稼ぐ予定だ。
もともと半年くらいは働かないつもりだったので、倫太郎と過ごす時間を今のタイミングでたくさん作れるのは幸せなことかもしれない。
倫太郎はかなり面倒くさい、というか、繊細で、自己嫌悪も激しくて、喜怒哀楽も激しい。怒哀が特に激しい。
しかし、それを上回るほどに秘めたセンスがあって、何をさせても飛び抜けているのに、それを自分で認めることができない性格のようだった。
これを良いと思う人間は審美眼に欠ける、ということらしい。
審美眼に欠けた人間がここに一人いるけれど、それは『Colorful』にご執心な様子からとっくにばれているみたいだ。
お給料はもらわないけれど、一日三食きっちり作って倫太郎とご飯を食べる。
食費は折半する予定だったが、倫太郎がより美味しい素材で作れとかなんとか言い出して、結局全部出している。
お前がもし一人ならその素材は買っていないだろう、だが、俺がそれがいいと言ったから出すのは俺だ、と譲らない。
そういう、俺様なところもある。
言動は俺様なんだけれど、自信家ではないというところが倫太郎の精神的不安定な部分だろう。
どんな性格なのかを少しずつ知って、倫太郎という人と真面目に向き合ったら、好きな気持ちは確かになって継続的なものにもなった。
ソファーに座ってスマホで音を作っていた倫太郎の膝の上に座る。
作業をやめてぽいっとソファーにスマホを投げた倫太郎が、慣れた動作で私の腰に腕を回した。
「邪魔した?」
「お前が動画見てたから暇で遊んでただけ」
「聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「……なんだ」
「『パロン』の飼い主のマリアさんが最新動画で話してたんだけど、BGMを募集したときに明らかにほかとクオリティの違うBGMが来たんだって。無償で受け取るのが怖くて使えなかったって話してる。まさか送り先を間違ったんじゃないかとも思ってるって言ってるんだけど、これ、倫太郎?」
「俺じゃない」
「嘘をついたら離れます」
「俺」
「『パロン』見てたの?」
「お前が好きだって言ったからちょっと調べた、だけ」
「動画サイトの履歴見ていい?」
「全部上がってるのは見た。……別に、犬に興味ねーけど」
「全部見るのはファンだよ、もう」
「じゃあファンってことでいい」
顔を隠すために抱き締めてきたので、力を込めて押し返す。
恥ずかしがっているようだ。
「俺も聞きたいことがある」
「なに?」
「いつになったら、聞くのやめんの」
「『Colorful』のこと?」
「そう。お前が好きだから黙ってるけど、毎朝毎晩自分の歌なんか聞きたくねぇんだけど」
「聞くのはやめないよ。習慣みたいなものだし、やめたら体調崩す」
「……そればっか聞いて、飽きねーの」
「飽きないよ」
倫太郎はかなり嫌そうな顔をしているけれど、『Colorful』を取り上げられたら倫太郎と一緒にいることもやめたくなるかもしれない。
これ本当に冗談抜きで、そうなる可能性が高い。
『Colorful』はRinが歌っている曲というだけではなくて、お母さんの絵やおばあちゃんとの日々を聞きながら思い出す曲だから、それを禁止されてしまったら心が死んでいくと思う。
いない間に聞くこともできるが、基本的に倫太郎は引きこもりで一人で外に出ることはない。
「やばいこと考えてるだろ、いま」
「え、考えてそうだった?」
「聞いていいからそういう空気出すな」
「どんな空気?」
「俺のことを捨てそうな空気」
「言葉が悪すぎない?そんなことしないし、捨てるとか言うのよくないよ。別れるの間違いでしょ」
「別れたら俺は一生お前のことを付け回す」
「絶対にしそう」
好きか嫌いか、という感情に対してはいまいちよくわからないらしく、倫太郎はいつも悩む。
けれど、言動は確実に私のことが好きなので、そのうち感情に名前がついて自覚してくれたらいいなと思っている。
ストーカー宣言をしている倫太郎に笑いつつ、通知が鳴ったメッセージアプリを開く。
一応、唯一の身内となる叔父に新しい住所を送っていて、その返事が来たようだ。
生活は大丈夫なのか、と心配するメッセージ。
このマンションのことを知っているのか、調べたのか。たぶん、これは家賃のことについての話だろう。
私がこんなにいいところに自力で住めるはずがないので、叔父の心配に苦笑してしまった。
退去をお願いされたときは、特に理由も聞かなかった。出て行ってほしいんだなとそれだけ思って、アパートを見つけて引っ越したから今も知らない。
「嫌なことか?」
「ううん。叔父がいるんだけど、アパートから急にマンションに引っ越したことを心配してくれてる、のかな」
「ふーん」
家族のこと、上京したときのこと、仕事で疲れて今こうなっていること、全てを少しずつ倫太郎には話してある。
倫太郎の家族のことも、『Colorful』を出した経緯も聞いた。
お母さんの絵を好きだと倫太郎が言ってくれたから、ジャケットの原画はリビングの一番目立つところに飾ってある。
「……お、お前、よく考えたら、身内がそいつだけか?」
「急にどうしたの」
「俺と結婚しろ!お前がどうかなったときに、そいつが世話をするのはおかしいだろ!」
思いがけない方向からのプロポーズについ笑った。
確かにそうなるけれど、それが理由で結婚を申し込まれることになるなんて。
「倫太郎がお世話してくれるの?」
「他のやつがするのは……無理だ……」
頭を抱えてそう言われると余計に面白くて、倫太郎に抱き着く。
「倫太郎がどうにかなったときは、私がお世話してもいいの?」
「段階による。俺が動けなくなったら殺せ」
「恐ろしいことを言い出したね……」
そんなことができるはずもないのに、真面目な顔をして言われるとかなり返答に困る。
倫太郎が動かくなっても、そばにいて過ごしたい。
そのためには、働かなくてもいいくらいのお金を稼いでおかなくちゃならないだろう。
「もう仕事をしようかな……」
「俺が雇う」
「働かなくても一生いきていけるくらいのお金を貯めたいんだよ」
「俺の財産を全部お前にやる、足りなかったら稼ぐ」
「倫太郎がもし寝たきりになっても、離れないでずっと一緒にいられるように、お金を稼ぎたいなーってことなんだけど」
「俺のをやる」
「話きいてた?」
「お前こそ俺の話を聞け。いいか、俺が寝たきりになったら、お前が俺のそばにいるために、俺が金を支払うってことだ」
「そこに倫太郎がお金を払ってるのが嫌なんだよ」
「そもそも結婚したら俺の財産はお前のものになる、お前はすでに働かなくても生きていけるんだから、仕事をしなくてもいい」
「まだ結婚してませんが」
「する」
「するんだ……」
倫太郎が譲らないときは何をいっても堂々巡りになるので、倫太郎ルールが出てきたら諦めて聞く体制に入るのが賢いやり方だ。
自分で稼いだお金で自分のことをなんとかしたいだとか、倫太郎になにかしたいと思う気持ちはまともなはずなんだけれど、倫太郎にとっては「はぁ?」ということらしい。
「婚姻届を印刷してくる」
「今から!?」
「書き終わったら出しに行くが、そういうのは一緒に行きたいか?」
「行きたーい。帰りにスーパー寄ってほしい」
「……買い物はネットでしたらいいだろ。お前、攫われたらどうするつもり?俺が死ぬぞ」
「スーパーに危険が潜み過ぎじゃない?」
「俺から離れるなよ、絶対に離れるな。約束できるな?」
「私もしかして知らない間にスナイパーとかに狙われてる?」
怖い顔をしている倫太郎に、どちらかというと倫太郎のほうが心配だよ、と心の中で反論する。
三食しっかり食べて睡眠もしっかりとるようになった倫太郎は、モデルにでもなれそうな男の子になってしまった。
不健康な影が徐々に薄れて、いまは目の下の隈が少しだけ残っているくらい。
目つきはちょっと悪いけれど、その雰囲気がまた目を引くというか、こそっと「あの人かっこよくない?」と囁かれるくらいには何もしてなくてもかっこいい。
昔の写真が少しだけあって見せてもらったが、コンクールに出ていたときの倫太郎はセクシーさを兼ね備えた王子様のようで、当時はかなりモテたんだろうなと容易に察しがついた。
細身なのは変わっていないけれど、がりがりという雰囲気も和らいでいて、これから食事を重ねるごとに体は肉付きがよくなっていくだろう。
引きこもりじゃなかったら、きっとたくさんの女の子が倫太郎のことを好きになったと思う。
婚姻届を印刷してきて、記入例を見ながら書いていく。
証人やらなんやら必要になって、すぐの提出は無理なことが判明した。
倫太郎が勝手に書いてしまおうとしたので、法に触れることはしちゃいけませんと止める。
結婚することに否やはないので、倫太郎のご両親にきちんと報告して、証人を見つけて、それからにしようと説得した。
倫太郎はすぐにでもご両親のところに行こうとしたが、流石にご両親は忙しいようで、すぐには会えないことが分かった。
「しょうがないよ、でもスーパーは行こう」
「前に食べたあれがもう一度食べたい、肉溶かしたやつ」
「圧力鍋で煮込んだビーフシチューね」
肉溶かしたとか言われると危ない気がするから、言い方には本当に気を付けてほしい。
けれども、初めて倫太郎が自分から食べたいものをリクエストしてくれたので、嬉しくて顔がにやける。
「笑うな」
「嬉しいから、つい」
「俺が食いたいもの言うだけで、お前はそんなに嬉しいの?」
「嬉しいよ」
「ふーん」
スーパーに行こうと言ったはずなのに、倫太郎が私を横抱きにして持ち上げた。
もうそんなに筋力がついたのかと驚いてされるがままになってしまう。
ベッドルームに降ろされて、嫌な予感がした。
スーパーに行こうって言ったのに。
「なんでそうなったの」
「お前が笑ったから」
「……ちゃんとスーパーいく?」
「うん、あとで連れてく」
「じゃあいいよ」
「凛音、かわいい」
倫太郎はそういうときだけ名前で呼ぶ。
普段は頑なに名前を呼ばないくせに。
「倫太郎もかわいいよ」
「めちゃくちゃにされたいか?」
「されてもいいよ、やり返すけど」
「俺はお前がやり返してきたら、心が耐えられない」
「なにを想像したの」
泣かないように必死で顔をしかめるので、抱き締めて胸に頭を寄せる。
急に何かを想像して泣き出すことはよくあるけれど、どんなことを私にされているのか全然話してくれない。
お前はずるいだとか、お前は性格が悪いだとか、身に覚えがない罪を倫太郎は責めてくる。
話を聞き出したあとは、倫太郎が被害妄想のし過ぎて傷付いてしまっていることが分かるので、しょうがないなぁこの人、と思いつつ受け止める。
私が笑いかけるだけで、この世で一番自分が幸せみたいな顔をする人だから、面倒な部分も可愛く思えた。
「好きだよ」
「俺もたぶん、好きだと思う」
「私が倫太郎のことを嫌いって言ったらどう思う?」
「死ぬ」
「どう思うって聞いたのに……」
「考えただけで吐きそう」
「ごめんって。考えないでいいよ、好きだから」
「凛音に嫌われたら俺は生きていけない」
死にそうな声で縋りつくので、倫太郎がやりたいようにやらせることにした。
力を抜いて、身を任せる。
「お好きにどうぞ」
「そういうところが俺の頭をめちゃくちゃにする」
首筋に触れる唇の感触を感じながら、目を閉じる。
倫太郎がいつか、私を許してくれますように。
知らずに追い詰めて、知らずに深い傷を付けた私を、許して恋してくれますように。
そう願う日が、なくなりますように。
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