第11話
ご立派なダイニングテーブルはゆうに六人くらい座れる広さがあるが、椅子は四脚しかない。
「ここにも座ったのは初めてだな」
「どういう生活してるの……」
「仕事部屋とリビングのソファーしか使わない生活」
別に何も変なことは言っていない、というような顔をしているのでもったいないと残念に思った。
多くの人が憧れるような環境で生活しているだろうに、当の本人は全然その環境を使わないなんて皮肉な話だ。
「うまいな」
「あ、美味しい?よかった」
「次も頼む、ちゃんと払うし」
「なにが食べたいか言ってくれたら作るけど……なにが好きなの?」
「さぁ?」
「さぁって……まぁ、いいか。食べられないものとかある?」
「……ないんじゃねぇの、たぶん」
「見つかったら言って」
「わかった」
少しずつ、少しずつ、大事そうに食べる姿がもどかしい。
定期的に食事を配送してくれるサービスなどもあった気がするし、食べることを拒否しているわけでもないなら、そのへんをおすすめするのもいいかもしれない。
「食事の配送とか調べてみたらどう?」
「お前がいるのに?」
「ああ……そう……」
どれだけの量を作らせる気なんだろう。
毎食作れってことなのか、他は買って済ませるのか。
「頻度は?食事を作って届けて欲しい頻度」
「…………お前、仕事は?」
「今は無職。いろいろあってお休みしてるの」
「無職?なんで?」
「いろいろあってって今、言ったけど、聞こえてない?」
「すぐ怒るな、お前……俺もすぐイライラするけどお前も相当に短気だろ」
「人から短気って言われたのは初めて」
「分かったよ、聞かねぇよ。別にそこまで知りたいと思ってない。無職なら俺が雇う」
とんでもないことを言い出したので、本気かと疑ってしまった。
目を見る限り、冗談のつもりはないようで、真剣な顔をしている。
「雇うって、何で?私、音楽のことは何もわからないけど」
「俺の仕事を手伝えって言ってるんじゃない、俺に飯を作ってくれたらいい」
「……この家で?」
「それはどっちでも……あー、いや、この家で」
「いま、どっちでもって言わなかった?」
「うるせーな。給料ってどれくらいがいいの?月50万くらいで足りんの?」
「……社会に出たことある?」
「ねーよ。足りんの?」
「多すぎるよ」
「じゃあ40万」
「良心と汚い欲がいませめぎ合ってるからちょっとまって」
いたいけな19歳から、それだけの給料を騙しとっていいのか悩む。
心の底からお金は欲しいが、このまま頷いたら人間としてまずい気がする。
おばあちゃんに顔向けができない。
条件をまず聞いて、それに見合う金額じゃないといけない。
「食事を作りに来るのが業務内容?」
「そうだな。三食、いや、別に一食でいいや、毎日一食作ってくれたらそれでいい」
「時間は?」
「別にいつでもいい。あー、いや、お前ここに住め」
「住み込み!?」
「お前の家、防犯のレベルがおかしいだろうが。なんであんなところに住んでんだよ、馬鹿なのかと思った」
「ひどい言われよう……家賃が五万円きっかりなんだよ」
「じゃあそれも俺が出す、給料と五万払うからここに住め」
「ごめん、なんで払おうとしてるの?話がおかしいことになってる。私の家の家賃を払うってなに?部屋は維持したままってこと?」
「それは好きにしたらいいだろ、そんなに気に入ってんのか?」
「……日本語が通じてない?」
「馬鹿にすんなよ、ぶん殴るぞ。お前が金に困ってあの家に住んでるって言うから俺が出すって言ってんだよ。引っ越せないならその家の家賃に当てりゃいいし、引っ越せるならその金持ってりゃいいだろ、家賃補助ってやつだよ」
「そういう制度は知ってるんだ。住み込みなら別に家賃補助は必要ないと思うけど……あ、住み込みの条件に家賃があるってこと?」
「ねーよ」
「じゃあなおさら貰えないよ」
「めんどくさいな、お前」
鬱陶しそうに見てくるけれど、普通じゃないことを言っているのは倫太郎の方だ。
頭を整理する。
住み込みで一日一食作ってくれたら、給料として40万。
どう考えても割に合っていない。
ただ、引っ越し費用を考えたら、初任給はそれくらいあったほうが助かる。
真剣に悩んで、はっと我に返る。
危なかった。
降って湧いた好条件にまともな思考を奪われていた。
そもそもお金持ちであろう男の子の家に、住み込みで女が住むことは有り得ない。真っ当な人間なら、こんなおかしな話は真に受けないはずだ。
「倫太郎、やっぱり、男女が同じ家に住んで食事を作るだけの勤務形態は普通じゃないし、バイトみたいな感じでご飯を作って持ってくるよ。材料費と手間賃くらいもらえたらいいバイトになるし」
「いや、住んだほうがいい」
「頑なにそこにこだわる理由はなんなの……」
「あの家はやめろ」
「……心配してくれるのはありがたいけど、今まで住んできてるから大丈夫なことは分かってるよ」
「俺と住むのがそんなに嫌かよ」
「嫌か嫌じゃないかの話ではなくて」
「じゃあなに?嫌だから拒否してんだろ」
米粒ひとつ残さずに食べきって、倫太郎が睨んでくる。
そもそもなんの関係もない男女が同じ家に住むことがまずありえない、ということを倫太郎は分からないんだろうか。
そんなことはないと思うが、逆に分かった上で言ってるのかもしれない。
ただ、そうなると、触れにくい。
「倫太郎は知らない女と一緒に住むことが普通だと思ってるの?」
「結婚してないのに住むのはおかしいって言いたいのか?」
「いろいろすっ飛んでるけど、そういうことになるかな……なるのかな……」
「じゃあ結婚すりゃいいの?」
「恋愛の全行程を省略していくつもりなの?私のことが好きなの?」
「好きなわけねーだろ。お前みてるとイライラすんだよ。嬉しそうな顔して寄ってきた癖になかなかコンビニに来ねぇし、やっと見つけたと思ったら逃げようとするし、連絡も寄越さねぇし」
前後の温度差がすごいことになってるけれど、本人は気が付いていない様子だ。
どこから話をするべきか悩んで、最初から聞いてみることにした。
「コンビニに来ないって、来るのを待ってたの?」
「一ヶ月も通った」
それはもはやストーカーなんだけれど、自覚はない、と。
「逃げようとしたのは、ごめん。前に会ったときと様子があまりにも違ったから、ちょっと怖かった」
「どう違ったんだよ」
「ゾンビみたいになってたというか……顔色も悪くて、怖かった」
「……お前が、お前が!いないから!」
「私がいないから?」
「ずっとお前のこと考えてたらなにも食えなくなって、お前が、俺の作った曲で救われたとか、言うから。気持ち悪くてなにも食えなくなったんだろうが……」
ぶつけられた言葉に背筋が凍った。
私が、そうさせたのか。
あの日、私が嬉々として語って、彼を追い詰めた。
「俺はお前から話を聞くまで、曲の影響力を知らなかった。軽い気持ちで作って、軽い気持ちで歌って、深く考えずにCDを出した。それが、誰かの人生を左右するものだとは思ってなかった」
倫太郎の言葉に血の気が引く。
さぁっと首元が冷めて、視界がぐらぐらした。
「今は、俺は、歌わない。作って、渡すだけだ。もう二度と歌うつもりはない。お前みたいな人間が、他にもいたら、俺は生きていけない」
言わなければよかった。
倫太郎に、自分のことを。
話さなければ良かった。
こんなに後悔させると分かっていたら、絶対に話さなかった。
「ごめん、なさい」
他に何を言うべきか分からなくなって、口を閉ざす。
「お前は俺のことを振り回して、俺はもう、めちゃくちゃだ」
振り回されているのは自分だと思っていた。
倫太郎のわがままに困って、戸惑って、どうしたらいいかと悩んでいた。
倫太郎のほうだって振り回されていたとは、思いもしなかった。
「もうお前に振り回されるのはたくさんだ。危ないところに住むな。俺の目の届くところにいて、お前は俺から逃げるな」
咄嗟に正常な頭が「理不尽だ」と思ったのも束の間、その思いが一瞬で消えていく。倫太郎の顔が歪んだからだ。
泣き出しそうな倫太郎に罪悪感が溢れ出す。
「……分かった、住むよ。倫太郎の家に、引っ越す」
「いつだ?」
「引っ越し業者に連絡して、見積もり出してもらったら決めるよ。また、連絡するから」
本当にこれでいいのかと悩む気持ちが消えない。
はじめ、倫太郎の執着は恋愛感情の一つかと思っていた。まさか、全く違うものだったとは気付なかった。
「今日はもう寝ようよ、遅いし」
「寝ようとかお前言うなよ、まだそんな関係じゃないだろ」
本当に好きじゃないのかちょっと疑問は残るが、好きなわけないだろと言われた手前、そうなんだろうと飲み込むしかない。
態度を見る限り、男女のそれに思えるんだが、これもただの執着なのか、よく分からなくなってきた。
「どんな関係になるつもりなの?」
「はぁ?最後は墓に入るんだろ、一緒に」
余計に倫太郎の気持ちが分からなくなってきた。もしかして、倫太郎が恋愛を知らないという可能性もある。
「倫太郎って彼女はいたことある?」
「あるに決まってるだろ。面倒くさいからすぐ別れた」
彼女がいたことがあるなら恋愛をしたことがない、は違うのか。
けれど、面倒くさくなって別れたというなら好きではなかったのか、冷めたのか。
考え込んでいたら、倫太郎に腕を掴まれた。握力が全然ないらしく、倫太郎に掴まれても痛みは全くない。
「お前は?」
「片思いならしたことはあるよ」
「誰に」
「Rin」
「あっ、そう……」
ちょっと嬉しそうにしているところ、申し訳ないが、あくまでRinであって倫太郎ではない。
片思いというほどの熱烈な感情でもなかったかもしれない。
憧れや尊敬が強かった。
「倫太郎、好きでもない相手と同じ墓に入ることは基本的にないと思うよ」
「死後にどっか行く可能性もあるよな」
「死んだことがないからそれは分からないけど、死んでみないと」
「は?お前が死ぬのは許さない」
倫太郎のこの目が苦手だ。
強い怒りを宿した、憎むような目。
恨まれているのではと思う、怖い感情。
「そういえば、メッセージに答えてなかったけど、倫太郎が死んだら、私は悲しいよ」
「お前、泣くの?」
「泣くと思う」
「じゃあ、死なねーよ」
きっと泣くだろう。
ここまで言葉をかわした相手がいなくなってしまったら、つらくて、苦しいだろう。
「お前にベッド貸してやるからそっち使えよ」
「倫太郎は?」
「ソファーで寝る」
「一緒でいいよ」
「お前……俺と同じベッドで寝たいのかよ」
「あー、うん、そう。同じベッドで寝たいから、一緒に寝よう」
「寝ようって……」
「横になって眠るのほう」
「お前がそういうなら、しょうがねぇな」
ちょっと待ってろ、と言いながら倫太郎はシャワーを浴びに行った。
横になって眠るのほうってちゃんと言ったけど、大丈夫なんだろうか。
その気で戻ってきたら寝てるのも悪いなと思って一応頑張ってみたけれど、どうしても睡魔に抗えなくて意識が眠りに落ちた。
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