第5話

あの日から眠れない。


あの女と会った日から、目蓋を閉じて横になると、あの女の感謝していますと言わんばかりの──幸せそうな、興奮した顔が思い浮かぶ。


そのたびに吐き気がして、ほぼ何も入ってない胃の中身が逆流してくる。


食欲も失せた。

なにもやる気が起きない。


気分が悪くて陽の光が気持ち悪くて、生活はめちゃくちゃだった。


それほどの影響を知らずに与えていた自分に恐ろしくなる。


賞賛の言葉も尊敬の言葉も、なに一ついらなかった。


才能があるだとか持て囃される度に、気分が悪いと思っていた。


多少のことは調べたら出てくる世の中で、流行りを調べてそれっぽい曲を作って提供して、たまにつまらなくなって流行りから大きく外れた曲を作った。


馬鹿みたいに単純な思考で曲を作っていただけなのに、誰かの人生を揺るがすほどの影響力があるという。


そんなものを自分が作り出していると思うとすぐにでも死にたくなった。


その反面、なんで俺が死ななきゃいけねぇんだよ、価値を正しく見抜けない奴らが悪いだろ、そんなことを思ってイライラしてまた眠れない。


ぼんやりしながら打ち込んで作る曲でさえ、正しくしょうもないものだと言える人間が少ないんだろう。


絵画の世界と同じだ。胸糞悪い。


一週間経っても、二週間経っても、ずっとあの女を思い出す。


どうにもならなくて、どうにもできなくて、何がしたいとも決まっていないのに、俺はまたあのコンビニに行った。


同じ時間に訪れたのに、あの女はいなかった。


なぜか腹が立って仕方なくて、振り回されている自分が嫌になって、次の日もまたコンビニに行った。


そうやって消耗しながら通い続けて、一ヶ月が経った頃、やっとあの女は現れて、俺の顔を見て後ずさる。



この女、殺してやろうか──



カッとなってそんな事を一瞬だけ思い浮かべた。


本当にそうしたいと思っていた訳ではないが、女は逃げ出そうとした。


「話がある」


そういうと、恐る恐る振り返る。


車の助手席に乗るように視線で促して、運転席に座った。



女は少しもたつきながら、助手席に乗ってきた。


なんの話もなかった。


ただ、この女の顔が脳裏から離れなくて、もう一度会えばどうにかなるかもしれないと思っただけだった。


「あの、話って」

「……お前、名前なんだっけ」


こいつの名前も俺は知らない。

知ってるのは、母親の名前だけ。


そんな相手に何を話したいのか、自分でもわからない。話したいとも思っていなかったし、中身があるわけがない。


「りんね」

「は?」

「凛とした音と書いて、凛音です」

「ああ、そう」


気持ち悪い縁だなと思った。


偶然だと分かっているからこそ、余計に気持ち悪かった。


活動名がRinなのは、俺の名前が倫太郎だからだ。倫太郎が作った曲をRinが歌い、凛音が聞いた。その凛音と倫太郎がRinをきっかけに出会った。


その偶然に目眩がする。


出逢うことさえなければ気付かなくて済んだ偶然なのに、あるいは出会いがこの女の仕組んだことであったなら、よっぽどその方がマシだった。


仕組んだことには見えなかった。

何より、俺から逃げようとしたから。


さっきの怯えた顔を思い出して、またイライラした。


「あなたは?」

「……あ?なに?」

「あなたの名前は?Rinが本名なの?」

「いや、本名は倫太郎」

「倫太郎……」

「なんだよその顔は」


似合わないとでも思ったか。

お前も似合ってねーよ。


凛とした音、なんて。


「話したいことって?」

「あー……」


咄嗟に頭が回らない。

脳も体も生命維持に必死で、パフォーマンスを上げてくれる気がなさそうだ。自業自得とはいえ、体を殴り飛ばしたい気分になった。


女はなにかを話し掛けてきたが、ここ最近は会うことが目的だったせいもあって、顔を見たら気が抜けて、油断すると意識が飛びそうになる。


「お前、明日なんかあんの?」


コンビニの駐車場で寝落ちることを避けたくて、話し掛けている内容は無視したまま最低限の問い掛けを投げる。 


「話、聞いてました?明日?とくに何もないですけど、それより、体調が悪いんじゃな……」

「そう。気分が悪い。寝たい。ちょっと付き合えよ」

「なに言って」

「意識が飛びそう」


手首で頭を強く叩いて、なんとか持ち直す。


その間に家に帰って寝ないと、ここで寝落ちることになる。


女を解放すればまたコンビニに通い詰めなくてはならないと鈍い頭が叫んでいて、連れ帰ることにした。


「話が終わってねーからそのままついてきて、起きたら話す」


返事を待たずに車を発進させたら、女が焦ったようにスマホを出した。

が、よそ見できる状態ではなかった。


話し掛けられても、それが言語として入って来ない。


そのうち、俺の余裕のなさに気付いてか、女が静かになった。


家について着いてくることを確認もせずに早足に部屋に帰る。カードキーを出して鍵を開けたところまでは覚えている。



その先は記憶がなかった。


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