第4話



生まれる前から家には楽器があった。


両親の教育方針は厳しくはなかったが、音楽と共に生きることが根付いている家庭だった。


それもそのはず、両親どちらも音楽を生業にしていて、兄も姉も音楽を仕事にしている家庭で育った。


遅くに生まれた子供であった自分は大層可愛がられていたが、成長していくにつれて家族が生業とする音楽とは馴染めなくなっていった。


練習室に飾られていた油絵はクラシックミュージックに染まったこの家でたった一つ、雰囲気の違うものだった。


力強くて、明るい。


うまいだとか下手だとかそういったものを抜きにして、どうしようもなく心惹かれる絵だった。


父にその話をすると、そうだろうと嬉しそうに頷き、この画家は分かる人には分かる魅力を持った素晴らしい画家だと言った。


有名な画家ではなく、田舎の方でひっそりと暮らしているけれど、年に数回は新しい絵を描いてくれるんだと浮かれる父に母も微笑んでいた。


話を聞くと、どうやら母の知人らしく、母も彼女の描いた絵はお気に入りなのだと言った。


画家の名前を聞き出して、インターネットで検索すると今まで描いた作品のいくつかを載せている簡素なホームページが見つかった。


コンクールの練習がきついときや、クラシックがやはり好きになれないと嫌になりそうなとき、あかりの絵を見て嫌な気持ちを押し込めた。


そうして、小六まではコンクールにも出ていたが、中学に上がってからは一度も出ていない。


クラシックを奏でるよりも、ソフトに打ち込む方が好きだ。


楽器は好きだか、厳かに演奏する世界に憧れは持てなかった。


父も母も馴染めない自分を受け入れてくれたが、姉は低俗だと言って嫌がったし、兄は嫌いではないけれど馴染まないと言った。


自分がそちらの世界に馴染めないことと同じで、兄を悪く思うことはなかった。


独学で様々なことを学んで、ソフトを使っていくつも曲を作った。


どれもこれもいまいちだなと思っていたが、父の関係者から見ると昨今の音楽業界ではかなりウケるのではないかと思えるものだったらしい。


そうは言ってもらえたが、家族の中で自分だけ方向性が違うことで卑屈な気持ちになって、学校以外では部屋に引きこもりがちになった。



コンクールの練習に明け暮れていたせいで、友人と呼べるほどの相手も居なかったし、コンクールに出るのをやめたところで、自分と仲良くしようとする人間も居なかった。


家族全員顔だけは良いので、女子には声を掛けられることもあったが、一度付き合うと休日の全てと平日の貴重な時間を取られたので、すぐに別れてそれ以降は誰とも付き合うことをしなかった。


DTMに夢中になって、部屋でずっと曲を作った。


パソコン一つで作れてしまうので、外出する必要性を感じなかった。



両親は引きこもりがちな自分を心配していたが、学校にはきちんと通い成績も悪くないのでくれぐれも体調には気を付けてという言葉だけが掛けられた。


コンサートで家を空けることも多いので、自由に曲作りが出来た。


けれど、誰かに聞いて欲しいという気持ちはあまりなく、自己満足のための曲作りだった。


慣れてきて、自分の中でもほどほどに良いと思える曲がちらほら出てきた頃、たまに訪れていたクラシックレーベルの人間が最近のものを聞かせて欲しいと言ってきたので、聞かせた。


「最近、とてもDTMが流行っているんですよ」と言いながら、自身の娘や息子が良く聞いているのだと言った。


有名なアーティストもDTMを取り入れていて、今に楽器だけの曲のほうが減っていくのではないかなどと語った。


そして、部門が違うので自分は担当につけないが、と前置きして、CDを出してみないかと言った。


正直に言えば、どちらでもよかった。


人に聞いてもらうつもりはなかったが、聞かれたところでどうということもなかった。


名前を隠して経歴も晒さずにという条件でCDを出すことにした。


担当についた男は興奮して、良いものを作りましょうと鼻息荒く言ってきたが、面倒だったので、納期の当日に三十分で作った曲を渡した。


出来栄えは可もなく不可もなく、ありきたりで、どこにでもあるようなテーマにした。


誰かの人生を引っ張ってきたような歌詞をつけて、ポジティブに受け取れるものにした。


大衆受けするのはポジティブな曲だろうな、と皮肉な気持ちで出したぞんざいな作品。


曲を渡すと一発で許可が下り、その年で素晴らしい才能がどうのこうのと担当の男は持ち上げてきた。


才能がある、というのは父や母のような世界に通用する演奏家のことだ。


乾いた笑いしか出なかった。


ジャケットについて希望があるか、と聞かれたので、あかりの絵を思い出した。


新しい作品がホームページに並ばないので、見てみたいと思ったのだ。


レーベルの人間は起用したいイラストレーターが居たらしく、強めに進めてきたが、自分が用意するから他のものに決めるなと言った。


曲を聞いて欲しいという気持ちは微塵もなかった。自分があかりの絵を見たいだけだ。簡素なあかりのホームページのメールフォームから連絡をした。



まず、突然初対面で知らない人間から観賞用に描いてくれといっても怪しまれるだろう。自分で用意するといったからにはレーベルの人間は頼れない。かといって、父と母の名前も出したくない。


いろいろと理由が必要だと思った。


自作のCDを出している人間を探し、ブログなどで書いていた工程を参考にした。


依頼の文章も例文を検索して、おかしくない程度に自分の言葉を混ぜて書けたと思った。予算は多すぎるときっと怪しまれる。


CDのジャケットに使いたいというようなことを書いて、相場よりも少し低めにして、もしそれが理由で断れたら無理をして頑張ったらここまで出せるという設定で金額を上げていこうと思った。


ただ、あかりの新しい作品が見たいという気持ちしかなかった。


そして、依頼を受けるという返事が来た時には嬉しくて苦手なヴァイオリンすら浮かれて楽しく弾けた。


何も知らない家族が目を白黒させていた。


あかりの新しい絵は今までと同じく力強くて、支払った金額が低すぎて、申し訳ない気持ちになった。


謝罪の連絡をしたかったが、うまく文章が掛けず、例文はきっちりとしていて自分の言葉でないような気になり、送れなかった。


実際の描いた絵を送ってもらうには住所を明かさねばならないし、それが理由で両親のことがバレてしまうのも恥ずかしかった。


本当に考えなしの子供だった。


新しい絵を見られて浮かれていたのはCDが出てすぐの頃くらいまでで、それ以降は自分の出した曲が気持ちが悪くてしょうがなくなった。


たったの三十分で作り上げた曲がそれほどまで話題になるとは思っていなかったし、次から次に楽曲提供の依頼やタイアップの依頼、グッズの提案やインタビューなどの話が振ってきたことで、かなり手間を取られた。


鬱陶しくて、イライラして、軽い気持ちでいたことに後悔し、もう自分の曲は出さないと言った。


そもそも、契約を交わさずに提供したものであったので、レーベルも無理強いが出来なかった。


本来踏む手続きを飛ばして、有名な演奏家の子供の遊びを試してみるような形だったからだ。


CDを出す費用を負担しない代わりに売り上げも放棄していた。思った以上に話題になったので、利益はかなり出ただろう。


それを理由にすべてのことをやめる、と強気で伝えた。


レーベルが懇意にしているインタビューと既に制作が開始したグッズだけはそのまま進めさせて欲しいと言ったので、許可を出した。


インタビューは対面ではしないから文章だけで、という条件にし、グッズはあかりの油絵の印刷をしたアクリルキーホルダーだけは許可した。自分が欲しかったからだ。


ほかの、油絵がないグッズは全てやめるように言った。


父と母の機嫌を損ねると困るので、レーベル側は言う通りにした。


――当時、俺は、中学三年だった。




大学付属の高等学校に通い、大学では音楽とは無縁の学部に進み卒業した。大学を出たという学歴だけ持っていればいいと思っていた。


両親は残念そうだったが、フリーランスで作曲家をやると言えば、大きな反対はしなかった。


レーベルと契約を交わして、活動名義は提供先によって変えていくというわがままを通して、作った曲を投げていった。


歌うのが誰でも構わない。


癖が出ないことだけ気を付けて、ひたすら曲を提供していけば食うに困らない収入はあった。


兄は何も言ってこなかったが、姉が家に帰ってくるたびにうるさいので一人暮らしを始めた。


やっていることはずっと変わらず、曲を作り、投げるだけ。


歌詞はもう書かなかった。


知名度も評価も必要ない。誰かに認めて貰いたい気持ちもなかった。


淡々と生きていて、生きる意味がないことに気付くと、たびたびあかりの絵を見た。生きる意味はないが、死にたいという気持ちも特にない。


感情の起伏があまりないことを、そういえば姉から指摘されたことがあった。

心が豊かではない人間が作る音楽が誰かに響くはずかない、などと言っていた。


自分でもそう思う所があった。

だから、目を背けていたのかもしれない。


どうせ、中身のない空っぽな人間が作った曲なんて、誰かに響く訳がない――と。




目の前の女の言葉が理解出来なかった。


いや、したくなかった。


俺は、とんでもないことを、していたのではないだろうか。



語る言葉に心が悲鳴を上げた。

そんなにいいものではない。

そんなに素晴らしいものじゃない。



たったの三十分だ。



たったの三十分で作ったものが――お前の、人生を、救ってきた?



吐きそうだった。



自分がぞんざいに作った曲が何年もひと一人を支えてきた。



乗り越えられたと語るその言葉通り、話す女の顔に暗い影はない。


高校生のときに両親が、死んだ?

あの絵を描いたあかりが、死んだ?

俺が依頼した絵が最後の作品だった?

祖母も亡くし、兄弟もいない?


聞けば聞くほど、恐ろしかった。


曲に込めた思いなんてない。

歌詞に特別な意味もない。


ああ、やっぱり、家を出るんじゃなかった。


金だけが増えて、使い道もなくて、楽器を買うのはなんとなく気が引けて、車を買った。


納車されたからとりあえず乗ってみただけで、行先が無かったから、近所のコンビニに来た。


そんな、柄にもないことをするべきじゃなかった。


偶然が重なっただけなのに、こんなにも、嫌な出来事に繋がるなんて。


「俺は!」


話を邪魔された女は黙った。

やっと静かになった。


気分が悪い。


「俺は、どうしようもないガキだった。何も知らないガキだった。だから、もうやめてくれ。その口を閉じてくれ」

「Rin……?」

「その名前を呼ぶな」


顔色の悪い俺に気付いた女が、急に迷子にでもなったような顔をした。

語られた女の人生に死にたくなるほどの罪悪感を初めて抱いた。


「二度と聞くな、頼むから、もう二度とその曲を聞かないでくれ」

「どうして」

「馬鹿みたいだからだ。お前が言う、その人生を支えてくれた曲は、その曲は」



たったの三十分で作った、いい加減に、作った曲だ。



はっとした。



これをもし、この女に伝えたら、この女はどう思う?


ずっと心の支えとなっていたものが、ぞんざいに作られたものだと知ったら。


「colorfulが、どうしたの……?」


死んで、しまうのか?

俺の作った曲が、人を殺すのか?


そんなわけはない、と思った。

そうだ、そんなはずがない。


心の支えと言っても、そこまではないはずだ。たかが曲のひとつで、生死が左右されるはずがない。


「お前、そこまで言うけど、もし聞けなくなったら、どうすんの?」

「……分からない、ずっとあったものだから。毎日流してるし、聞かない日がないから……」


ぞっとした。

頭がおかしいとすら思った。


「ほ、ほかに聞いてる曲は?」

「一つもない。初めて聞いたちゃんとした曲がcolorfulだから、それまでは童謡とか合唱曲とか、そういうのしか……音楽っぽいものは。でも、これだって思える曲に最初で出会えたから、運が良かったと思ってる」

「良くねぇ」


つい口から出てしまった言葉に女が首を傾げる。


「さっきから、どうしてそこまで否定するの?」


答えられなかった。


自分が作った曲が誰かの人生にここまで食い込むと思ってもみなかったし、想像力のなかったあの頃の自分が情けなくて、この状況が気持ち悪すぎて、吐きそうだった。


もうこの女に関わりたくない。


「降りろ」

「……降ります」


ロックを解除した。


女は従順だった。

ドアノブを開けて外に降りた。


「あなたがどんな気持ちで書いたとか、そんなことは知らないけど、私は聞くのをやめないし、これからもcolorfulに支えられていくと思う。書いてくれて、ありがとう」


そう言ってドアを閉めた。


最後の攻撃に耐えきれず、俺は新車の運転席に思い切り胃の中身を吐いた。


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