第3話

「母の、母の絵なんです。これ、この、キーホルダーの絵……だいぶ前に流行っていた、colorfulってCDの」

「分かった!分かったから」


母の、と聞いて彼が顔色を変えた。


言葉を遮るように大きな声を出して、私の腕を強く掴んで引っ張る。


「とりあえず乗れよ。話は聞くけど、変な動きしたら警察に突き出すから」


嫌そうな顔をして、車の助手席に私を押し込む。


反対側に回って運転席に座ると、睨むようにこちらを見て「で?」と言った。


「あの……本当に申し訳ないんですが、特になにもなくて……衝動的に動いてしまって……それを持ってる人に出会ったことがなかったから、つい」

「は……?」

「話があるというより、嬉しくて、その、つい」


話があるんだろう、と言うように促されたので、はっとしたが、よくよく考えてみると話したいことがある訳ではなく。

先ほどと違って静かになってしまった私に彼が深い溜息を吐いた。


「きも……」


零した言葉に背筋が凍り付く。


申し訳なさでいっぱいになって、今すぐ逃げだしたくなった。


気持ち悪い、という感想は私のとった行動を顧みれば当然のことではあったが、悲しい気持ちになった。


反射的にcolorfulを思い出して、家に帰りたくなる。


「本当に、本当にごめんなさい。それじゃあ、これで……」


車から降りようとドアノブに手を掛けたら、カチッという音がした。


ロックされた……?


驚いて振り返ると、彼は眉間に皺を寄せてこちらをじっと見つめる。


「なんなの?話し掛けてきたのそっちだろ。なんか言いたかったんじゃないの?」

「だから、その、話した通りで、あっと思ってしまって」

「母の絵とか言ってたよね。あかりさんの娘?」


母の名前が、彼の口から出た。


ああ、まだ名前を呼んでくれる人がいるのだと、じんわり感動してしまう。


絵をいくつも描いていたが、今どこにあるのか分からないものが多い。

インターネットで検索してもあまり出てこないくらいには無名だったが、母の絵は一度惹かれると不思議と手元においておきたくなるような味があるらしく、お金持ちのファンも数名いたそうだ。


「はい。娘です。まさか、母のお名前まで知って頂けているとは……」

「知らないと描いてくれなんて依頼出せないでしょ」

「……はい?」


一体、なんの話をしている?


「……え?」


彼の目が丸くなる。

沈黙が訪れた。


CDのジャケットに使われていたのは間違いなく母の絵だが、歌詞カードのどこにも母の名前は載っていなかった。


なので、気になってその油絵について調べて、そうして母に行き着いたのだと思っていた。


彼は今、何と言った?


私が気付いたと同時に、彼も気付いたようだった。


お互いに、勘違いをしていたことに。


「まさか」

「そんなことって……」

「俺がRinだって知らなかった?」

「あなたがRinってことですか?」


発した言葉が全部被った。


彼の方もしまった、というように厳しい顔が更に厳しくなる。


「俺はてっきり気付いて声を掛けたんだと思ってた」

「ぜ、全然……私は、その、ファンの方だと思って……そもそも、Rinは顔とか性別とか、そういうのは出していなかったはずで」

「声で男だってわかるだろ……顔出しはしてなかったけど、レーベルの人間には会ってるからそのあたりから漏れたのかと」


あー、と後悔の滲む声でRinが唸る。


歌っている声は何度も聞いているのに、話しているだけでは全く気付かなかった。

どことなく似ている雰囲気はあるけれど、それで気付くことは出来ないというレベルだ。


ずっと支えにしてきた歌を、歌っている本人が目の前がいる。


そのことにやっと現実味が増してきて、伝えたかったことを伝えるチャンスに思えてきた。


「あの」

「……なに?」


うんざりしているようだ。

少し言い出しにくいが、伝えてすぐに去れば良いだろう。


「ずっとあなたに感謝していました。colorfulを作ってくれて、歌ってくれて、母の絵を使ってくれて、ありがとうございます」


作詞・作曲・全て彼の名前だった。colorfulという歌を生み出したのは彼なのだ。


「そんな風に言われると気まずい。別に、大した曲じゃない」


それが、謙遜だったとしても、聞き流せる言葉ではなかった。


カッと胸が熱くなった。


「そんなことない!」


大きな声を出した私に、彼が目を見張る。


私はもっと、きちんと彼を見て話をするべきだった。


この時の私は、ただcolorfulという歌を卑下した彼の言葉が許せなくて、必死だった。


colorfulにいかに救われてきたか、どれほど支えになってくれたか。


熱弁する私の言葉を聞きながら、彼が真っ青な顔をしていたことに全く気付けなかった。

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