きみが恋に落ちる確率

尋道あさな

第1話

 


「ねぇ、最近どう?」



 ああ、出た。この質問。

 抽象的で答えにくい、けれどつまらない返しをすれば相手が白ける難しい質問だ。

 どう返そうか、どのパターンで行こうか。

 相手によって変える必要がある。


 彼女とは長い付き合いで、けれどもお互いのことを深く知っている訳ではなく、知り合ってからの期間が長いだけの顔見知りという表現が一番近かった。

 そこまで考えて、返事を待つ彼女の表情が注意して見ないと分からない程度に不愉快そうに歪む。


 ──時間を止める道具が欲しい。


 いつもこうだ。反射で返事が出来ない。

 どうすれば相手が笑ってくれるか、どうすれば場を保てるか、どうすれば自分が傷付かずに済むか。

 全ての条件を満たした返事なんて早々思いつかなくて、満足のいく解答が自分の口から出てくる事はほぼない。

 考える時間が長くなればなるほどに、相手は少しずつ苛立っていく。


「ねぇ、聞いてる?」

「聞いてるよ」

「最近どうって聞いたんだけど」

「まぁ、そこそこかな」

「何が?」

「え?いや、色んな事が。仕事とか」


 やっぱり会うべきじゃなかったかも知れない。


 彼女がここで苛立ちを感じるのであれば、一緒に居て嫌な思いしかさせないだろう。

 まだ彼女の事はそれほど知らないけれど、返事が遅いと不満を抱くと言うことだけは今わかった。

 それならば時間を掛けずに答えていこうと切り替えたのに、なかなか満足する答えを返せていないらしい。


 このまま予定通り食事をして帰る事に俺自身はなんの不満も無いが、彼女は嫌だと思っただろう。それを言葉にして言ってあげるべきなのか──少し悩んで、口を噤んだ。


 恐らく、ろくなことにならない。


 私と居るのが嫌なの?なんて言われた日には、眠りに付くまで気分がずっと沈んでしまうだろう。

 そうじゃない、と言ってもそれをそのままの意味で受け止めてくれるかどうかは相手次第で、この場合期待は出来なさそうだった。


「仕事、忙しいの?」

「忙しくはないよ。今は勉強する事が沢山あるな、とは思うけど」

「ふーん」


 聞いておいて全く興味が無さそうだ。

 まぁ、別に良いけど。

 掘り下げて聞かれた所で説明するのは難しいし、知っていて欲しいとも思わない。



 ゆっくりと駅から歩き始めて、もう10分くらいは経っただろうか。

 適当に歩いて気になった店に入るということで、と事前に彼女とやり取りを交わしたけれど、彼女はそのやり取りをすっかり忘れているようにも見えた。

 さっき通り過ぎた焼き鳥屋が俺は気になっていたけれど、待ちの列が少しあって、彼女は嫌がりそうだなと見過ごしたのが今になって引っかかってくる。


 言えばよかったかな。


 彼女の横顔がつまらなそうに見えて、少し気分が沈んだ。


「どこに行くか決めてあるの?」


 責めるような口調で彼女が言った。


「気になったところに入るって言ってなかったっけ」


 できるだけ優しく返した。


 信じられない、と小さくつぶやいて彼女の目が大きく開く。


 少し歩みが止まった。

 彼女が一体なんに対してそう言ったのか、正直な所分からない。


 可能性としては──


「普通決めてくるでしょ……本気でその日に決めるつもりだったの?嘘でしょ?女の子とデートしたことある?」


 なるほど、そこか。


 思い浮かべた可能性の一つと彼女と主張が一致したので言いたい事が理解できた。

 けれどもそれにしたってひどい言われようだ。

 決めて欲しいなら先にそう言って欲しかったし、何ならさっきの焼き鳥屋に戻って入りたいとも思っている。


「俺はミヤコと会ってから適当にぶらぶらして、あの店よさそうとか言い合って店を選ぶのも楽しいと思ってたけど……決めた方が良かったなら謝るよ。ごめん。その、デートした事はあるよ。少ないけど」


 矢継ぎ早に問われた質問に全部答えられただろうか。


 自分の考えていた事をそのまま口にしたら、彼女は目を真ん丸くして何か言いたげな表情をした。

 また続けて言葉が飛んでくるかと思って待ってみても、彼女の唇は開かない。


 薄く色付いた血色の良い唇。


 決して特徴的ではないけれど、可愛く動く様子が好ましいと思った。

 何でも良いから喋ってくれと思う気持ちを抱かずにはいられない。


「……い」

「い?」

「いや、だから、決めておいたほうがかっこよく見えるからそうした方がいいってだけ。別に私と選びたいって言うならそう言えばいいじゃない!」

「あれ、会う前にそういう話してなかった?」

「してたけど!」


 一体何が不満なんだろう。


 顔を赤く染めてむっとした彼女は、まだ言い足りない事があるような名残惜しそうな態度を見せる癖に、悔しいと言わんばかりに唇を閉ざしてそっぽを向いた。

 俺は俺で内容は何でも良いからとにかく彼女に喋って欲しい気持ちでいっぱいになって来ていて、しかしとりあえずは店を決める為に足を止めて彼女をも止まらせた。


「さっき過ぎた焼き鳥屋、炭火の良い匂いがした。そこでも良い?」

「焼き鳥……」

「焼き鳥嫌いだった?」

「嫌いじゃないけど、焼き鳥……」


 なんだ、言いたいことがあるなら言えよ。


 そんなふうに言えたら格好が良いんだろうか。

 多少強引な方が女の子は好きだと言うし、俺も少し強引なイケメンを見るとこうなれたらと思うときもあるから、その気持ちは分かる。

 自分が出来るか、となると難しいだろうと思うが。


「じゃあ、他に食べたいものある?」

「……ない」

「嫌いじゃないならそこにしよう」

「分かったわよ」


 観念したように諦めの目をした彼女の心境が、推し量れなくてもどかしい。


 不満があるなら言えばいいし、そうしてくれる方が俺も助かるが──


「なんでこっち見るのよ」

「言いたいことがありそうだったから?」

「ないわよ!どこの店?なんで通ったときに言わなかったの」

「待ってる人がいたからミヤコが嫌がるかもって思って」

「勝手に決めないで。待つのはべつに嫌いじゃない」

「そっか。ごめん」


 正直、予想外だった。


 彼女はせっかちな性格なんだろうと思っていたし、やり取りをしていても会ってからのこの少しの時間も、その印象は変わらない。


 でも、そうか。待つのは嫌いじゃないのか。


 新しい一面を知れたみたいで、何となく気分が上がる。

 今まで親しくはしていなかったけれど、彼女は悪い子ではないしどちらかと言えば好印象だった。



 遅くも早くもないペースで来た道を戻って行く。

 空腹を感じてはいるけれど、もう少しこの時間が続いてもいいなと思った。

 彼女の方は露ほどもそんな事を思っていないらしく、急ぐようにさくさくと歩いている。


 ──あ。そうか。


 足が短いぶん、俺より早く歩かないと同じペースにならないんだと気付いた瞬間、立ち止まってしまった。

 先を行く彼女の背中が妙に可愛く思えて、つい写真を撮りたい衝動に駆られる。


 撮ったら怒るだろうか。怒るだろうな。


 別に怒られてもいいのだけれど、俺が変な奴だとは思われたくない。



 歩き出して彼女の隣に並ぶ。


「もしかしてここ?」


 俺を振り返って僅かに首を傾げた彼女は、疑問符を浮かべてはいたけれど絶対にここでしょう?という自信を目の奥に潜ませていた。


 違うって言ったらどんな顔をするだろう。

 見てみたいかもしれない。


 まぁ、店は間違いなくここなんだけど。


「うん。ここだよ」


 そう言うと、ほら当たってたでしょうと口に出さなくても分かる顔で笑ってみせる。


 こんなに可愛かったっけ。


 名前を書いて順番待ちの列の最後尾に並ぶ。

 前には八人ほどの人が居て、彼女は俺の後ろに回った。


 それがなんとなく小動物みたいでおかしくて笑うと素っ頓狂な声を出して彼女が小さく呟く。


「笑うことあるのね……」

「ないと思ってたの?」

「そういう訳じゃないけれど」

「そういうふうに聞こえたけど?」

「楽しそうに見えないって思ってた」

「今日?」

「そう」

「楽しいよ」


 ふーん。そうなの。

 思わず出た、というような彼女のその一言がやけに嬉しそうに聞こえて心臓が一際強く動く。



 ──なんか変だな。


 ゆっくり瞬きをしたら、夜が、ぶわりと光った。



「ほら、進んで!前空いてるじゃない」

「あ、うん」


 とん、と背中を押すちいさな手。

 押されたところが熱くなる。


 待って、これ、なんだっけ。

 知らない。

 知能指数が著しく下がって行く。

 考える事が出来ない。

 触った?今俺に触った?そんな気軽に?


「焼き鳥が嫌いなわけじゃないのよ。ただ、初めてのデートで焼き鳥を食べるのってハードルが高いと思わない?串から外して食べるのは焼き鳥に失礼だし」


 焼き鳥に失礼ってなんだよ。


 なんでそんな事を言い始めた?

 さっきあれだけ言うのを躊躇って、唇を固く結んで言わなかったのに。


 どうして急に話し出すのか、全く意味が分からない。


 警戒心が溶けた?緊張が溶けた?

 そういう事なんだろうか。


 ──くそ、考えたくない、絶対に有り得ない。


 分かってるけれど、もしかして、俺のことを?

 いやいやそれは絶対にないだろう。

 落ち着け、そこまで考えるな。


 余裕なんてとっくに失っているのに、それに彼女は気が付かない。

 感情があまり表に出ない自分のことが、今だけは好きになれそうだった。

 このまま気付かないままでいてくれと思いながら、社会に出てからうまくなったつもりの愛想笑いを浮かべてみる。


「次からはそういうことも考えて店を選ぶようにするよ」

「次!?」


 しまった。つい。

 次なんてあるかも分からないのに。


「あ、いや、次がまたあったらそのときはっていう」

「べつに、いいわよ」

「えっ」


 これ俺のことが好きなんじゃないか、いや彼女みたいな女の子ならモテるだろうし、でも今いいって言ったよな、どういうつもりで?どんな顔して?


 はっとして顔を見つめる。

 照れたような不器用な表情と赤くなった頬。


 やめてくれ勘違いしてしまう。

 俺に気があるのかと思ってしまう。


「何よその反応。私とご飯食べに行くの嫌なの?」

「嫌なわけない!」

「な、なに?そんな急に強く言わなくても」

「あっごめん」

「気にしてないからいいけれど。あなたが嫌じゃないなら次もそのうちあるでしょ」


 そのうち、か。

 そのうちってことはすぐにじゃないのか。


 少しの落胆が気持ちに混ざる。

 気があるのかないのかはっきりしてくれ、と言いたくて仕方ない。

 けれども、それで彼女との距離が開いてしまうと考えたら、頭が段々冷えてきた。


 思わせぶりだと思う。

 俺に好意を抱いてるんじゃないかと思ってしまう態度を彼女は取っているとも思う。しかし、それを責めるのはおかしな話で、彼女にとっては言いがかりにも等しいだろう。


 タイミングよく前の人間が呼ばれ、複数同時に空いたのだろう席を案内する為に店員がこちらへ歩いてくる。


 名前を呼ばれ片手を軽く上げると、店内へどうぞと明るい声で迎え入れられた。

 雰囲気のいいシックな店内とは裏腹に、暴力的とも言える強く香ばしい匂いがする。

 途端に腹が減ってきた。


 半個室のような席に案内され、向かい合って彼女と座る。


 今月のおすすめ、と書かれているメニューがテーブルの真ん中にあって彼女に渡してあげようと手に取る瞬間、彼女も同じことを考えたのか、はたまた自分が見る為か──手を伸ばしていて、指が触れた。


「ごめん!」


 思わずメニューから手を離す。

 触れた箇所がとても熱い。

 彼女にさっき押された背中と彼女の指に触れた指先が、異様に熱い。


 冷静さを取り戻した筈の頭の中が、またいっぱいになって行く。

 恐る恐る彼女を見て、一気に血の気が引いた。


「そんな、嫌がらなくても、いいでしょ」


 彼女が絞り出した声が痛い。

 そんなつもりではなかったのに、すっかり誤解を与えてしまったようだった。


 嫌がった訳じゃなくて、ドキドキしてしまって、驚いただけで、申し訳ないと思ったから謝った、それだけのことなのに。


 うまく言えない自分が歯痒い。


 でも、これだけは分かってくれとまだ落ち着かない頭で言葉を捻り出す。


「嫌がったんじゃなくて、ドキドキしただけ」

「はぁ!?」


 打って変わって強気な態度を取り戻した彼女に、心底ホッとした。


 ああ、この顔が見たかった。

 泣きそうな顔じゃなくて、勝ち気で眩しいこの顔が。


 ──好きだな。


 そういうことだった。


 恐らく俺は彼女を好きになってしまっている。

 否、恐らくではなくて、好きになっている。


 あーそうだったんだな。と、さっきまでの感情の動きに説明がついたら、全てを理解出来たような気になって、俄然やる気が出て来る。


「触っちゃってごめん。嫌じゃなかった?」


 嫌じゃないって言ってくれ。


「嫌とか思わない、し。気にするようなことでもないでしょ。ま、まぁ、よくあることの一つみたいな感じよね」

「よくあるの?こういうこと」

「ないわよ!」


 ああもう可愛くて仕方ない。


 絶対に欲しい。彼女にしたい。

 なってくれるかな。頑張らないと駄目だろうな。


 頑張れるかな、俺。


「ないのによくあることって言ったの?」

「そうよ!気にすることじゃないって意味で言っただけなんだから深く追及しないでくれる!?」

「気遣ってくれたの?ありがとう、そういうところ可愛いね」

「かわっ……!?」

「皮。鶏皮食べる?美味しいよね」

「食べない!」

「食べないの?嫌いだったりする?」

「嫌いじゃない……」

「じゃあ食べよう」

「あなた結構いい性格してるのね……」




 確率はどれくらいだと思う?

 さぁそれは分からないけど。

 でも、悪くはないんじゃないか。

 そう思いたい。


 彼女は嫌な事は顔に出るタイプみたいだし、俺は彼女の表情の変化にきっと敏感でいられるだろう。難しく考えなくても、俺に焦れたら彼女が結論へ導こうとするだろう。

 そうやって、二人でやって行けそうな気がするんだ。


 思い込みなんだろうか。

 思い込みじゃないといいな。


 とりあえずは、目の前にいる彼女の視線が欲しいと思う。


 恥ずかしそうに顔を伏せて見えなくなってしまったので、それをどうにかして起こさないと始まりの音も聞こえない。


 どういう言葉がいいだろう。

 なんて言えばこっちを見てくれるかな。


 ──時間が止まってるみたいだ。


 急かすことなく黙って真っ赤になって下を向いた彼女に、掛ける言葉を考える時間がたっぷりと用意されている。


 理想の世界の一端がここにあるような気になった。


 いつもこうはいかないけれど、ただ今は少し考えさせて。


 ええっと、そうだな、時間はたくさんあるんだけど。


 きみの顔が早く見たくてしょうがないから──今だけは、急ぎたいかも。



「ねぇ、最近どう?」



 どうもこうもないわよ、と彼女が恨めしそうに顔をあげた。



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