第7話 甘くて苦い時間(叶芽)

 

「──以上ですね。皆さん、お疲れ様でした」


 初老の教授がそう締めくくると、叶芽かなめのグループワークのメンバーたちは挨拶もそこそこに退出していった。


 叶芽もやりきった感で伸びをしながら教室を出ると、冬真のいる別棟に向かった。

 

 すると、人の少ない講義室で、冬真が座ったまま寝ていた。


 その無防備な寝顔を見て、叶芽は思わず笑顔になるが──


「うーん……叶芽って柔らかい。もっと触らせて……」


 冬真の寝言に衝撃を受けた叶芽は、顔を真っ赤にして冬真を睨みつける。


「おい! 変なこと言うなよ!」

「優しくするから~」

「こらあ!」


 あまりの恥ずかしさに耐えきれなくなった叶芽は、思わず冬真の両頬をつねっていた。

 すると、冬真は驚いた様子で目を開ける。


「なんて夢見てるんだよ!」

「……ん? 叶芽?」

「起きろよ。この教室、別の講義で使われるから早く出ないと」

「え? 夢? さっきの夢だった?」

「……堂々と寝すぎ」

「ああ、昨日は遅くまで発表の練習してたから」

「とりあえず移動しよう」


 叶芽がやや呆れた顔で教室を出ると、冬真も慌てて追いかけてくる。


 二人はよく晴れた並木道を並んで歩いた。


「どうする? このあとランチ?」

「昼間から飲むのはナシ?」

「ナシだよナシ! 下心見え見えなんだけど」

「恋人に下心持たない奴なんていないだろ?」

「ちょっと、外で恋人とか言うなよ。誰かに聞かれたらどうするんだよ」

「え? 何がダメなの?」

「お前は……なんでそんなに自由人なんだ」  

「叶芽は気にしすぎだよ。あんまり気にするとハゲるよ」

「とにかく、飲むなら夜にしよう。まずは昼めし」

「……わかった」


 夜なら叶芽も相手をするとわかって、冬真は笑みをこぼす。


(冬真はわかりやすいな) 


 叶芽が苦笑していると、冬真は手を繋ごうとするが、叶芽はその手を払いのけた。


「だから、外でイチャつくのはナシ!」

「なんでダメなんだよ」

「周りからどんな目で見られるかわからないんだぞ?」

「俺は見せつけたい。叶芽が俺のものだって」

「……やめてよ、恥ずかしい」


 叶芽の耳が熱くなる中、そんな叶芽を見て何を思ったのか冬真は満足げに笑っていた。




「それでさ、俺が思っていた以上にこのテーマが難しくて……資料が必要なんだよね」

「うん」

「だから明日また資料を見直そうと思ってるんだけど、図書館で借りなおすのも面倒だし、いっそ何冊かは買おうかと思って」

「うん」

「聞いてる?」

「うん」

「冬真?」

「話は終わった?」

「お前は……」 

「じゃあさ、キスしてもいい?」

「ほんとにそのことしか頭にないのな……それで成績いいんだからムカつく」


 ソファで叶芽がブツブツ言っている間にも、冬真は叶芽との距離を詰める。


「待ってよ、まだ俺の酒残ってるし」

「じゃあ、俺が飲ませてやるよ」


 叶芽の手から奪い取った酒を口に含んだ冬真は、そのまま叶芽の口に移して……深いキスをする。


「夢よりもずっと甘いね」


 冬真の真っ直ぐな視線が怖くなり、叶芽は思わず離れようとするが、抱きしめてくる腕はびくともしなかった。


 そして何度も唇に食らいつかれた後、ようやく解放された叶芽は、大きな息を吐く。


「ちょっと冬真、盛りすぎ」


 叶芽が文句を言うと、冬真は再び叶芽を抱きしめる。


 冬真の抱きしめる力があまりに強くて、叶芽が抵抗すると、逃がすまいと腕に力をこめられる。


「今日こそ……いいよね?」

「え、ええ? ……いや、まだちょっと」

「ちょっと何?」

「心の準備ができてないから、無理」

「あーあ、夢の中の叶芽はあんなに可愛かったのに」


 冬真の呟きに、ムッとした叶芽は冬真の腕からすり抜ける。


「じゃあ、可愛い奴を探せばいいだろ」

「叶芽」

「俺、もう帰る」

「待って、叶芽」


 背中から再び抱きしめられて、叶芽は動けなくなる。


「離せよ」

「嫌だ」

「お前にとって都合のいい奴を探せばいいんだよ」

「泣くなよ」

「泣いてなんかない」

「ごめん、俺が焦りすぎたから」

「お前は簡単に言うけどな、俺は……怖いんだからな」


「ビビッてる叶芽も可愛い」

「ビビッてるって言うなよ。それに可愛い可愛い連呼しすぎなんだよ」

「本当のことだから」

「……はあ、もう冬真には負けるよ」

「じゃあさ、毎日少しずつ触れるのはどう?」

「毎日少しずつ?」

「少しずつ進むなら、怖くないだろ?」

「少しずつ……か、じゃあ、初日はどこまで?」

「首まで?」

「なんだよそれ」


 叶芽が破顔すると、近くで固唾を飲む音が響いた。


「少しずつならいいかも」 

「よし、とりあえず寝室へ行こう」

「なんで寝室なんだよ」

「雰囲気作り」

「お前は、何を言ってるんだか」


 再び笑顔を見せると、冬真のほうからまたごくりという音が聞こえた。

 その時の叶芽は完全に油断していた。

 

 冬真の頭の中が叶芽でいっぱいになっていることに気づかず、叶芽は冬真に言われるがまま寝室に向かった。






 ***




「はは、くすぐったい」


 冬真が叶芽の首に唇を押し付けると、叶芽は無邪気に笑った。


 そして、キスで口を塞がれた叶芽は、それに応えるようにして目を閉じる。


 触れただけで胸が温まる──そんなキスは叶芽にとって初めてだった。

  

「……はあ、今日は泊まっていこうかな。なんだか眠くなってきた……って、ちょっと冬真?」


 酒がよい具合にまわる中、冬真の唇は叶芽の首から鎖骨のあたりに移動した。


「こら、首だけだろ?」


 叶芽が軽く頭を叩くと、冬真は一瞬動きを止めた。が、すぐにまた首筋に口づける。


「はは、だからくすぐったいって……って、おい」


 薄いトレーナーのすそからするりと滑りこんできた手に、叶芽はビクリとする。


 その手は叶芽の腹を這うようにしてのぼっていった。


「や、やめろって……おい」

「寝室に入るってことは、そういうことだよ」

「そ、そういうことって!」


 様子がおかしい冬真を押し退けようとすると、ものすごい力で押さえつけられた。


 その本気の力にゾッとした叶芽は慌てて逃げようとするが、冬真からは逃げられなかった。


「ちょっと冬真、やめ……て」


 叶芽が懇願すると、冬真はフッと鼻で笑う。


「叶芽、可愛い」

「お前はそれしか言わないのか」

「ねぇ、いいでしょ?」

「よくない! ――ひゃっ」


 冬真の手が服の中で動くたび、叶芽は声をもらした。


「叶芽、愛してる」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」


 あっという間にトレーナーをはがされた叶芽は、泣きそうな声で再び懇願した──が、今度は無視された。


(やばい、飲みすぎたせいで力が入らない)


「嫌だったら、もっと抵抗しなよ」


 冬真の言葉にカチンときた叶芽は、本気で冬真を殴った。だが、酒が入った拳は、じゃれるようにしか当てられなかった。


 そして冬真は叶芽の手にキスをして、そのまま下へと移動していった。


「ちょ、ほんとに、お願いだから……やめて」


 今度こそ本気の懇願だった。


 だが冬真はそれすら嬉しそうで、叶芽を啄むことをやめなかった。


 そこからは泣いてみたり、騒いでみたり、怒ってみたりしたが、どれも冬真には効かず、好き放題にされた。


 あまりに恥ずかしくて震える叶芽に、容赦なく触れる冬真。

 

 叶芽にはどれも未知の世界で、ひたすら我慢を続けた。我慢するしかなかった。


 途中からはもう頭が真っ白で、叶芽は何をされているのかもよくわからなかった。



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