第6話 溶け合う想い(叶芽)



「来年の今頃はもう一緒にいないんだよね」


 冬真の自宅ソファで、クッションを抱えながらしみじみ呟く叶芽かなめ


 そんな叶芽を慰めるように、冬真とうまは叶芽の手にあるグラスに酒を注ぐ。


「そうだね。けど、こうやってまた飲めばいい」

「働いてたら、友だちとは簡単には会えないって易虎やすとら先輩が言ってた」

「じゃあ、叶芽もこの部屋に越してくれば?」

「え!?」

「酔っぱらってたから……覚えてないか。叶芽、この部屋で暮らしたいって言ったんだよ」

「俺、そんなこと言ったんだ」


 冬真とうまと飲み始めた頃はよく記憶を飛ばしていたので、叶芽には全く身に覚えがなかった。


 だが冬真の部屋は確かに居心地が良く、酔っぱらった自分が住みたいと言うのも頷けた。


 それよりも、叶芽かなめは最近、誰にも言えない悩みを抱えていた。


「叶芽もこの部屋に来なよ」


 すっかり酔いがまわった冬真は、叶芽の手を掴みながら告げる。


 酔うとひと肌が恋しくなるのだろうか、スキンシップが激しくなる冬真だが、叶芽はどうしてか振り払うことができなかった。


 そして冬真は酔うと必ずやることがある。


「叶芽……目を閉じて」


 冬真の言葉に、すぐには従えられず叶芽は俯いた。


 すると冬真に酒のグラスを奪われたかと思えば、顎を持ち上げられ口づけられる。


 激しいキスに息ができずあえいでいると、そのうち冬真は叶芽の肩にもたれかかって寝てしまった。


「……はあ、やっと寝たのか」 


 冬真の寝る前の習慣のようだった。


 最初はお互い酔っぱらっていたので、叶芽もよくわからないままキスを受けていたのだが、少しずつ状況が変わって叶芽は困惑するようになった。



 酒を飲んでも叶芽の記憶が飛ばなくなったことを冬真は知らない。



「冬真は明日になったらこのこと忘れてるだろうな。人の気も知らないで」


 冬真を意識するようになったのは、ここ最近のことだ。


 一緒に飲むようになって、いつからか冬真のキス癖を知った。


 それからは飲む度に、当たり前のように唇を奪われていたが、意識が完全に飛ばなくなってからは羞恥で苦しむようになった。


 それでも冬真から離れられないのは、きっとそこに気持ちがあるからだ。


 だが冬真が覚えていない以上、叶芽の中で芽生えつつある気持ちをオープンにするわけにもいかなかった。


(きっとシラフの冬真が聞いたら驚くだろうなぁ)


 冬真が自分の行動を知れば、今までのように一緒に飲んではくれないだろう。


(一緒に飲めるのもあと少しか……)


 理解ある親友を騙しているような気がして、叶芽は落ち込みそうになるが、一緒に暮らそうと言ってくれたのは本当に嬉しかった。


(綺麗な寝顔……)


 叶芽は冬真をソファに寝かせると、その整った寝顔を眺めながら、自分の唇に触れる。


 もう今までのような友達同士に戻れないことを悔やみながら、叶芽は冬真の寝顔をつまみに一人で酒を飲み続けた。




「頭が痛い」


 叶芽がリビングのソファから起き上がると、冬真がグラスを持ってキッチンからやってくる。


「叶芽は飲み始めるとセーブができないからね。俺が寝落ちしてからも飲んだの?」

「うん、少しだけ」

「ほら、スムージー」

「ありがとう。いつも助かる」


 叶芽は野菜たっぷりのスムージーを一気に飲み干すと、グラスをテーブルに置いて伸びをする。


「今日は休日だし、ゆっくりしていくといいよ」

「でも、俺……用事があるから……帰る」

「こんな朝から用事? もしかして平川ひらかわ先輩と会うとか?」

「なんでそこで易虎やすとら先輩の名前が出てくるんだよ」

「叶芽、平川先輩と仲いいし」

「易虎先輩とはチャットで少し喋るくらいで、ほとんど会ってないよ。仕事で忙しいみたいだし」


 昨夜のことを思い出して、冬真の顔が直視できない叶芽は、早々に退散したい気持ちでいっぱいだった。


 だが寂しそうな冬真の様子に、早く帰るのも悪い気がして、叶芽は言い訳を探した。


「えっと……用事は昼からだったことを思い出したから、もうちょっとだけいるよ」


 叶芽の言葉で顔を輝かせる冬真を見ていると、少しだけ罪悪感がうずいた。


(やっぱり冬真にあのことを教えてあげたほうがいいのかな。俺以外と飲んだ時、何か間違いが起きたら大変なことになるよな)


 自分以外とキスをする冬真を想像すると、胸の奥がチクりと痛んだが、叶芽は気づかないふりをする。


 それよりも冬真の将来が心配になって、やはり言うべきだと思った。


「あのさ、冬真」

「なに?」

「……えっと、やっぱりいい」


(根性ナシだな……俺は。もう少しだけこのままでいたいなんて)


 なんとなく黙り込んでしまった叶芽だが、冬真は暗い顔で探るように訊ねた。


「……もしかしてだけど……叶芽、酒を飲んだ時の記憶があるの?」


 いきなり核心を突かれて、叶芽は弾けるように顔をあげる。


 すると叶芽の焦った顔を見て、冬真は大きな溜め息をつく。


「……やっぱり、そうだったんだ」

「やっぱりって、どういうこと?」

「ここのところ、様子がおかしかったから」

「冬真のほうこそ、全部覚えてるの?」

「覚えてる」

「じゃあ、どうしてあんなことを……?」


 叶芽が唇を押さえると、冬真は苦笑して告げる。


「好きだからに決まってる」


 冬真の急な告白に、叶芽の頭は真っ白になる。

 てっきり癖だと思っていたことが、そうじゃないと知って、ますます混乱を極めた。


「ちょっと待って、俺の頭が追い付かないよ」

「叶芽こそ、どうして逃げなかったの?」

「俺は……冬真を傷つけたくなかったから」


 言い訳だった。この期に及んで逃げるのも気まずいのだが、本音は言うに躊躇った。


 叶芽自身、自分の気持ちに自信がなかった。


「知っていて知らないふりをされるほうがよっぽど傷つく」

「冬真……大丈夫だから」

「何が大丈夫だよ。俺が欲しいのはそんな言葉じゃないよ。わかってるよね?」


 冬真が少しずつ近づいてくるのに合わせて、叶芽も下がるが、いつの間にか追い詰められる形になっていた。


「好きなんだ、どうしようもなく」


 冬真の大きな目から、本気が伝わってくる。


 それでも返事ができないのは、未知の世界に対する恐怖のせいだろう。


 そんな風に混乱して黙り込む叶芽から何を感じ取ったのか、冬真は痛そうな顔をして叶芽からゆっくりと離れていった。


「もう二度とこの部屋には来ないで」

「え?」

「これ以上、嫌われるようなことはしたくないから。友達に戻れるよう、俺頑張るから」


 冬真の泣きそうな声に、叶芽は胸を詰まらせる。


「さっきは一緒に暮らそうって言ってくれたのに」

「一緒に暮らすなんて無理だよ。十秒数えるから、その間に帰って」

「そんな……」

「十、九、八……」


 冬真のゆっくりとしたカウントに合わせて、叶芽は慌てて荷物をまとめる。


 だが、短い逡巡しゅんじゅんのあと、ピタリと手を止めた叶芽は──


 自分の不甲斐なさをぶつけるように荷物を放りだして、冬真の前に立った。


「もういい、もういいよ」

「……叶芽」

「ごめん。俺が悪かった……」

「え?」

「冬真に苦しい思いをさせてごめん。優しさに甘えっぱなしでごめん。好きなのに好きって言えなくてごめん……」


 今までのことを懺悔ざんげするように吐き出すと、冬真は大きく見開いて叶芽を抱きしめる。


「俺は嫉妬深いし、こそこそ叶芽に手を出すし……そんな俺でもいいの?」

「うん」


 冬真のそばが、一番居心地が良いことを知っている叶芽は、迷わず頷いた。


「本当に? 本当に俺でいいの?」

「……冬真がいいんだよ。何度も聞かないでよ……恥ずかしい」


 叶芽が照れて顔を背けると、それを追いかけるようにして冬真は口づけた。


 酒にのまれた時と違って優しいキスだったが、まるで愛を囁いているようだった。


「じゃあ、さっそく引っ越してきなよ」

「待ってよ、展開が早いよ。さすがにすぐには引っ越せない」

「引っ越し祝いでまた飲もう」

「キスより先のことしたら殴るよ」

「なんで?」

「俺は冬真と違って恋愛初心者に近いんだよ」

「俺だって似たようなものだよ」

「20人とつきあっておいて!?」

「うん。叶芽が初めてだらけだ」


 わかりやすくご機嫌な冬真に、叶芽は苦笑するしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る