第5話 変化(冬真)



 酒が入った叶芽かなめは素直だった。

 本人はネガティブであることを気にしていると、酔った時に教えてくれたが、冬真とうまからすれば、どんな叶芽も叶芽に違いなかった。


 そして深夜になった頃、冬真は決まってやることがある。


「今日も反則してごめん」

「冬真……ん」


 ソファで押し倒すような形で叶芽に口づけると、叶芽はウトウトしながらも応えてくれた。


 酒を飲んだ翌日には叶芽が何も覚えていないと知って、冬真はキスを繰り返すようになっていた。


 綿菓子のように甘い叶芽の唇に、触れるだけでは物足りない部分もあるが、臆病な冬真はキス以外のことをする勇気がなった。


「叶芽、好きだよ」

「おれもとうま、すき」


 たとえそれが酔った上での言葉だったとしても、好きと言われると天にも昇る気持ちになった。


 だが口づけを重ねるほど、冬真自身が壊れていく感覚もあった。


 悪いことをしている自覚はあるが、もう後戻りはできなかった。


 これがもし叶芽にバレたら、どんな風に思われるだろう、そんな心配をしながら、今日も甘い口づけを繰り返す。


 叶芽に触れるだけ触れた冬真は、叶芽が眠りに落ちた後、必ず強い酒を飲んだ。 


 いっそ自分も記憶がなくなれば、罪悪感で怯えることもないだろう。


 そんな風に現実逃避したところで、冬真が記憶をなくすことはなかった。


 そして酔った叶芽に触れる行為は、三ヶ月続いた。




「あーあ、そろそろ卒論に就活か……めんどくさっ!」


 講義室で叶芽は資料の束を机に叩きつける。 


(今日は叶芽に触れられる日だ)


 そんなことばかり考えてぼんやりしていた冬真も卒論と聞いて現実に引き戻された。


「卒論、俺も進んでないよ」

「しかもゼミの教授があの教授なんだよね」

「あの教授って……叶芽にセクハラまがいなことをした、あの教授?」


「そうなんだよ。人気のゼミだから、うっかり入っちゃったけど、卒論は落とせないし……って、あれ? 教授のこと言ったっけ?」


「酔っぱらいの叶芽から聞いたよ」

「教授にセクハラされるとか、俺かっこ悪いよな……」

「叶芽が可愛いから仕方ないよ」

「はあ?」

 

 驚いて見開く叶芽に、冬真はしまったと口を押さえる。


(やっぱり、友達に可愛いって言うのはおかしいよな)


 つい、酒を飲んだ時の癖が出てしまった。

 

 さすがにシラフの叶芽は複雑な顔をしていた。


「……ごめん叶芽、変なこと言って」

「別にいいけど……可愛いとか初めて言われた」






*** 






「次は何飲む?」

「じゃ、ハイボール」


 授業日程を終えた後。

 いつもは居酒屋を数軒はしごする冬真と叶芽だが、その日は珍しく、最初から冬真の自宅ソファで飲んでいた。


「食べたいものがあれば、デリバリー頼むけど」

「いいよ。コンビニで買った冷凍のつまみがあるから」

「そんなもので腹ふくれる?」

「オニギリもあるし──それより聞いてくれよ」


 深酒が進むと、叶芽はいつもと同じような愚痴を言い始めた。


「でさ、あの子が冬真狙いなのは知ってたけど、俺に対しては異常に冷たくてさ。頭にきたから、もう冬真との仲介はしないって言ったら泣いてやんの。けどあの子が泣いてるのを見て、女の子たちが寄ってきてさ……ひどいだのなんのって面倒くさいことを言い始めて……」

「……ねぇ、叶芽」

「ちょっと聞いてる? 冬真」

「目を閉じて」


 夜も更けた頃。

 冬真は頃合いを見て叶芽の隣に移動すると、いつものようにお願いする。

 すると、叶芽は素直に目を閉じた。


 少し顔が赤い無防備な叶芽を捕まえて、冬真がゆっくりと唇を味わい始めると──叶芽は大人しくされるがままになっていた。


(今日はなんだか叶芽の唇が震えているような……)


 そしてその日冬真は、触れるだけ触れると、珍しく先に眠ってしまった。






***






「──起きて、冬真」

「……ん、なんだ」

  

 起きて最初に目に入ったのは、昨日と同じトレーナーにパンツ姿の叶芽だった。


 相変わらず広い襟からのぞく肩が無防備で、自然と視線が釘付けになる。


 が、自分も昨日と同じ服を着ていることに気づいて、慌ててソファから身を起こす。


「あれ? 昨日は二人ともソファで寝たのか?」

「あ、ああ。冬真が気持ちよさそうに眠ってるのを邪魔したくなかったから」

「ごめん」

「俺はソファでじゅうぶんだよ」

「そうだ、スムージー作るから待ってて」


「今日はいいよ。コンビニで何か買って帰るから」

「え? 叶芽、こんな早い時間に……もう帰るのか?」

「う、うん。卒論やりたいし」


(なんだか様子がおかしい)


 なぜか目を合わさない叶芽を見て、冬真は怪訝な顔をするが、理由を聞く前に、叶芽はそそくさと帰ってしまった。




 それから冬真と叶芽は卒論と就活の準備でお互い忙しい日々を過ごした。


 大学内で顔を合わせることはあっても一緒にどこかへ行く余裕もなく、日々はあっという間に過ぎていった。


 そして、ようやく卒論がひと段落して久しぶりに余裕が出来た頃には一ヶ月が経っていた。 



 

「叶芽、今日はうちで飲む?」


 ゼミを終えた頃には、大学の外はすでに暗くなっていた。

 気持ちに余裕が出来たことで、冬真がいつになく笑顔で誘うもの、叶芽は大きく見開いて大袈裟に驚いて見せる。


「え!? 飲むの!?」

「どうしたの?」

「いや、なんでもない……うん、冬真の家で飲む、かな……あはは」

「なんだか今日はあまり楽しそうじゃないな」

「そんなことはないよ。今日も飲んで飲んで飲みまくるぞ!」

「そこまで気合いいれなくても……」






 ***






「それでさ、あの先輩が──」


 今日も冬真は叶芽が泥酔するのを待って、自宅ソファで黙って愚痴を聞き続けた。


 いつも同じようなトレーナーを着た叶芽の首から肩、そして微笑みをたたえた口元をじっと見つめるうち、深夜になる。


 叶芽の真っ赤な顔を見て、そろそろ頃合いだと思った冬真は、叶芽の名を呼んで口づけた。


 甘い唇はやや強張っているような気がしたが、冬真自身も酔っぱらっているため、叶芽の些細な変化に気づかなかった。


 しかも触れるだけ触れたあと、眠ってしまうのが癖になった冬真は、眠ったあと叶芽がどうしているのかも知らなかった。


「おはよう、叶芽」

「あ、うん。おはよう、冬真……」


 そしていつからだろうか。

 朝になると叶芽は、冬真と目を合わさないまま起きてすぐ帰るようになった。


 また大学で会っても、どことなくぎこちない様子は続いて、少し触れただけでも叶芽は大袈裟に驚くようになっていた。




「なぁ、叶芽……どうしたんだ?」


 叶芽の様子に違和感を覚えた冬真は、講義室で叶芽を見つけるなり、詰め寄った。


「何が?」

「最近、あまり目を合わせてくれないから」

「そんなことないよ。それより、冬真ってさ……お酒を飲むと……」

「何?」

「いや、なんでもない」

「気になるんだけど」

「冬真、飲みすぎはよくないよ」

「叶芽に言われたくない」

「でも俺は……」

「今日も飲むんでしょ?」

「……うん」


 躊躇いがちにうなずいた叶芽を不審に思いながらも、冬真はそれ以上何も言わなかった。





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