第4話 酔っ払い(叶芽)


「……ねぇ、聞いてる? 冬真とうま

「うん、聞いてるよ」


 小洒落たバーから安いチェーンの居酒屋に移動した叶芽かなめ冬真とうまだが、アルコールが久しぶりだったせいか、叶芽はすっかりできあがっていた。


 しかも三杯目のビールジョッキを飲み干した叶芽は、今まで我慢していた分、愚痴をこれでもかと爆発させた。

 

「……それでさ、あの教授は成績上位の生徒にはいい顔してるけど、俺みたいな普通の生徒の相手なんてしないからさ、


 だから俺が代返頼んだところで気にすることもないと思ってたんだよ。けど、普通の生徒っていうか、俺には厳しくてさ。


 代返一回につきレポート十枚書けとか言いだして……他にも同じことしている奴らはいるってのに、なぜか俺だけ課題増やしてくんの。


 だから俺はあの教授の単位あきらめて他の講義だけで頑張ろうと思ってたところに……変な話を……聞いて……」


「大丈夫か、叶芽? 眠いなら帰るか?」

「うんにゃ、だいじょうぶ!」


 冬真に見守られる中、叶芽の愚痴は最高潮だった。


 しかもほとんどの人間が途中で逃げ出すところを、冬真は真面目に聞いてくれるものだから、叶芽も必死になってしまう。


 そのまっすぐな冬真の視線を熱いと感じながら、愚痴という愚痴を話していると、そのうち冬真も口を開く。


「その単位はあきらめて正解だと思うよ」

「……え?」


 他の人間なら、話半分で『そうだな』くらいの言葉しかくれないのだが、いたってまともな切り返しに、叶芽は思わず言葉を途切らせた。


「あの教授はあまり良い噂を聞かないから……とくに女の子が、セクハラされそうになったって怒ってたよ」

「……そうなの? やっぱりそうなんだ」


 叶芽にも身に覚えがあったので、言うべきか悩んでいると、冬真が少し声を低くして訊ねた。


「叶芽も何かされたのか?」


 酒が入っているせいで、わりと素直な叶芽はゆっくりと頷いた。


「何か……されたってほどでもないけど。教授の前でレポート書いてる間、距離感がおかしかったから」


 叶芽は思い出して身震いしながら、おかわりのジョッキを飲み干した。

 だがさらにオーダーを追加しようとしたところで、冬真に止められる。


「叶芽、そろそろ止めたほうがいい」

「えー、もっと飲みたいのに」

「じゃあ、家飲みにする? 家なら、途中で眠っても構わないし」

「冬真の家に行く」

「なんで?」

「冬真の部屋のほうが近いだろ?」

「……いいよ。うちにくる?」


 冬真も少し酔っているようだった。自分の部屋にあまり他人を入れたがらない冬真が、珍しく頷くのを見て、叶芽は気分がさらに上がって笑顔になる。

 これで少し冬真に近づけたような気がしていた。



 

 繁華街からそう遠くないデザイナーズマンションに案内された叶芽は、冬真の部屋に入るなり、感嘆の声をもらした。


「おお、綺麗な部屋だね。俺の部屋の三倍くらいあるんじゃない?」

「三倍は言い過ぎ。伯父さんが経営してるマンションに安く住まわせてもらってるんだ」 

「いいな……俺もここに住みたい」

「……じゃあ、来ればいいよ」


 叶芽が木製のテーブルセットに座ると、冬真は水のグラスを差し出した。だが叶芽はコンビニで買ったビールの缶を開ける。

 

「本当に? 俺本気にするよ?」

「叶芽こそ、明日になったら全部忘れてるんじゃない?」

「ははは、そんなことないよ……それより、もっと飲もうよ」

「酒は飲めないんじゃなかったのか?」


 今更ながら指摘してくる冬真に、叶芽は不敵に笑って見せる。


「飲めないこともないこともないこともないよ」

「その様子だと、あと1缶くらいにしたほうがいいな」

「ええー、もっと飲みたいのに」

「明日泣くことになるよ」

「このくらい……大丈夫だし。それで、さっきの続きだけど……」


 叶芽は冬真の部屋でもやっぱり愚痴ばかり言っていた。

 愚痴を話している間、叶芽は生き生きしていた。


 普段クールぶっている反動なのか、酒が入れば入るほどネガティブが強くなる叶芽だが、今回はそれほど暗い雰囲気でもなかった。


「俺みたいな普通の人間の将来なんて、大したことないだろうし……冬真はいいよな。ルックスは完璧だし、頭もいいし……こんな部屋に住んでるし、持ってないものなんてないんじゃない?」


「俺は完璧なんかじゃないよ。持ってないものはたくさんある……」

「嘘だぁ……冬真が心底うらやましいよ。顔がいいのに、中身も男前って……そんなのアリ?」


 叶芽はテーブルに手をついて向かいの冬真の顔を間近でのぞきこむ。


 すると、テーブルから空き缶が落ちる中、固唾を飲む音が聞こえた。


「……やっぱり部屋に連れてくるんじゃなかったかも」

「ええ、今更後悔しても遅いよ。今日は朝まで寝かせないからね」


 と言いながら、叶芽は冬真の肩に頭を乗せながら瞼を落とした。意識はかろうじてあったが、ほとんど夢の中だった。


「叶芽……寝るならベッドで寝なよ」

「えへへ……冬真あったかい」


 まるで猫のように甘える叶芽に、冬真は再び喉を鳴らした。


「叶芽、ダメだよ。ベッドかソファに移動して」  


 震える声が聞こえた。

 だが酔っ払いの叶芽は心地よい眠りに流されてウトウトしていると、冬真がかすれた声で懇願するように告げる。


「早く移動して……じゃないとキス、するよ」

「……」


 冬真の冗談に何か返そうとするもの、一度落ちてしまった瞼をあげるのは難しかった。意識を少しずつ手放そうとする中、唇に何か熱いものを感じる。


 それが冬真の唇だと知ったのは少し先の話だった。



 

 久しぶりに飲んだ翌日、叶芽は知らないベッドで目を覚ました。だがすぐに冬真のマンションだと気づいて、叶芽は冬真を探した。

 冬真はリビングのキッチンに立っていた。


「あ、冬真……うう、気持ち悪い」

「飲みすぎだよ」

「俺、そんなに飲んだの?」

「酒に弱いとか言って、よく飲んでたよ」


 飲めないと嘘をついていたのがバレたもの、冬真は気分を害した風もなく、朝ごはんの代わりにスムージーを用意してくれた。


「ありがとう……なんかこれ飲んだら、少しだけスッキリしたかも」

「次はもうちょっと抑えたほうがいいよ」

「全く覚えてないんだけどね……」




 それからというもの、叶芽は週に一度のペースで冬真と飲むようになった。

 どうやら冬真の前ではそれほどひどい状態にはならないようで、とくに何ごともなく眠ってしまうと冬真は言った。


 酔っ払っている間のことはほとんど覚えていない叶芽だが、冬真が言うなら間違いないのだろう。そう思うようにしていた。


 酒癖の悪さで去る友達が多い中、冬真だけが受け入れてくれたことが叶芽は嬉しかった。


「今日はどこで飲む?」

「じゃあ、冬真の部屋で」

「叶芽は俺の部屋が好きだね」

「なんか安心するんだよ」


 さっそくソファで缶ビールを開ける叶芽に、冬真はごくりと喉を鳴らす。


 この時の叶芽は、酒で冬真と親交を深めることを喜んでいたが──冬真の目的が別のところにあることを知るはずもなかった。



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