31.願い
目覚めた。
「………」
目を開けると同時に見えたのは、白い天井。転生しても変わらないその光景を俺はぼんやりと見つめる。
「……病院……」
「目覚めたか」
声がした。視線を横へと向ければ、そこに一人の少年の姿が。
黒髪に青い瞳をした眉目秀麗なその容姿。
座る姿は流麗ながら、どこか尊大な雰囲気を漂わせるそんな少年。そんな奴なんて俺は一人だけしか知らない。
「アルス殿下」
「久しいな、ハル」
帝室の人間に特有の宝玉めいた青い瞳がこちらへと向けられる。
「なんで、殿下がこんなところに」
「親友が瀕死の重傷で病院に担ぎ込まれたと聞いたら、それは駆け付けもするだろう」
帝国の医療技術が高くてよかったな、と若干の皮肉を込めて殿下は言う。
「聞いた話によれば、ユキナ嬢と魔法を使った果し合いをしたとか。たかだか痴話喧嘩で死にかけるとはずいぶんとなことだ」
肩をすくめ、そうアーベル系人種らしい、皮肉を込めた発言に、しかし俺は首を横に振る。
「……違いますよ」
「──? どういう意味だ?」
俺がまさか否定する言葉を口にするとは思ってなかったらしく、意外そうな表情を浮かべるアルス殿下に、俺は寝台の上で上体を起こした。
全身に走る鈍痛と、麻酔を投与されたとき特有の気怠さに顔をしかめながら、俺はアルス殿下にそれを告げる。
「ユキナが俺を殺そうとしたのは、ユキナ自身の意思によるものではありません──彼女は、操られていたんです」
言いつつ、俺は胸元を押さえる。怪我の痛みとは別に、そこでジワリと広がる疼痛は俺にかけられた【呪い】──アルフレッドが俺にかけたそれが起こしたもの。
それが目覚めてからずっとうづいている。
「……シエラが俺に会いに来たのは、会話を介して感染呪術をユキナに感染させるため……」
やられた。
呪術には感染と類感という二種類存在する。
シエラが活用したのは、その内感染の方だ。
感染呪術とはまさに病原菌の感染と同様。相手との接触が多ければ多いほど、また相手との心身の距離が近ければ近いほど効力を発揮する。
おそらくシエラは、俺との会話を通して自分自身にかけていた呪いを俺へ感染させ、そこからさらにユキナに罹患させたのだろう。
手段としては原始的だが、俺を踏み台にし、さらに俺の中の【呪い】まで利用して強力な呪術をユキナにかけたことに俺はシエラへの怒りと、それに気づかなかった自分のふがいなさへ怒りを覚えた。
「数百年の時を生きた魔女は伊達じゃないってことか」
「なるほど、シエラ・ユリフィスがお前を介して呪いをかけ、ユキナ嬢を操ったのだな?」
俺の呟きを拾って、そう告げるアルス殿下。
短い言葉だけで、状況を理解するのはさすが帝室の人間と言うべき優秀さだ。
そうして状況を理解した上で殿下は、ふむ、と頷き、
「……あのシエラ・ユリフィスが暴走した、か」
「……? あの?」
妙な言い回しだった。なにが、というのはわからないが殿下の言葉には隠された意味があるようなきがしたのだ。
しかし殿下は、首を振って「気にするな」と発言を切り、代わりにこんなことを口にした。
「事情は理解した。だが、それでどうするというのだ? いまやユキナ嬢の居場所はわからない。憲兵を動員して探すにしても、見つけるには時間がかかるぞ」
「そうですか。わかりました。任せます」
「だからお前は動くのを少し待──おい、いまなんて言った?」
俺が告げた言葉を聞いて、こちらへと振り返る殿下。
まじまじとした青の視線が俺の頬へと突き刺さっていた。そんな殿下の視線を受けながら、俺は寝台へ身を沈め、完全に睡眠に入る視線をとる。
そうしつつ、視線だけは殿下の方へと向けた。
「殿下に任せます。ユキナが助け出せたら教えてください」
「………………………………………………………………………………………………………」
告げるだけ告げて、目を閉じた俺。一方の殿下は病室の中に依然とどまっており、しかし何を言うでもなくこちらへ視線を向ける気配だけが、肌を差してきた。
「……なんですか?」
目をひらいて、俺は殿下を見る。対する殿下はまじまじとした眼差しを俺に向けて、
「どうしたんだ、お前。変なものでも食べたか?」
と、殿下にしては珍しくとんちんかんなことを呟いた。
「お前らしくもない。何か起ったら後先考えず突っ込むのがお前の性分だろ」
「分別を覚えました、以上」
呆れを隠そうともしない殿下の言葉に、俺は寝台の上で背を向けながらそう告げる。
だが、殿下はそんな俺の態度を見過ごすことはなかった。
「……まさかとは思うが、お前、不貞腐れているのか?」
「……なんのことですか?」
素知らぬ顔を装って、俺はそう答えた。殿下の勘繰りははなはだ不本意であった。
「不貞腐れているなんて、そんな。そりゃあ確かに俺はユキナに負けてしまった情けない奴ですよ? 最年少で魔導一種を取得して黄金の世代として褒め称えられて、戦術級魔導師としても【魔王種】を倒したインサムディアの英雄とか言われたりした立場だったのに、本職の戦闘魔導師でもない女の子に負けた情けない奴ですけど、そんな不貞腐れているなんて──」
「──それを不貞腐れていると言わないで何というんだ……⁉ 状況、わかっているのか⁉」
俺の言葉をぶった切って殿下がそう告げてきた。
そのまま殿下は苛立ちもあらわにして俺へ言葉をぶつけてくる。
「お前の婚約者が奪われたんだぞ⁉ いつものお前なら後先考えずに、突っ込んでいる場面だろ⁉ それがどうして、そんな体たらくをさらしている⁉」
「……わかっているから、うごかねえんだよ」
言いながら俺が思いだしたのは、あの【氷禍】を喰らった直後。気絶する俺にたいしてユキナ我告げた言葉だ。
『これで、ようやく──私は、誰も傷つけなくて済む』
心底からほっとしたような声だった。
操られて、俺と本気で殺し合いを演じさせられて、その上で呟かれた言葉がそれだった。
その言葉を聞いた瞬間に俺は察してしまったのだ。
彼女──ユキナ・ヴァン・ユリフィスの中に俺はないのだと。
ユキナにとってはもう人を傷つけなくてすむかどうかが、重要で、そのためならばシエラの思惑に乗ってしまってもいいのだと、そう思っていると俺は直感した。
ユキナは俺を望んでいない。彼女の中に俺はいない。
──自分の居場所になってほしいって、いったくせに……。
でも、結局彼女はそれを望んでいなかった。
それならば、なのに俺が介入するのは筋違いだろう。
「結局、この婚約は外から決められたものでしょう」
俺ははっきりと殿下にそう告げる。
今回の発端──ユキナと俺の婚約を取りまとめたその張本人に、それを突き付ける。
「だったら、俺が直接かかわる意義は薄いじゃないですか。それよりもきちんとした公権力の手でユキナを探してくれた方が百倍マシです。むしろ俺がかかわって事態をややこしくするほうが誰のためにもなりませんよ」
それだけを告げ、俺は毛布をかぶった。
自分と世界を遮断する俺に、殿下は──
「お前は、それでいいのか?」
疑問の声を出す殿下。
本気でそう思っているのか? と問う殿下にたいし俺は頷きを返した。
「ええ、これが最良の選択だと思っています」
言いながら俺は自分の胸を押さえる。
ユキナへの踏み台にされた【呪い】はまるで、そのことを怒るように激しい痛みを俺の胸元に生じさせていた。まるでかつての親友からの怨嗟だ。
「結局俺にはなにもできません。事態をややこしくすることは間違いない。だったら、最初からかかわらないという選択をとってもいいでしょう。そうすることですべてが丸く収まるのならば、それでいい。第一、俺が婚約者になったのはたまたまじゃないですか」
たまたま、財閥系の生まれでほどよく才能がある魔導師が俺だった。
だからユキナの婚約者に選ばれた。
ただ、それだけの関係──そんな関係に本気になる方がバカだ。
「……ハル。お前は本当にユキナ嬢とお前の婚約が偶然成立したと思っているのか?」
真剣な眼差しがそこにあった。あまりの真剣さにこちらが気圧されるほどの眼。
それに俺はゴクリと唾を飲み下す。
「……どういう、意味ですか……?」
殿下の言葉の意味がわからず、疑問する俺に、殿下は真剣な眼差しのままそれを口にした。
「そうじゃないんだよ、ハル。お前が──ユキナ嬢の憧れであるマグヌス・レインフォードでもあるお前が、そんな彼女の婚約者になったのはな、すべてある男の〝願い〟が発端なんだ」
忌まわしい血と扱われ、それでもなお、ユキナの幸せを暗に祈っていた者が、いた。
その者の名は、
「ヨハン・ヴァン・ユリフィス──ユリフィス家の現当主だ」
血縁上において、叔父にあたる。
そして戸籍上では彼女の父であるその男の名を殿下が口にする。
「幼少より体が弱く、決して当主としての任に堪えるような方ではなかった。だから、家門の中では立場が弱く、長老の言いなりとも言われている方だ。でもな──妹君の忘れ形見にして自身の『娘』へいだく想いは本物だったんだよ」
殿下がそう告げる。その上で、殿下が告げたのはユリフィス家の内情だ。
「ユリフィス家は世界大戦で直系の多くを失った。現当主は幼少から病弱だったからという理由で出征しなかったがために生き残ったから当主に慣れたというほどの有様だ。だから、あの方は、当主でありながらもユリフィスの中で立場は弱い」
実際に彼の次男であるジュリアンは長老たちの精神的な汚染を受けている。それが当主でありながらヨハンの立場が弱いことを物語っていた。
「そんな彼がな、長老達に逆らってでもユキナ嬢を引き取ったんだ。彼女を自身の娘とすることで彼女を殺そうとした長老から守るために」
だが、無理だったのだ。それがユキナの現状がそれをひどく物語っていた。
「長老の支配下にある本家では、当主といえどもどうしようもない。日に日に悪化するユキナ嬢の扱いに、当主と言えども病床にあって権力をもたなかった彼は指をくわえて見ているしかなかった──だったら、外に出す以外にないだろう」
「───」
「確かに思惑はあったよ。それがなければこんな婚約が成立するわけもない。でもな、ハル。この婚約を望んだ者が真に願ったのは、本当に細やかな……細やかすぎて、強大な力の前では踏みつぶされる、そんな願いなんだ」
つまり、
「──ただ『娘』に幸せになってほしい」
それが発端だった。
誰かにとって当たり前の、でも、その誰かにとっては自分で叶えることができない、そういう想いがすべてのはじまりだったのだ。
「そのために、娘が好いている男の元に嫁がせる。そんな親心だったんだ、この婚約は。だから俺も協力した。帝国政府の思惑すら利用して、それを成立させた」
だけどな、ハル、と殿下は告げた。
「それが、いま、ぶち壊されようとしているんだぞ?」
お前はそれでいいのか? という殿下の言葉。
顔を知らぬ、言葉すら交わしたこともない一人の男の想い。
それを殿下から教えられて。
「───」
気づいたら、俺は病室を飛び出していた。
感情の衝き動かされるまま。
俺は、ユキナを救い出すために、駆け抜ける。
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