30.幕間狂言/シエラ・ユリフィス
「……これでよかったですか」
アンネール市の公共道路を進む自動車の中で、ユキナがそんな呟きを漏らす。
そうして彼女が見やる先、そこには対面する形で座るシエラがいた。
「ええ、素晴らしい結果だわ」
微笑みながらそう告げるシエラに、ユキナはギリッと唇をかみしめた。
「なにが素晴らしい結果ですか。私にあんなことをさせて──」
「──あら、あれはあなたの意志でしょう?」
シエラがそう告げた瞬間だった。
──ズキンッ。
頭痛がユキナを襲う。
頭が割れんばかりにズキズキと頭蓋を叩く痛み。
吐き気すら覚えるほどの痛みにユキナは頭を押さえて、座席の上でうずくまった。
「───ッ」
しばらく頭痛が猿のを街、ユキナは顔を上げ、シエラを睨んだ。
「……精神を侵す類の【呪い】ですか……」
いまユキナは呪われていた。
精神干渉系の術式によって、シエラの言うことを聞かざるを得ないようにされたのだ。
「こんな【呪い】で私の意思を捻じ曲げ、ハルくんと戦わせて満足ですか?」
「満足よ。素晴らしい結果だと思うわ」
心底からそう思っているようにシエラが告げる。
「こんな呪い、をいったいどうやって……」
「もともとあった【呪い】を足掛かりにしたのよ。ハル・マグヌス・アリエル=レインフォードが一年前にかけられた呪いを、ね」
「………」
シエラが、ハルと邂逅していた理由がそれだ。
彼女はハルとの会話の裏で、彼にかけられていた【呪い】を足掛かりにして、ユキナ自身にも【呪い】をかけた。
それを語られてユキナは歯噛みする。
「なんて、残酷なことを……」
「でも、そのおかげであなたを取り戻すことができたわ」
告げられた言葉に、ユキナは顔を上げた。
「どうしてそこまで私を求めるのですか……?」
「それが帝国のためになるからよ」
はっきりと断言するシエラ。
意外にもそこには真剣な眼差しがある。
シエラにしては珍しい真面目な表情。常に超然とした笑みを浮かべている彼女にしては珍しい真剣な瞳が目の前に座るユキナを射抜く。
「帝室はあなたとハル・アリエルの血を使って新たな十二騎士候を作ろうとしてた──これは、非常に危険なことよ」
「危険なこと……?」
ユキナの疑問する声に、シエラは頷く。
「そもそも現代は魔導師にとって逆風の時代よ。民主主義の発展は身分制度の著しい解体を呼び起こしている。血統によって成り立つ魔導師と言う存在にとっては、それだけで血統を維持することもできなくなってきているわ」
実際に、バグエラ連邦なんかでは革命で魔導師の血統が排除され、魔導戦力を大きく衰退させたわけだし、とシエラは言う。
「その中で帝国が世界でも稀なほど強力な魔導戦力を維持してこれたのは、ひとえに十二騎士候を中心とした血統管理制度が確立しているから。十二騎士候という強力な家門の下、門閥によって成立する魔導師家門の連帯が帝国の強力な魔導師を生み出している背景なのよ」
「……だったらなおさらにわかりません。よりよい血統が生まれるのならば、むしろ推奨するべきなのでは? それこそ今回のことは帝室がやっていることです。帝室とも関係が近い皇帝派のユリフィスならばもろ手を挙げて歓迎するのが自然でしょう」
ユキナの疑問にシエラは「だからこそよ」と告げた。
「帝室がやろうとしているのは十二騎士候の管理下にない新たな血統よ。それにもかかわらず十二騎士候に匹敵する家門なんて生まれれば、帝国内で魔導師は二分されてしまうわ。その果てにあるのは、十二騎士候制度自体の崩壊。ひいては、帝国の魔導師社会自体の崩壊よ」
重々しい口調でシエラが告げる。
「そうなってしまえば、静戦が行われている現代で帝国の国益を大きく傷つけることになりかねない。だから私はあなたとハル・アリエルの結婚を認められないのよ」
そう言葉を結んだシエラに、しかしユキナは胡乱な眼差しを浮かべた。
「それはあなたの憶測でしょう。必ずしもそうなるとは限らないのではありませんか?」
「かもしれないわね。でも、そうなるかもしれない。そして、国家というものは、かもしれない、というだけで容易に崩壊するものよ……少なくとも私は長く生きてきた中でそれを何度も何度も見てきた……」
言葉を告げ終えると同時に、遠い目をするシエラ。
青い瞳の中に映るのは、はたして、いつの時代か。
数百年の時を生きるという魔女の考えていることは、残念ながらユキナにはわからない。
ただ一つ言えることは、いま彼女を侵す【呪い】のことだけだ。
「……たとえ、あなたにどのような理由があり、それが国家のためであっても、私にたいして呪いをかけ、そうして操った卑劣さまでは否定されるものではありません」
「ふふ。その通りね。でも、私はこれが帝国の国益に資すると信じているわ」
信じている、という言葉が嘘偽りではないのは、ユキナにもすぐにわかった。
その瞳に宿る、いっそ狂気的な光が真実、帝国の国益しか彼女の眼中にない、とまだ年若いユキナにすら悟らせるほどはっきりと存在していたからだ。
ユキナは、そんなシエラの狂気に身を震わせる。
「恐ろしい人ですね」
「よく言われるわ」
クスリ、と笑って告げるシエラ。
そんなシエラを見やりながら、ユキナが思い浮かぶのは一人の少年の顔だ。
──ハル、くん……。
自分のせいで、深く傷つけてしまった黒髪の彼のことを思い起こして、しかしもう彼の隣に立つ資格がないことにユキナは歯噛みした。
車は道路を行く。
遠く遠くへ、ユキナを連れ去っていく。
そのころ、ハル・アリエルは──
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※↓の解説は、作中ではテンポを優先して語り切れなかった背景事情を解説しております。ですが必ずしも読むことを強制するものではありません。作者としても読むことは非推奨なので、興味のない方は読み飛ばしOKです。
※一方で読めばよりこの世界感を楽しめるものなので、興味がある方はぜひともご覧くださいませ。
【現代社会における魔導師の立場】
現代の神地世界における魔導師の立場についてここで語る。
三百年前の産業革命から文明の発達によって民主主義社会が形成された神地世界では、それにともなう国民国家の登場と、身分制度の解体によって魔導師の立場が非常に危うくなっている。
多くの国では民主主義に移行すると同時に貴族階級として存在していた魔導師家門自体も衰退しており、そのほとんどは資本力に優れた非魔導師系の富裕層と婚約することをよぎなくされ、それによって起こった混血で、魔導師の血統としても衰退せざるをえなくなっていった。
一方の帝国では建国以来、十二騎士候の下、門閥(互いに血縁関係を結んで構築される派閥関係)を形成することで魔導師家門の保存が行われ、それによって血の純粋化を進めたこともあり、むしろ建国以降、その血統はより力を増すことに成功していた。
しかしこれは世俗的な権威から帝国の魔導師達を乖離させる現象も引き起こし、特に帝国の魔導師家門は経済的にも特権で強大な資本力を持った十二騎士候に依存するようになっていった。
これが十二騎士候の既得権益であると同時に強力な魔導師家門そのものの統制力にもつながっているわけだが、これは国家の枠組みを超越した部分が存在するため、帝国政府の不信感を呼び起こし、結果として今回のハルとユキナの婚姻による新たな魔導師家門の創設という騒動につながったわけである。
しかしこれは、十二騎士候に対して対立する派閥を新たに生み出すということも意味していた。
特に問題なのがハル・アリエルの生家が財閥系というところで、その強大な経済力によって、これまで十二騎士候に依存していた弱小魔導師家門がハル達の側へついてしまうということが十二騎士候側に強く懸念されていた。
もし、そうなった場合、ただでさえ門閥だよりでようやく家門を存続できている貧しい魔導師家門が、経済力を背景に資本家たちによって吸収され、他国と同様に混血によって衰退の道をたどることになりかねない。
十二騎士候制度自体が、門閥によって強力な血統を維持し続けてきたことにより、他国に比べても特別な血統であったことが、売りであったのに、それを喪失しかねない自体は、いわば十二騎士候だけでなく、帝国魔導師社会そのものにも強い悪影響を及ぼしかねない。
その果てに待っているのは十二騎士候制度そのものの瓦解であり、ひいては強大な魔導戦力の喪失という、帝国が神地世界に誇る強力な力を失うということも意味していた。
特に十二騎士候の保守派はこれを看過できず、その中でもシエラは過激派一派の首領として、ハルとユキナの婚約解消のため暗躍しているわけだ。
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