3





  ***



 陽が緩やかに傾いていく。二人は急いで森を歩き、ちょっとした広場のような場所を見つけると腰を下ろした。

 歩きながら木の枝を拾い集めていたおかげで、焚火の準備も万端である。

「食料までは無理だったが、とりあえず夜は越せそうだな」

 ヴィルはそう言いながら、慣れた手つきで枝を組んでいく。その様子をディアナはじっと見つめていた。


 ザンクトゥアリウムへ行くとは決めたものの、心の痛みまでは消えはしない。村人やユリウスのことを思い出すたびに、きりきりとした痛みがディアナの胸を襲うのだ。

(私がこんな瞳を持たなければ……)

 そうすれば、閉じ込められることもなかった。ユリウスは自分の世話係にならなくてもよかったし、村人たちも責を負う必要がなかったのに。

「どうした、ディー」

 声を掛けられて、ディアナは目を瞬かせる。

「……なんでもない」

「なんでもない、という顔には見えないな」

 そう言いながら、ヴィルは石を取り出して薪に火を着けた。ぱちぱち、と火の爆ぜる音とともに、柔らかな温かさが辺りを包み込んでいく。

「明日からは街道は使えない。森の中を歩くことになるんだ、休めるうちに休めよ」

「……うん」

 煮え切らない返事にヴィルは苦笑すると、ディアナの隣に腰を下ろした。

「あんたはもっと図太く生きた方がいい」

「図太く……?」

「そうさ。どうせ、村のものが咎められるのは自分のせいだ、だとか、どうして魔眼なんて持ってしまったんだろう、だとか、今更考えても仕方のないことを考えているんだろう」

 図星である。

 ディアナは膝を抱えたまま、膝頭に顔をうずめる。

「マルクルさまが私のことを探してる……。こんなに早く兵が出されるなんて思わなかったの。それだけ、私は悪いことをしてしまっているのね」

「おい、ディー」

 ディアナは首を振った。じわじわと胸の中を占めていくのは、罪悪感である。


 魔眼の主は、生きているだけでシュナグランドの地を滅びへと導いてしまう。そんな自分が、処刑前に逃げ出したのだ。


 なぜ、無事にザンクトゥアリウムへ行けると思ったのだろう。


(私が死なないと、国が亡びるのよ。そんなの……必死で探すに決まってるじゃない!)

 ディアナは自らの考えの甘さに臍を噛む思いだった。既に領主が動いているということは、フォルスト村の皆やユリウスが届け出たということでもある。

 その結果、彼らは今どのような処遇を受けているのだろう。魔眼の娘を逃がした罪がどの程度重いのか、はっきりとしたことは分からない。しかし、あの兵たちの様子を見る限り、ただでは済まないのは間違いない。

 兵たちの嫌な笑い。その意味が理解できないようなディアナではない。恐らく、ユリウスを筆頭にフォルスト村の人たちは厳しい尋問にあったに違いないのだ。

(あんなに良くしてくれたのに)

 ユリウスのやわらかな笑みを思い出して、ディアナは益々顔を膝に埋める。


「ディー」


 ヴィルの声が耳に届いた。

「衝撃を受けているのは分かるんだがな。あんたは、どうしたいんだ」

 その温度の冷たさに、ディアナははっと顔を挙げる。

 真摯な光を浮かべた金色の双眸が、ディアナをじっと見つめていた。心の奥底まで貫くような鋭い光がディアナの心を穿つ。

「俺はシュナグランドの民ではない。だから魔眼やらなんやらと言われても、単なる言いがかりとしか思えない」

 その言葉に、ディアナは目を見開いた。

「魔眼の主は、生まれながらにして魔に魅入られている。災害や不作の原因となる――俺に言わせれば、そんなものは民の怠慢の擦り付けにしか思えない」

 ヴィルは淡々と言葉を口に乗せた。

「シュナグランドの地は豊かだ。この地の森は、生命力に満ちている。その恵みを見ることもなく、感謝すらせずにただ自らの与えられた土地で嘆くことしかしない。挙句の果てに、こんな子供一人に責任を押し付けて現実逃避をする。それがシュナグランドのやり方だ」

 金色の瞳に、一瞬だけ怒りの色が混じる。その意を問いただす暇もなく、ヴィルは言葉を紡いだ。

「あんたはザンクトゥアリウムへ行きたいと言った。その想いや熱量は本物だった。だから俺は、その願いを聞き届けようと思った」

「ヴィル……?」

「ディー。……いや、ディアナ。俺はあんたを助けるふりをして、そのまま逃げだしてもよかったんだ。それをしなかった理由を知るべきだ」

 思いのほか強い口調と、その内容にディアナはぽかんと口を開ける。

 確かに、律義に取引に応じずとも、ヴィルは容易に逃げられたはずだ。格子の窓から飛び降りたときに、ディアナを見捨てることだってできた。


「ヴィルは……魔眼が怖くないの」

「信じていない伝承に、恐怖を覚える必要がどこにある?」


 言葉に詰まったディアナに、ヴィルは金色の目を緩めて笑った。

「……ディアナ。これは秘密の話なんだけどな」

 金の瞳がいたずらっぽく光った。

「あんたのその瞳は、俺の国では大地の瞳と呼ばれている」

「大地の……瞳?」

「そうだ」

 ヴィルは微笑み、その指先でディアナの前髪をそっと避けた。燃える炎の色を受けて、瞳は橙に輝いていた。

「瞳にいくつもの光を宿す。その光は太陽の色でもあり、空の色でもあり、森の色でもある。大地のあらゆる祝福を受けた輝きは、その曇りなき眼で未来を照らし出すと言われているのさ」

「……未来を」

「もしあんたがその瞳のことを苦しいと思うならば、俺の言葉を思い出せ。大地の瞳は俺たちの誇りだ。胸を張って生きろ」


 今、何を聞いたのだろう。

 聞き間違いではないのか。

 

「……誇り? この、瞳が……」

「そうだ」

「大地の、瞳」

「その通りだ」


 生まれてこなければよかったのに、と何度も思った。水鏡にうつる、忌まわしい自らの瞳。抉ってしまおうかとすら思ったことも一度や二度ではない。

 その瞳を、目の前の男は誇りだと言ってくれた。

「ヴィル」

「なんだ」

「私、こういうとき、どうしたらいいのか分からないのだけど……っ」

 そこまで口にして、ディアナは自分が涙を落としていることに気づく。

 初めて聞く、瞳への称賛の言葉。

 それは今まで経験したことのない喜びだった。ヴィルの言葉は、まるで暗闇に差し込む一筋の光のようにディアナの心を照らし出す。

 ヴィルは苦笑して、ディアナの頭をぽんっと軽く叩くようにする。

「苦しくなったら何度でも言ってやる。あんたの瞳は大地の瞳だ。魔眼なんかじゃない。この地を滅ぼすような力なんて、あるわけない」

「……うん」

「俺は、その瞳が好きだ」

 手の甲で涙を拭き、ディアナはそっとヴィルを仰ぎ見る。

「……好き?」

「ああ」

 炎に照らされた金色の瞳が、柔らかい光を浮かべている。

 その光の温かさに、どきり、と胸が鳴る。


 ――と、そのときだった。


 ディアナの耳が、異質な音を拾った。限りなくひそめられた足音と、金属がぶつかるような音。それも、一人や二人ではない。少なくとも十数人分の物音が、じりじりとこの広場に近寄ってきているようである。

 

「ねえ……」

「ああ」

 ヴィルも気づいているようだった。鋭い気配を身に纏わせ、そっと立ち上がり目を光らせる。

「さっきの兵たち?」

「いや、兵にこんな足音の殺し方はできない。もしかしたら……」

 ヴィルはぐっと唇を噛み締めると、ぽつりと言葉を落とす。

「ディー」

 思わぬ低い声に、びくりとディアナの肩が震える。

「最初に謝っておく。すまない」

「な、なに?」

「今から来る奴らは、多分、俺に差し向けられたものだ」

 問いかけることはできなかった。その言葉の意味ががディアナの頭に届く前に、ヴィルが突然大声で叫んだのである。

「隠れても無駄だ。もう気づいているぞ!」

 その声に呼応するように、木立から十数人の男たちが現れた。どの者も手に細身の剣を携え、ヴィルに刃を向けている。

 その身なりは、明らかに領主に仕えている兵ではない。革靴に麻の服。その上から簡易的な金属の帷子を着込む、軽さを重視した鎧姿である。

 ヴィルの顔が歪んだ。

「やはり、あんたらだったのか」

「かつての臣下を、あんたら、とはご挨拶ですね。陛下」

 男のひとりが苦々しい口調で告げる。

「陛下……!?」

 ディアナは目を見開いた。思わず問いかけの視線を向ける。ヴィルは唇の端に笑みを浮かべて、目の前の男たちを睨みつけていた。

「その王に刃を向けている不届き者を、臣下と呼ぶには抵抗があるな」

「私たちも、あなたに刃など向けたくない。陛下のご行動が、そうさせているのだと気づいてはいただけませんか」

「ふん」

 男たちは鋭い気配を纏わせたまま、必死の形相でその言葉を口にした。


「ヴィルフィート・タニスト・クルトル」


 今度こそ、ディアナは、耳を疑った。


「我らがクルトルの王。どうかクルトルの誇りを取り戻してください!」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

聖域≪ザンクトゥアリウム≫に魅入られし魔眼 野月よひら @yohira-azuma

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ