第3章 清原邸襲撃 その2
「何があったか」と急いで頼親が庭を横切って向かう。
母屋で暴れていた連中も、頼親に倣って付いて来た。
東の庇へ続く渡り廊下に飛び乗り、頼親はドカドカと足音を立てて歩き、東対の庇屋に入る。
既に部屋という部屋は蹴破られているようであったが、一番奥の部屋だけは様子が違っていた。
そこにいる手下達は何も出来ずに立ち尽くしているように見えたのだ。
「何をしている」と頼親が入っていくと、部屋の真ん中で机台に向かって一人の白装束の者が座している。
その者は痩せこけて小柄に見えたが、頭からは白い布を被り、筆を持ったまま紙に向かってジッと座っているのだ。
その人物の周りでは頼親の部下が刀を持ったまま、手をこまねいて立っている。
「誰だ、こいつは」と頼親が周囲に聞く。
「分かりません」
その答えに対するものか、或いは頼親の登場に対するものか、穏やかな「ホホホホ」という笑い声が聞こえてきた。
「誰かと思えば、『殺しの名人』ではありませんか。こんな大人数で老女の部屋に押し入ってくるとは、呼び名に反するとんだ臆病者ですね。女一人に怯えるようではその異名は返上しなければなりませんわね」
「何だと!」と頼親は怒気を含んだ声を上げながら、余りの女の落ち着き様を奇妙に感じる。
この肝の据わり方は、どうにも只の女とは思えない。
「お前、女の振りをしてこいつらを手玉にとって逃げだそうとしている清原致信じゃあるまいな」
その頼親の問い掛けに、今度も落ち着いた笑い声で応えてきた。
「『正体見たり、枯れ尾花』とは耳にしますけど、それを地で行くやり取りをこうして目の当たりにするのは初めてですわ」
「何を偉そうに!そこまで言うのなら、その頭に被った布を剥ぎ取って、その顔をとっくりと拝ませてもらおうじゃないか」
「おや、女に向かってそれを言うのかい」
その凄味のある言葉に頼親は思わず唾をゴクリと飲み込んだ。
「私はかつての中宮様にお仕えした清少納言です。今はこうして宮仕えを辞し、ただ中宮様のご冥福のために髪を下ろして祈る身となりました。
それを承知の上で、その失礼な物言いをするつもりですか」
小さな体のどこにそこまで強靱な精神が潜んでいるのかは分からなかったが、その明瞭な闘志と明朗な声に頼親は圧倒されそうであった。
ちらりと後ろを振り返ると、母屋の探索を終えた部下達が集まってきていた。
ここで言い負かされるわけにはいかない。
「その高邁な態度と物言い、後悔させてやろうじゃないか」と源頼親が声高に言い返してみせる。
ここは勝負、まさに賽は投げられた、といった趣である。
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この時、清少納言の胸中には亡き父のことが思い浮かんでいた。
父の清原元輔は、この頃から少し以前に藤原公任(ふじわらのきんとう)が選んだ和歌の名人三十六人――即ち三十六歌仙の一人に名を連ねる歌人である。
その父が賀茂祭で奉幣使(ほうべいし=帝に代わって神社などの幣帛(へいはく)という神に奉献するものを奉納する使者)を務めたことがあった。
その時、父は一条大路に差し掛かったところで祭り用の飾り馬から落っこちてしまったのである。
幸い怪我はなかったのだが、落馬した拍子に冠が脱げ落ちてしまったのだ。
当時の慣例では人前では頭は隠すものであり、頭を晒すのは恥部を見られるのと同じように恥ずかしいことであった。
ところが、この事件で露わになった元輔の頭には毛が一本もない、見事なまでの禿頭であった。
普通に頭が出ても恥ずかしいのがピカピカの禿頭であったから、祭りの見物に押し寄せていた群衆は貴族から庶民まで分け隔てなく大笑い。
そこで元輔が「自分にも馬にも落ち度がないのに笑う方がどうかしている。無学・無教養の証だ」と熱弁を揮う。
おかげで上気した頭がいっそう光る度に、誰も彼もが笑いを堪えきれなくなったのだ。
そんな具合に父・元輔は瞬間的にその場の空気を掴み、自分を見る者をいいように操る術に長けていた。
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清少納言は頼親に鋭い視線を向ける。
「女に向かってのその物言い。
男と女の区別も付かない不調法者には礼節や道理を説いても意味が無さそうですわね。
『殺しの名人』が上手いのはどうやら殺しぐらいみたいですね。その無骨な手で触らなくとも、こんな頭巾ぐらい自分で取って差し上げますわ。
そこまで不躾な振る舞いをしてしまったことを後悔されませぬように。
さあ、私が清原致信かどうか、とくとご覧あれ」
誰も止める暇のないうちに、清少納言はさっと立ち上がると頭の布を降ろす。
布は音を立てるでもなく、滑るように床に落ちて広がった。
そこにあるのは髪を下ろした老女の頭――今で言えばおかっぱ頭ぐらいに切り詰められた髪の姿――である。
女は人前で顔すら見せないのに、それが尼削ぎを施された頭が露わとなったのだ。
「ここまでするか」と頼親の家来達は面目を失って、思わず目を伏せる。
頼親は頼親で早くも後悔の念にとらわれていた。
気落ちする部下達を目にすれば「清少納言め!」と、してやられたような敗北感すら湧いてくる。
この異様な空気の中、部屋に入ってしまうでもなく後方に位置していた四天王筆頭・渡辺綱は、清少納言の見事なまでの場を支配する力に舌を巻いていた。
と、同時に「何が狙いだ」という不審を抱きもしていた。
ふと、調べの終わったはずの母屋を振り返ると、打ち破られた雨戸こそあちこちに打ち捨てられたままだったが、中を検めるために蹴破られ、開け放たれたままになっていたはずの格子戸までがきっちりと閉ざされている。
「いつの間に」と驚きながら僅かに首を動かすと、そこで四天王の碓井貞光と卜部季武の両名と目が合った。
渡辺綱は二人と微かに頷き合う。
このまま清少納言の方に注意を向けたまま、気づかぬふりをしていようと意見が一致したのだ。
その時、「あれ、あれ、あれ?」という素っ頓狂な声が上がった。
「あいつか」と渡辺綱が顔をしかめる。
もちろん、声の主は坂田金時だ。
「こりゃ、どういうことだ!調べの済んだはずの母屋が、いつの間に!」
その大声に清少納言を残したまま頼親が部屋から出てくる。
いや、清少納言との対峙を済ませられる良い口実ができてホッとしたのが正直なところだろう。
「何があった?」と頼親がまさに声をかけたその時だ、渡り廊下の床下から飛び出した人影が素早く母屋に這い上がり、あっと言う間に格子戸を開けて中に飛び込む。
それと同時に障子格子はピシャリと閉じられてしまった。
「何があった?」と、目の前で繰り広げられた事態が信じられずに、もう一度頼親が問うた。
庭に転がる死体の姿は先ほどまでと何も変わらぬし、打ち破った蔀戸(雨戸)が散乱しているのも変わらない。
だと言うのに、母屋の格子は全て閉ざされ、中がどうなっているのかは窺い知れないのだ。
「なに、潜んでいたネズミが飛び出して隠れ場所を変えただけのこと。俺様にお任せあれ」と坂田金時は叫ぶが早いか、濡れ縁に駆け上がる。
そこからのしのしと一番端の部屋の前に立つと「そりゃ!」の掛け声と共に鉞を打ち下ろす。
轟音を立てて格子戸が粉々になり、辺りには木くずが散乱する。
中に入った金時が仁王立ちで周囲を見渡す。
「この部屋にはいねぇなぁ」と笑いながら出て来て、そのまま隣の部屋の前に立つ。
「じゃあ、ここか!」
再び音を立てて破片が飛び散り、木くずが舞い上がる。
金時が再び部屋の中を覗き「ここでもねぇか」愉快そうな声を発する。
その様子を見て頼親は酷薄な笑いを浮かべる。
「隠れている奴は生きた心地がするまいな」
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まさしく、反対側の端から二番目の部屋に潜む清原致信は震えが起きそうになるのを堪えながら待っていた。
武器は腰に佩用する刀が一振り。
後は主人である平井保昌から譲られた懐刀だけである。
坂田金時の実力のほどはよく知っている。
あの大鉞に対して自分の腕前では歯が立たないだろう。
それでも、清原致信はひとかどの武人としての矜恃がある。
坂田金時に対して見事に一太刀なりとも浴びせて死んでやろうではないか、と決意を固める。
丁度その時、清原の肩に何者かの手がそっと置かれた。
「やっぱり、お前さんにはここで死んでもらうしかないねぇ」
こんなすぐそばまで忍び寄られていたというのに全く気づかぬとは、清原致信には一生の不覚であった。
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