第2章 大和守 その3

僧兵との争いで負傷者が出るのは日常茶飯事であったが、火付けの実行班の指導的立場である梁田新介が、重傷を負ったという報せは当麻為頼の表情を曇らせた。

寛弘3年の火付け事件でも活躍した腹心の部下である。


「良い薬師はいないか」と問うと、すぐに「心当たりがあります」と家人から返答があった。


何でも一年前に都から移り棲み、地元の人間の病気・怪我には加持祈祷だけではなく薬草を煎じ、塗り薬や丸薬を処方してくれるのだという。

特に薬の効能は抜群で、それまで長患いしていた者にも「介抱した」と働けるようになった者が何人もいるのだという。


「そんな優れた薬師がなぜ都落ちを」という疑問が当麻為頼の脳裏を掠めたが、何はともあれ部下の治療が第一だ。

早速、為頼自らが部下に案内させてその薬師のもとを訪れる。


その薬師は長原嘉念(ながはらのかねん)と名乗った。


「深手を負ったとあれば、その先は傷の経過次第。きれいに治れば吉。化膿でも起こせば凶となりましょう。薬師が出来ることはさほどありません。傷をきれいな水で日々洗う以外にありませんな」と長原氏は怪我人の元へ出向くことを渋る。


「本人だけでなく、家族も心配しております。名高い薬師が診察だけでもして下されば、どれだけ心安らかになれましょうか」と為頼は食い下がった。


薬師は為頼の頼み言に意外そうな声を上げた。


「それほど部下を思いやるのなら、なぜ諍いを自らけしかけるのです。相手方にも必ず負傷者は出ており、その家族だって心細く感じながら時を過ごしているのではないですか」


薬師の問い掛けに為頼は反論することが出来ない。


「あなたがそれ程までにして頼んでくるのであれば、この長原も人の心を持つ身ですから、今回は伺いましょう。

ですが次からは手出しを始めた方の者の面倒は見ませんぞ。それで納得するのなら、すぐにも出かけましょう」


部下の治療をしてもらいたい為頼は、この条件に応じるほかない。

不承不承ではあるが承知した。


「では成太郎、薬箱と薬草袋を持って付いて来なさい」


その様子を見た為頼が部下に「ほれ」と合図する。

命ぜられた部下が成太郎と呼ばれた男に近づき「そのぐらいなら、俺が持つよ」と申し出た。


「いえ、これはあなた方が戦で持つ刀と同じ、私共には大切な道具でございます。他人様に任せて持ち運ぶような品ではございません」


その返事に感服した為頼は部下に「余計なことはするな」と叱責して、薬師にも成太郎にも自ら頭を下げた。


「出過ぎたことを口にしまして、申し訳ございません」と謝罪すると為頼はそのまま部下を帰宅させた。

それを見て薬師が訝る。


「宜しいのですか。たったお一人で」


「何をおっしゃいますか。この当麻為頼の地元でございます。例え夜道であろうとも、女子どもでもないのに供の者が必要なんぞと言うことはございません。ましてや、今は昼日中です。どこに危険がございましょう」と薬師の懸念を笑い飛ばしてみせた。


こうして新介の家に着くと、横たわる怪我人は涙を流さんばかりにしてありがたがる。


薬師は傷口を汲み立てのきれいな水で洗い流し、そこに薬を煎じ詰めた薬を塗り込む。


「この塗り薬は傷からの血を止め、傷を清潔に保つ効果があります。ですがこんな薬を塗るよりも毎日傷を洗う方が大事なのです。傷を洗っては薬を塗り、の繰り返しです。

三~四日も経って傷が落ち着いてきたなら、今度はこちらの煎じ薬を布に付けて軽く傷口に載せて下さい。それで傷口が盛り上がってくるようなら、もう安心です」


家族や親族までが集まって薬師とその手伝いを下にも置かぬもてなしぶり。

誰もが彼らに頭を下げ、更に為頼に対しても皆が礼を述べる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


薬師を家に送り届ける帰り道では、為頼は満足げに笑顔を見せる。


「先生のような大家がなぜ都を離れて。この大和にいらしたのですか」


「ここもかつての都。多くの人々が暮らす里に変わりは無いでしょう」


「いやですが、都となれば人数の多さは比べものではございません。先生ほどの御方であれば名声や地位も思いのままではございませんか」


「それを望む私でもない」と薬師は気落ちしたような声で応える。

と、そのまま薬師は何かに気が付いたように足を止めた。


「どうされましたか」と為頼が声をかけると成太郎が薬箱を手に近寄ってくる。


「先ほどから先生はお気になさっていることがございまして。

是非とも当麻様にはこれをと申しているのです」


そう言って成太郎は薬箱を開き、中から短い筒状の物を取りだした。


ハッと気が付いて「貴様っ」と刀の柄に手をかけた時には、既に成太郎の抜いた短剣が為頼の喉を掻き切った後だった。

そのまま為頼は声も上げることなく倒れ込む。


「安心しな。先生の処方は間違いない。新介の怪我は快方に向かうだろう」


そう語って聞かせたのは誰あろう、成太郎こと清原致信であった。


一年前に優秀な薬師と供にその手伝いとして葛城に移り住み、長い時間をかけて機会を窺っていたのが、この日こうして結実したのだ。


「先生には長く付き合わせてしまいましたね」と清原は謝る。


「病気・怪我で困った人々を助けるのは、どんな場所であっても変わりませんから構わないのですが・・・・・・反対に一人を殺めるためのそなたの手間のかけ方は尋常ではないな」


「簡単に始末出来る相手ではないからこそです。

それはともかく先生にはまた別の土地に行っていただかなくてはなりません。先ほどの『どんな場所でもあっても変わりません』という御言葉は心強い」


「あれは言葉の綾・・・・・・いや、職業の本分であるべきか・・・・・・まぁ仕方がない。こんなことに協力してしまった我が身の不運」と薬師は愚痴を呑み込む。


「先生、何かおっしゃいましたか?」


「いやいや、そなたの言う通りにするとしよう。命あっての物種じゃな」

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