第10話 アルガイアー暦375年6月4日 -2-

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「あれ? マゼンタさん、ですねぇ」

「……!」


 相変わらずイザベルはこちらの考えを読んでくる。

 一体それもどうやっているのか……他人の心を読む魔術なんて聞いたこともない。


「あ、ちょっと待っててくださいね。

 ……フィオナさん? 本当にどうしちゃったのですかぁ? 治療が全然進んでいませんよ?」

「あ、う、む、無理……無理です……」

「無理?」


 ……可哀想に、フィオナは完全に怯え切ってしまい、ボロボロと涙を零している。

 彼女にもわかるのだ。イザベルの異常さが。

 そして『無理』と言っている理由もわかる。

 いくらフィオナであっても、あんな重傷を一発で治す奇跡など使えない。もっと言えば、そんな奇跡は存在しないのだから。

 存在しない奇跡を使えと言われているに等しい。

 フィオナからしてみれば『無理』としか言えないだろう。

 もしイザベルの正体があたしの想像通りなら、それを知らないはずはないのに……。

 イザベルは困ったように少し首を傾げ――やがて優しく微笑み、イザベルの両手を自らの手で包み込む。


「フィオナさん、やってもいないうちから無理なんてこと、言ってはダメですよ。口にしてしまえば、それはあなたの心を縛る鎖となってしまいます。

 心を縛る言葉の鎖は容易には解けません。それはやがて楔となり、あなたの持つ素晴らしい可能性を閉ざしてしまうことでしょう。

 だから――ね? フィオナさん、もうちょっとがんばってみましょう? 大丈夫、あなたならきっとできます!」

「う、うぅ……うぐっ、ひっく……」


 人の心は複雑で脆く、単純で頑丈だ。

 言葉によって容易に変節してしまう癖に、曲がったまま固まってしまう。

 『奇跡の聖女』と言葉をかけ続けられ自信を持てば、ほんの少しだけ他人より奇跡が上手いだけの小娘でもそのように振る舞うことができてしまう。

 『役立たず』と罵られ続ければ、規格外の能力を持つ優れた術者も凡人以下になり下がってしまう。

 心持ちはともかくとして、なのだ。

 それでも『やれ』と、優しい言葉でイザベルはフィオナをする。


「一回の奇跡で跡形もなく怪我を治す必要はないんですよ――それができればわたしとしては『最高』なんですけど。

 少しずつでもいいから、しっかりと治しましょう? ね?」

「ぐすっ、王子……」


 ……それでも多分フィオナには無理だろう。

 イザベルの謎の力でねじ潰された腕は、再起不能としかあたしには思えない。

 赤黒い肉の塊となった左腕は、きっと内部は酷い状態だろう――骨もおそらく砕けていると思う。

 特にドレイクマンにやられた傷口の周辺は酷い。ねじられた時に大きく裂け、砕けた骨が突き出してしまっているのが見える。

 切り傷とかならともかく、骨折ですら奇跡で治療することは難しい、と聞いたことがある。

 ならば、今の王子の腕を治すことは不可能だと言える。

 …………やらざるをえない状況なのもわかるけど。

 泣きながらフィオナは王子へと治療の奇跡をかけようとしていた。


「――さて、フィオナさんが治療をしている間、おしゃべりしましょうか。

 おや? マゼンタさん、息が上がってますよぉ? 心拍も上昇……ふむ? 緊張しているのでしょうかね? ちょっと苦しそうですし、お口開けるようにしましょうねぇ」

「……ぶはっ!? はぁっ、はぁっ……」


 イザベルがあたしの頬に触れると、閉じたまま動かなかった口が再び開くようになった。

 息苦しいのから解放されはしたけど……あたしの心臓はバクバクとなりっぱなしだ。

 緊張しているんじゃない。

 怖くて怖くてたまらない……!

 見た目だけはイザベルのままなのに、まるで中身が知らない化け物になっているかのような――率直に言えば、『命の危機』を感じているが故の恐怖だ。


「束縛、しても意味ないんでしょうね……」

「ふふふっ」


 笑みが崩れていないのが問いかけへの答えだ。

 理屈は全くわからないけど、イザベルにあたしの魔法は通用しない。

 束縛で動きを封じられたとしても1~2秒程度。

 火球の魔法や雷撃の魔法を使うには詠唱時間が足りない――使おうとした瞬間、先にイザベルにまた口を塞がれてしまうだろう。

 ……

 でもどうにかしない限り、あたしたちの命はない……確たる予感があった。


「じゃ、おしゃべりしましょうか。あ、わたし、研究ばっかりであんまり人と話す機会がないので、おしゃべり好きなんですよぉ。旅している間はあんまりおしゃべりできなかったですからね」


 ……話をするしかない。

 というより、それ以外にできることがない。話をすることでこいつの考えがわかれば、もしかしたらそこからこの状況から逃れるヒントが得られるかもしれない。

 心のどこかでは『そんなことはないだろう』と思っていながらも、今のあたしにはありもしない希望に縋るしかないのだ……。




「い、イザベル……」

「はい、なんでしょうマゼンタさん?」

「あんたは、一体なの……?」


 自分の中で答えは出ているけど、にわかには信じられない『答え』だ。

 イザベルが本当のことを言うかはともかくとして、話をするのであれば少しでもヒントになりそうなところを探っていくしかない。


「何者、と言われましてもぉ……マゼンタさんたちが知っている通り、ですよ?

 ……あ、そういえばさっき懐かしい名前を出してましたね。そういうことですかぁ?

 でしたら――はい、マゼンタさんの想像通りです。300年前の『奇跡の聖女』エリザベスはわたしです」

「な……」

「色々ありましてぇ、簡単に言えば『不老不死の霊薬』っていうものを飲んだんですよね、わたし。『不老』はその通りなんですが、『不死』は本当かどうかはわからないですけどね、確かめるのは怖いですしぃ。

 それでこれまた色々あって、『エリザベス』の名前が有名になりすぎちゃってぇ……『イザベル』って名前に変えて現在に至る、ってことです」


 300年前の『奇跡の聖女』『災厄の悪女』エリザベス――『人類を救済する』というお題目を掲げていた大量殺人鬼と、目の前にいるイザベルが同一人物……。

 信じられないが、信じざるを得ない。

 というより、否定したところで何の意味もない……!

 真実はどうあれ、イザベルはエリザベス同様の『危険人物』であることに変わりはないのだから……。


「でも、名前を変えたおかげで気付かれにくくなったみたいですねぇ。『付与術の研究者イザベル』として活動はしやすくなりましたね。まぁ『エリザベス』は死んだことになってるからでしょうけど」

「……なんで、『奇跡の聖女』が付与術なんて……?」


 こいつの言うことが全て『真』だとして、じゃあ何で『奇跡の聖女』――アルガイアー正教で最も奇跡を上手く扱える女が、付与術の研究なんてしているんだ……?

 しかも、おそらくはエンチャントではなくエンハンスの方である。

 人体に直接作用させるという点では共通しているけど――いや、共通しているからこそ、なの?


「うーん……『奇跡の聖女』とは確かに呼ばれてましたけど、実はわたし……んですよね。治せるのも、ちょっとした傷とかくらいでしたし」

「……どういうこと……?」


 その程度の奇跡の力、その辺の神官だって出来る。

 なのに『奇跡の聖女』と呼ばれ、実情はともかく300年後まで語り継がれるとは思えない。

 イザベルはその疑問に答える。


「当時、マゼンタさんもご存じのように大きな戦が起こりました。戦は飢餓と貧困、そして病をも齎します。

 その最中、わたしは多くの人を救けるために奇跡の力を使いました。

 ……けれど、アルガイアーの奇跡では人を救うことはできませんでした。戦で深い傷を負った人は救えず、病に倒れる人には役にも立たない神の言葉を告げることしかできない。

 でもですね!」


 一瞬曇った表情が再び笑顔に戻る。

 ……でも、その笑顔は今まで見たどの顔よりも、無邪気で――を感じさせるものだった。


「わたし、気付いたんですよぉ。

 奇跡で癒せないほど深い傷なら、奇跡を使わないで治せばいいだけなんですよ! そう、血管が切れたら糸で繋いで、筋肉が裂けてるなら糸で繋いで、骨が折れたなら骨をくっつけて!

 他にも内臓の病なら、ダメになったところを切り取ってしまえばいい!

 それで見た目に残る小さな傷は奇跡で癒せば全部元通り! ね? 完璧でしょう?

 そうやってわたしは苦しむ人を救け続けて――『奇跡の聖女』と呼ばれるようになってました。

 ……それでもわたしが『治療』できるのはほんの一握りだけ。それに、餓えて亡くなる方も救けられません……怪我も病も全てを癒せるわけではない。

 ああ、『奇跡の聖女』なんて言われても大したことができない。聖女なのに人々を救うことはできない! なんて無力な、無意味な聖女!」


 ……次第にイザベルの様子が変わっていく。

 これはあたしに向かって話しているようでそうではない。ほとんど独り言みたいなものだ……!


「だからわたしは、より良く完璧な治療を行うために調ぁ」

「……人の身体を……調べる……?」

「そう、身体を隅々まで分解して調べましたよぉ。

 身体はどうやって動いているのか? 関節はどういう構造なのか? 骨は? 内臓は? 食べた物って身体をどう辿って、どう出ていくのか? 考えている『私』って身体のどこにいるんだろう? とか。

 知れば知るほど、人を救けるには『限界』があると思い知らされました……。

 それに、調べて気付いたんですけどぉ、魔女や魔族、獣人たちも皆同じなんですよ!」

「な、にを……?」

「翼とか尻尾とかは別として、二足歩行の『人間型』の生き物って、身体の構造が同じなんですよ! ほんの一部の奇形とか例外を除いて、身体を動かす仕組みも、内臓も、骨の数さえも!

 ということはですよ? アルガイアーとウルファンの末裔って言っているけれど――実は魔族とかまでひっくるめて『人間』と言ってもいいとわたしは思うんですよね!

 じゃあ、わたしは魔族も全部含めて救ける必要があるってことですよね? 『奇跡の聖女』なんですし。

 ――だから、わたしは人間、魔族、魔女、獣人……をあの時決意したんですよぉ」


 イザベルが言っていることは、実は魔女族にとっては周知の事項だ。

 少なくとも、魔女族に限ってはアルガイアーの末裔との間に子供を作ることが出来るし、『同じカテゴリの生物』であることはわかっている。実際に結婚した例は少ないみたいだけど。

 300年前当時の常識を思えば、イザベルの見つけた事実は『大発見』であると同時に『異端』でもあっただろうことは想像に難くない。

 『奇跡の聖女』の伝説はあっても、その聖女の名が残されていない――アルガイアー正教が意図的に消したと思われる――ことを思えば、あたしの予想はそう外れてはいないだろう。


「それでわたしは更に人を救う術を見つけ出すために研究を始めました。

 医術――あ、わたしの治療方法のことなんですけど、それを突き詰めていけばとも思いましたが……すぐに行き詰ってしまったんですよねぇ。

 怪我や病気ならある程度は治せるのですが、『飢え』だけはどうにもなりません。当然、奇跡じゃお腹は膨れません。

 そこでわたしが目につけたのが、付与術エンハンスによるなのですよ!」


 イザベルの狂気は加速してゆく――

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