第3話
「────あっ、やっと帰ってきた。お帰り、先輩」
家の前に待ち構えた異物。朝比奈芽衣。
「今日もね、お腹すいちゃったの」
「……そうか、そうか。それは残念だな」
ひどく残念な話だ。しかし、萌ちゃんを愛するおれとしてはいくら可愛い後輩であっても構うわけにはいけない。
「大体、今朝のあれは何だ」
「あれって……?」
「ああもういい」
ひらひらと手を振って、家の中に入ろうと
「ぐふっ…………!」
したが、後ろから袖をがっちりと掴まれてしまった。
「……手、どけてもらっていいか?」
「いやです」
にっこり笑う朝比奈さん。あーそうですか。いやですか。
「はぁ……。お前、今日もかよ」
これ以上のいさかいは面倒である。また昨日のようにごねられたら困る。渋々鍵を開けると、朝比奈は家主であるおれという存在を追い越し、なんの躊躇もなくずかずかと家に上がり込んだ。
「お邪魔しまーす!」
「おまえ、あんま見知らん男の家入るべきじゃないと思うぞ?」
「え、広末さんってやっぱり危ない人?」
「やっぱりってなんだよ!」
「ほら、紙面のエロ本をいまだに買っているような、うーん、なんというか変態?」
全国の紙面エロ本ファンに謝れ。
初めに荷物を置き、手を洗いに行く。朝比奈にはうろつかれても困るので、椅子に座らせておいた。間もなく台所に戻ると、朝比奈は二人分のコップに、冷蔵庫から勝手に取り出したのであろうお茶を注いでいた。無言でそれを受け取り、キッチンに立つ。
「おれも金ないんですけど。そんな人に飯をおごれるほど余裕ないんですけど」
パチ負けたし。
「カップ麺でいいですよぉ。お構いなく」
こいつ。
薬缶に二人分の湯を入れて火をつけた。
「広末さん、やっぱり優しいんですね」
「うっせーよ」
薬缶がポコポコと沸騰しだしたのを確認すると、カップ麺を山から二つ適当に取り出して蓋を開けた。味噌ラーメンと醤油ラーメン。加薬をぶち込み、お湯を印まで注ぎ込む。
「私、味噌」
「ん」
できあがった味噌ラーメンの方を朝比奈に突き出した。なぜ俺は赤の他人ともいえるこの女に『餌付け』させられているのか。
「頂きまーす」
「頂きます」
家賃光熱費以外仕送りをもらっていないおれは食費も自分で稼ぐバ畜である。自分の労働に感謝感謝。
「すするぅっ!」
ずずずっと勢いよく麺をすする朝比奈。
「普通に食え……」
あんまり女の子ですするtvを真似する人はいませんよ、朝比奈さん。
「いやぁ、カップ麺もなかなかいけますなぁ」
そう、カップ麺はなかなかにうまい。そのへんの下手なラーメン屋にいくくらいなら、この縮れ麺を食ったほうがうまいことも多い。わかっているなこいつ。
「でも、前にも言ったけど、カップ麺ばっかり食べてたら身体に悪いよ?」
こいつ、食わせてもらっておいて。
「おれが自炊する人間に見えるか?」
「見えないです」
「そういうことだ」
そもそもおれはあまり自炊の味、というよりいわゆるおふくろの味というものを知らない。かあさんはおやじが会社をリストラされたことを期に、おれが5歳のころに家を出て行った。以来、おやじに育てられてきたがおれはおやじに飯を作ってもらった記憶があまりない。いつも、スーパーの総菜であった。
「うん、どうしたんですか? 食べないんですか?」
「いや、なんでも」
嫌なことを思い出しちまった。
*
俺が食い終えるタイミングで、朝比奈が箸も置いた。
「実は、先輩にお話しがあるんです」
「なんだよ、改まって」
朝比奈は突然かしこまった態度でそう切り出した。
「 私、実は今、金欠なんです」
「うん、おれも金欠です」
「広末さん、真面目に聞いてください!」
「お、おう……」
秒で応えたおれだったが、朝比奈の目はなにか切実なものが見えた。
「じつは、実家からの今月の仕送りがまだで……。それで今、かつかつなんです。うち、母子家庭でお母さんが頑張って働いてくれているんですけど……」
まさかそれでうちに食いに来たのか?
「本当に金欠なんですよ。もうお財布にも銀行にもお金がなくて……」
うん、おれはいま、いわゆる泣き落としってやつにあっているのだろうか。可愛い女の子が泣いてお金をせびるあれ。
「バイトすりゃいいだろ、バイト。みんなしているだろ?」
おれは軽く流す。しかし、朝比奈はやはり真剣だった。
「わたしは、できないんです……」
どういうことだ。
その目は本当に切羽詰まるものがあった。少しばかりは態度を改めて話を聞くべきのようだ。
「私、陸上のスポーツ推薦でこの大学に入学したんですよ」
「ああ、あの奨学金付きの」
おれと朝比奈が属する教養学部は教師育成が中心だが、体育学科は選手育成にも滅法力を入れている。才能のある生徒を逃すまいと奨学金制度があるのだ。
「でも、大学に入るって着前の三月に足の調子が悪くなって。普通に歩けてはいるんですけど、ほら」
朝比奈は靴下を脱いで、足先のインソールの固定具を見せた。
「外脛骨っていうのができちゃったとかなんとか。とにかく、しばらくは本気で走れないって。スポーツ推薦ですので、当然サークルではなく、部活動の陸上部に配属することになり、徐々にリハビリしながら走りはじめてはいるんですけど」
おれが前田から聞いてた話とは違っていた。朝比奈が顔選考のテニサーに入るという噂はうそだった。朝比奈は大きな悩みを抱えていた。
「しばらく大会には出られそうには……」
「……それで奨学金を外されたのか?」
「はい」
奨学金を外された朝比奈はほかの学生とそん色ない。奨学金だよりでこの大学で入りそれを失ったとしたら、当然授業料は朝比奈家に重くのしかかっただろう。
「そして、陸上部だからバイトができない」
「はい」
サークルではなく、スポーツに真剣に取り組む部活はバイトを禁止することが多い。
「そこで折り入って広末さんにお願いが……」
「……」
あまりいい予感はしなかった。おれも、余裕はない。
朝比奈は決心したかのように息を吸い込んだ。
「私に食事をわけてください!」
机に頭をぶつけそうになるくらい深々と頭を下げて見せた。
「……」
予想はしていたものの驚きを隠せない。
昨日知り合ったばかりの後輩に、か。
「他に頼れる当てはないのか? 大学の友達とか」
「……ない、かなぁ」
朝比奈は申し訳なさそうにえへへと笑っう。その微笑みはなんというか自嘲めいていた。
まぁ、今の質問は愚問か。
男同士が金を貸しあうのはよくある話だが、女子、とくに朝比奈のような女子が友達からお金を借りるというのは難しいというのはなんとなく理解できる。
とくにうちの大学はいわゆるお坊ちゃま、お嬢様と呼ばれる学生が多い。エスカレーター式で付属校から上がってきた連中である。そうでなくともある程度裕福な家庭が大多数を占めている。朝比奈がそのようなやつらにお金を借りるというのは、なんというか、やっぱり難しそうである。
俺に頼ってきたのは、俺が同じオンボロアパートに住む『同類』だからだろう。そう結論付けた。
「……じゃあ、何日だ?」
いきなり俺が発した言葉に朝比奈は戸惑った。
「……何日?」
「何日間うちに飯を食いに来るつもりだと聞いてるんだ」
「あ、そゆことですか。うーん。後一週間くらいお世話になろうかと…………。たぶん一週間もあったらお母さんが仕送りを……。あーでも、やっぱり迷惑ですよね。うん、迷惑だ。ダメもとで聞いてみたんだけだし……」
迷惑、か。
「……分かった。とりあえず一週間、一週間はうちに食いに来ていい」
隣で飢え死にされても気分が悪いからな。
これは、おれの同情かもしれない。おなじ貧乏限界大学生としての。
朝比奈も女だ。萌ちゃんにはばれないようにしないとな。
「い、いいんですか⁉」
「そんなに驚くこともねーだろ」
俺が良しと言わずともこいつはまたずかずかと家に上がり込んできたはずだ。
「その代わり一つ条件がある」
超寛容、仏の広末のおれであっても無償で飯をおごるわけにはいかない。俺には明確な目的があった。
「お前、料理できるか?」
「料理……? ええ、まぁ、それなりには。一人暮らしをしている身としては当たり前じゃないですか?」
言外に俺は馬鹿にされたらしいが、この際どうでもいい。
「じゃあ、これから一週間、夕飯だけでいいから飯を作ってくれ。食費は俺が出す」
これが俺の切実な願い。誰かが作る飯を食いたい。食ってみたい。多少なりとも味気ない食生活を変えたい。彩りたい。それも、恒常的に。
「そ、そういうことなら……。はい、是非!」
この日から朝比奈と俺の奇妙な生活が始まるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます