第28話

「もしもし、美笛?」

「亜土くん」


「美笛、大丈夫……って、全然大丈夫じゃないよね」


「ずっと声が聞きたかった。亜土くんの声が。ずっと怖い思いをして、でも生きていれば亜土くんの声が聞けると思って。それで頑張れたんだ」


 僕は涙が出そうになった。美笛と繋がっている。それだけで確かな絆のように思えた。


「よく頑張ったね。ほんと無事で良かった」

 少し間があった。そして美笛は言った。


「全然無事じゃないよ。心も体も全然無事じゃないよ。汚されたんだよ、私、あんな奴に」

 

 急に美笛の声が暗くなった。井戸の底から聞こえるような、糸のようにか細く折れそうな声だ。


「美笛は汚されてないよ。美笛は全然変わってないよ。僕の知ってる美笛のままだよ」


「無理やりあんなことさせられたんだよ。汚されてないわけないよ」

 

 僕はその言葉を聞いて、あのニュースの言葉を思い出した。わいせつ目的。


「今はそのことを考えない方がいいよ。美笛の心がぎしぎしと軋むよ」


 僕の心も音を立てて軋んでいる。今にも割れそうな薄い板の上を素足で歩いているように。


「それは亜土くんが知りたくないからじゃない? 私があいつにどんなことされたか。そんなこと聞きたくないよね、自分の彼女があんなことされたなんて」


「たしかに聞きたくないけど、それは自分の彼女がどうとかじゃなくて、俺が逆上してしまうから。ぶっ殺してやりたいと思ってしまうから。俺の美笛に何してくれてんだよって」


「じゃあ、私が何をされたか聞いても、亜土くんは引かない?」


「引くわけないよ。俺、守りたかった。美笛のこと。でもなんも出来なかった。だから引く資格なんかないよ」

 

 美笛は少し黙った。その微かな呼吸音が聞こえる。生きてる証拠だ。でも傷ついた痛みで心が疼いてる。


「今、私、市立◯◯病院に入院してるんだ。PTSDだって自分でもわかってるから。だって隣であいつは口に拳銃を咥えて、撃ったんだよ。


頭が吹き飛んで、私の顔に血しぶきが飛んだ。その時のフラッシュバックが今でもする。ベッドに寝てて、顔に生暖かい血しぶきがかかって起きる。地獄みたい」


 そう美笛は言った。たしかに地獄でしかない。


「もし、私が少しは回復したら、私に何があったのか、亜土くんにすべて言いたい。そして救われたい。


心がひび割れてる。心臓が真っ二つに割れてる感じ。私だけTwo Heartsになっちゃった」


 美笛の悲しい胸の叫びだ。僕らは仲間でOne Heartだった。でもそれは嘘だ。


 僕と莉緒がOne Heartだったんだ。それはネックレスを二つ合わせて一つのハートになるってことだ。


 僕は嘘ばかりついている。


 その嘘をごまかしてばかりで、美笛にさえ本当のことが言えない。


「大丈夫だよ。僕も、仲間たちもついてる。だからOne heartだよ」嘘の絵の具の上にまた別の嘘の色を塗っている。


「そうだね。みんなでOne heartだね。またみんなで逢いたいね。ハロウィンパーティーの時みたいに」


「今度はクリスマスの時にでも逢わない? みんなでクリスマスパーティーしようよ、それまでに美笛が元気になってればだけど」


「クリスマスパーティーいいね。またハロウィンの時みたいに仮装したいな。サンタとかトナカイとか」

「うん、みんなでやろうよ」


「楽しみにしてる。指折り数えて待ってる。でもその前に亜土くんに、私が被害者になったこの事件についてすべて話したい。話せるようになったらだけど」


「無理しないでいいよ。話したくないなら、話さなくていいよ」


「それじゃあ私のすべてをわかってくれる人がいなくなっちゃう。もし私がいなくなったら、全部が誰にも知らされずに消えてなくなっちゃう。


すべてが、空気のように見えなくなっちゃう。そんなの耐えられない。


私が受けた残酷な時間を知っていて欲しいの。1人でも。その1人が亜土くんであって欲しいの」


 僕は美笛のすべてを受け止めようと思った。何があったとしても、この胸で抱き止めようと思った。それが僕に出来る唯一のことだった。


「ごめんね。重たい電話して。でも声が聞けて良かった。ほんとに良かった」

「俺だって美笛の声が聞けてうれしかった。本当にうれしかったよ」


「ありがと。そう言ってもらえてうれしい。私、また病院が変わるかもしれない。学校も休学するって、決まっちやってるの。だからこれからも、声を聞かせて。亜土くんの」


「うん、俺からも連絡するよ」


「また亜土くんとキスがしたい。あいつに汚されてしまったけど、キスは亜土くんとしたのが最初だったから。


だから私、また亜土くんとキスがしたいんだ。すべてを、すべてをリセットしたい。亜土くんのキスが私のリセットボタンなんだ」美笛は泣き声だった。


「キスしよう。俺なんかで良かったら」

「亜土くんじゃないと嫌だ」

 僕は心から美笛を愛しく思った。


「これから毎日連絡するよ。LINEでも、電話でも」

「うん、私も。亜土くんだけが心の支えだから」

「僕だって美笛がいるから生きていられるんだ」

「そう言ってくれてすごくうれしい。ありがと。じゃあ、またね」

「うん、またね」


 僕は電話を切った。後半は美笛の声も明るくなり、井戸の底から聞こえてくるような暗い声ではなかった。


 僕は美笛の声が聞けて本当にうれしかった。これから毎日その声が聞けますように。心で願った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る