第21話
今日からまた入院する莉緒を見送りに、朝の6時半にチャリを飛ばして莉緒の家に行った。
札幌の病院には9時に着くように家を出るから、この時間になるのだ。
僕が莉緒の家のインターフォンを鳴らすと、莉緒のお母さんの声がした。莉緒を見送りに来たと言うと、莉緒が勢いよくドアから飛び出して来た。
「なんで? 今まで検査入院の時に、見送りになんか来てくれなかったのに」
「朝、早く起きてそれから眠れなかったから」
僕は嘘をついた。莉緒の父親が美容室で言った言葉が頭から離れなかったからだ。
心臓移植が成功したら、20歳過ぎても生きていられる。今回の検査入院はそのことも莉緒に話されるはずだ。
そう思ったら、自然に体が動き出していたのだ。見送りに行かなきゃと。
「ありがとな、わざわざ来てくれて」と莉緒のお父さんが言った。
「そんな、僕こそこの前送ってもらってありがとうございます」
「なんもなんも、いいよ、そんなの」お父さんは笑って言った。そして家の車庫に車を出しに行った。
「じゃあノートお願いね。いつも、ごめん」と莉緒が言った。
「気にすんなよ、そんなの。莉緒は自分の体のことだけ考えてればいいよ」
「気遣ってくれるんだ」
「幼なじみだしな」
「腐れ縁だし」僕らは笑った。
黒いワンボックスカーが車道に出て来た。
「じゃあ、行くね」莉緒は言って、手を振った。
「うん」僕も手を振り返した。
莉緒を乗せたワンボックスカーが行ってしまう。遠く離れて行く。見えなくなっていく。もう見えない。莉緒を乗せた車体がもう見えない。
その時、胸の辺りがひどく痛くなった。なぜかもう2度と逢えないような、別れが心をわしづかみにして離さないでいるみたいに、激しい痛みだった。
そんなことないのに。莉緒と2度と逢えないなんてことあるはずないのに。莉緒はたとえ心臓移植が出来なくても元気で帰って来る。そう信じてる。なのに、なんだかわけのわからない喪失感が生まれた。こんなこと初めてだった。
僕は一度家にカバンを取りに帰り、朝食のトーストを自分で焼いて食べて、学校に行った。
午前中に体育の授業があるだるい曜日だ。僕はコンベアーの上に乗せられて流れるように淡々と授業を受けた。
流れ作業の部品が機械に付けられていくように、その日習った知識は頭の中で組み立てられていった。淡々と。それでいい。
今は何も考えずに、頭の中に授業で習ったことを詰め込んでいけ。そして、模試と期末で結果を出せ。
その日も塾なので美笛と顔を合わせた。
「今日、莉緒が検査入院に行ったよ」と僕は授業の合間に言った。
「そっかぁ。また1週間?」と美笛が言った。
「うん」
「どうしたの、なんかちょっと暗い顔したよ。莉緒ちゃんに何かあったの?」
「別に、何もないよ。いつもの検査入院らしいから」移植手術のことは美笛にも言えない。
「そっか、それならいいんだけど。後でLINEしてみようかな」
「あ、既読にならないかも。病室にスマホ持ち込めないから。心臓病で体にペースメーカーとか入れてる人もいるから」
「あ、そうだね。じゃあまるまる1週間連絡取れないんだ」
「うん、でも来週元気な顔で帰って来るよ」
「そうだね」
僕は話題を変えて、「勉強は進んでる?」と言った。
「うん、毎日頑張ってるよ。一緒にマリンパークに行くために」
「俺も頑張らなきゃ」
「頑張ってなかったの?」美笛がイタズラっぽく笑った。
「頑張ってました」僕も笑って言った。
「いっぱい頑張って、いっぱい遊ぼうね」
「うん、そうだね」
そして次の授業が始まり、9時になると美笛は父親の車で帰って行く。
「亜土くん、じゃあね」笑顔で美笛が手を振った。僕も「うん、またね」と手を振り返した。
そして僕は教室を出て行く美笛の背中を見送った。その時、既視感を覚えた。
朝、莉緒を見送った時と同じだ。
美笛の背中がどんどん遠ざかり見えなくなっていく。見えない。その華奢な背中がもう見えない。
その時、また朝のように心を握りつぶされるような痛みを感じた。なぜ? 美笛とはまた必ず逢えるのに。塾でもなんでも逢えるのに、これでお別れなんてことはないのに、どうしてこんな寂しい気持ちになるのだろう。
このたまらないほどの喪失感はどこから来るのだろう。
心を深くえぐられたように大きな穴が出来た。
僕は美笛の背中が見えなくなった方向をずっとみつめていた。そうしないではいられないほど、胸が痛かったから。
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