スモーカー

 人類が宇宙に飛び出してから、どれだけの年月を経ただろうか。

 新天地を求めた人類は、銀河中の植民惑星へ生活圏を移すと共に、様々な文化を母なる星から持ち出した。


 食、音楽、スポーツ、芸術……。

 喫煙もまた、そういった文化のひとつである。

 特に、宇宙開拓時代初期は、貴重な酸素の浪費を防ぐため、廃止しようという機運が高まったらしいが……。

 結局、喫煙文化は滅びることなく、現在まで生き延びていた。

 人間という生き物が、嗜好品に対し、どれだけの情熱を燃やせるか……その好例であるといえるだろう。


 とはいえ、あくまで、滅びていないだけであり……。

 喫煙者の肩身というものは、狭い。

 時に、酸素残量が生死へ直結する海賊稼業ともなれば、なおのことである。

 そうなると、同好の士を見つければ、嬉しくなるというもの。


「まあ、そう固くなるなよ。

 タバコを吸ってる時くらいは、リラックスしようぜ?」


 だから、技術者に案内されて喫煙所へ入るなり、青の海賊はそう話しかけたのであった。


「は、はは……」


 どう答えたらいいものか、分からないのだろう。

 愛想笑いのようなものを浮かべながら、技術者が答える。

 が、怯えの色を見せながらも、ちゃっかりタバコの箱とライターを取り出している辺り、変なところで肝は座っていた。


「お? お前も紙巻き派か。

 へへ、紙巻きの仲間同士、仲良くしようぜ。

 やっぱり、シガレットスティックじゃ、吸った気がしねえもんな。おい」


「あはは、そうですね」


 同じようにタバコを取り出しながら告げると、技術者の笑顔が少しだけやわらかくなる。

 それから、しばらくの間は、互いに無言で煙を吸い続けた。

 煙が肺に入り、また口から吐き出されると、頭の裏側がすうっ……とする感覚に支配される。


 絶対的なカリスマであるハワード船長の立てた計画だ。失敗など、あり得ない。

 しかしながら、警備兵と戦い、制圧する過程で命を落とす可能性は、十分にあったのであり……。

 こうしてタバコを吸っていると、生き残った喜びが、ふつふつと湧いてくるのであった。


 ――カアン!


 天井から、何かが落ちてきたのはその時だ。


「え?」


 それが何か確かめようと上を見たと同時に、海賊の首はぐるりとねじり折られ……。

 最後まで、何が起きたのか分らないまま……下っ端の海賊は息絶えたのである。

 死の直前、タバコを吸えたのだけは、せめてもの救いだったかもしれない。




--




「え……?

 え……?」


 喫煙室の天井部……。

 煙を外へ逃がすための排気口へ設けられた蓋が落ちてきたと思ったら、そこから人間の腕が伸びてきて、一服していた海賊の首をへし折った。

 セントラルタワー動力部勤務の技術者――マイクが見た光景を端的に表すならば、そのようなものになる。


 ――ゴトリ。


 本来、あるべき向きと真逆へ首の曲がった海賊が、その場へ倒れた。

 誰が見ても、即死であることに疑いはなく……。


「ひっ……!」


 マイクが悲鳴を上げず、ただ息を詰まらせるだけで済んだのは、度胸によるところではなく、単に脳の処理が追いついていないからである。


「……ふん」


 そんなマイクの前に、降り立つ男が一人……。

 第一印象を語るならば、それは、


 ――スシ職人。


 ……と、いうことになるだろう。

 ただし、恐ろしく凶暴な顔つきをした、という注釈は必要になるが。


 薄手の調理着は、たくましい筋肉によって下から押し上げられており……。

 禿げ上がった頭と、猛禽のように鋭い眼差しは、見る者を萎縮させる。

 顔に刻まれた深いしわは、何かひどく……危険な体験を連続することで刻まれたものと直感させた。


 事実として、おそらくこの男は、喫煙室に通じるダクトから内部へ侵入し……。

 下にいた海賊の首を、いともたやすくへし折ってみせたのだ。

 人の首が、ちゃちな玩具のようにひねり得るものであることを、マイクは、初めて知った。


「あ……あんたは……?」


 震える声で、どうにかその言葉を絞り出す。

 喫煙室の床へ着地し、立ち上がった男は、そんなマイクのことを一瞥する。


「お前は、海賊じゃないな?

 ここの職員か?」


 それは、マイクの言葉に対する返答ではない。


「は、はい」


 だが、マイクが間髪を入れず答えたのは、男があまりに凶悪な人相をしていたこと……。

 そして、床へ転がった海賊の死体と、男の腰に差された拳銃が理由であった。


「名前は?」


「ま、マイクです」


「そうか……」


 男はマイクの名を聞き、考え込むようにして床の死体を見下ろす。


「マイク」


「は、はい!」


「……この死体を隠しておきたい。

 どこか、いい場所はないか?

 当然だが、見張りのいない場所がいい」


 男の質問に、混乱しながらもすぐさま答えを導き出せたのは、マイクの学歴が伊達ではないことを証明していた。


「……この、すぐ近くにあるトイレの個室。

 来る時、通りがかったけど、通路に見張りもいませんでした」


「よし」


 返事は、短く……。

 男が、海賊の死体を持ち上げる。

 この際、海賊が手にしていた小銃とマガジンは、抜かりなく回収されていた。


「案内しろ」


「こ、こっちです」


 自分のことは、何ひとつ語らず、必要最小限の指示だけを口にする男……。

 どう考えても、警察や特殊部隊の類ではない彼へ素直に従えるのは、それが最適であると、本能が告げているからである。


 ずるりと……しかし、素早く死体を引きずった男と共に、すぐそばのトイレへと向かう。

 男は、個室のひとつへ死体と共に入ると、これを施錠し、空いた上の隙間から降りてきた。


「……これで、少しは時間稼ぎになるだろう」


「あの……」


「なんだ?」


 もはや、用は済んだとばかりに……。

 トイレから立ち去ろうとする男へ、声をかける。


「あんたは、何者なんだ?」


「俺か?

 俺は……」


 男は、しばしの間、考え込んだが……。


「父親だ」


 マイクの目を真っ直ぐに見ながら、そう答えたのであった。


「父親……?」


「そうだ。

 お前のことも、どこかへ隠しておいてやらないとな。

 ――ついてこい」


 そう言いながら、父を名乗るスシ職人姿の男が、ずんずんと歩き出す。

 慌てて彼についていくと、辿り着いたのは、先の喫煙室であった。


「乗れ」


 そこで、小銃を置いた男が、レシーブするバレー選手のような格好を取る。


「え……?」


「そこのダクトへ、俺が押し上げてやる。

 ……乗れ」


 それで、ようやく意図するところを理解し……。

 マイクは、恐る恐るつま先を男の手に乗せた。


「わ、わわ……!?」


 それにしても、男のなんと力強いことだろうか。

 細身とはいえ、成人男性であるマイクを、事もなげにダクトの中へと押し上げたのである。


「そこで、騒動が終わるまで隠れていろ。

 タバコでも吸いながらな」


「あ、あの……」


 ダクトの中で前後に這いずり、ようやく、入れられた穴から顔を出す。

 だが、それは、すぐさま排気口の蓋によって塞がれた。


「力づくで外したから、そのままでは、はめられん。

 普段は中へ引き込んでおいて、人の気配がしたら手ではめ込んでおけ」


 男は、それだけ言い残し、喫煙室から去って行ったのである。


「えっと……」


 マイクは、何が何やら分からず、ダクトの中で呆然としていたが……。

 とりあえず、言われた通りに蓋を引き入れ、どうにか取り出したタバコへ火を付けたのであった。

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