スシ屋ベック
惑星上にひとつしかない島の気候は、まさに南国そのものといった風であり……。
純白の砂浜が広がるビーチや、海上に建てられたコテージでは、銀河中から集まったセレブたちが、ここでしか過ごせない穏やかな時間を存分に楽しんでいる。
体を動かしたくなったならば、各種のアクティビティを楽しめばいい。
ダイビングやサーフィン、スタンドアップパドルに、ジェットスキーやパラセーリング……。
広大な海を活かしたアクティビティの数々は、大いなる刺激と、自然と存分にたわむれることで得られる癒やしをもたらしてくれるだろう。
もちろん、海以外の場所においても、刺激は数多い。
ゴルフ場に劇場、カジノやスパなど……。
体を動かすのが億劫だという人間にも、この星は様々な娯楽を用意していた。
ここは――惑星ロピコ。
銀河で最も平和で、最も美しい星である。
この星でだけは……。
今だけは……。
銀河に蔓延する様々な悩み事へ、頭を悩ませる必要がない。
ここは、七海賊連合の掟によって定められた緩衝地帯であるのだから……。
だから、訪れた人々は……。
あるいは、これを迎えるロピコの住人たちは、今日も笑顔で日々を過ごしていた。
それは、種々様々な飲食店が立ち並ぶレストラン街においても、同じだったのである。
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レストラン街の片隅に存在するその店は、地元民には避けられ、何も知らない観光客たちには、いつも回れ右して退散されていた。
店構えが、悪いわけではない。
『SUSHI』というネオン看板を掲げているだけはあり、ジャパン風の……なかなかに洒落た造りをしている。
ならば、料理が悪いのか?
それもまた違うことを、唯一の常連である自分だけは、知っていた。
魚を捌くカッティングの技術といい、口中でほろりと崩れるシャリを握る技術といい、並大抵の職人が太刀打ちできるそれではない。
広大な海を有する惑星ロピコであるから、観光客を目当てとしたスシ屋は数多い。
しかし、そのいずれも、この店で食べられるそれには劣るだろう。
店構えが悪いわけではなく……。
提供する料理の質が悪いわけでもない……。
レストラン街の片隅ということもあり、立地に関しては少々不利であったが、これも、特筆するほどのことではなかった。
では、何が悪いのか……?
その答えは、ノレンをくぐり、木造りの店内へと足を踏み入れれば、すぐに分かる。
「いらっしゃい」
客を迎えた店主は、あまりにいかつく、強面で……そして、タフであった。
薄手の調理着は、
つるりと禿げ上がった頭から感じられるのは、わびしさではなく貫禄である。
顔立ちは――凶悪のひと言。
眼差しは、猛禽類のそれを思わせる鋭さであり……。
深く刻まれたしわからは、ただ年齢を重ねただけでは得られない、複雑な迫力が感じられた。
中年期特有のくたびれた雰囲気はあるが、さりとて、身の内から漂う活力は、若者のそれに劣るものではなく……。
なんとも言えぬ、無言の圧力が感じられる男なのであった。
ノレンをくぐるや否や、このような人種と相対してしまったなら、落ち着いてスシを食うどころではない。
この店が流行らないのは、自然の摂理であるといえるだろう。
でも、恐れることはない。
一見すれば、人を食らう悪鬼か何かのように見えるこの店主であるが……。
少しばかり体をくゆらせ、しゃなりしゃなりと入店してみせれば、たちまち、こちらに夢中となるのである。
「いつものでいいかい?」
尋ねてくる店主の顔を、ただじっと見上げた。
それだけで、意思は伝わるもの……。
「お待たせしました」
店主はそう言いながら、マグロの握りが乗った皿を、カウンター上に乗せたのである。
――ニャア。
自分はそれに礼を言うと、早速、カウンターへ飛び乗ったのだった。
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「お邪魔しますよ」
そう言いながら老爺が入店したのは、丁度、カウンター上で猫がスシを食べていた時のことである。
「……いらっしゃい」
老爺の姿を見た店主の目が、わずかにすぼんだ。
動作としては、ただそれだけのこと……。
だが、並大抵の人間であるならば、震え上がってしまうことだろう。
しかし、この老人に怯えの色はない。
ただ、当然のようにカウンター席――猫の隣へと腰かけただけであった。
店主の迫力に関しては、重ねて語るまでもないが……。
こちらの老人もまた、独特な雰囲気を持つ人物である。
白くなった髪は、まとめて後ろへと撫でつけられており……。
アロハシャツに半ズボンという組み合わせは、この星へ訪れた観光客によく見られる装いだが、気の抜けた雰囲気は微塵も感じられない。
まるで、スーツでも着用しているかのような……。
ピシリとした静謐な空気が、彼の周囲には漂っているのであった。
ただ老いるのではない。
気品を保ち、年輪を重ねていく。
男として、一種の理想を達成したのがこの人物であると見て、間違いないだろう。
「こちらのお嬢さんは、通いかな?
随分と、懐かれているようだ」
自分のことは気にせず、無心にスシを食べる猫に視線をくれながら、老人がそう尋ねる。
「久しぶりだな。バーテンダー。
お前がホテルを出たところは、初めて見たぞ。
ここへは観光か?」
対する店主の言葉は、質問への答えではない。
バーテンダーと呼ばれた男は、しばらく、感慨深そうにしていたが……。
「バーテンダーは引退しました。
今の私は、ただのスコットですよ。
十二年前……。
あなたが、ただのベックとなったように」
やがて口を開くと、そう告げたのであった。
「……何?」
店主――ベックが、すぼめていた目をわずかに見開く。
「生涯現役だと思っていたぞ」
「あなたを真似てみたのですよ。
人生は、長い。
ホテルの中で機械いじりをするのも楽しいですが、様々なものを見て回りたくなったのです。
それに……」
バーテンダーと呼ばれた老人……。
スコットが、食べ終えた猫の背を撫でる。
「良い後継者を、育てられました。
たった、五年……。
それだけで、超えられてしまいましたよ」
「そうか……」
ベックは、わずかに瞑目したが……。
「お互い、歳をとったな」
小さな笑みを浮かべながらそう言い、ガラス製の盃へ酒を注いだのであった。
盃は、二つ。
スコットの分と、ベック自身の分だ。
カウンター越しにこれを置くと、すかさずスコットが手に取り、掲げる。
「再開に」
「余生に」
二人の男は、思い思いの言葉と共に盃を掲げ、注がれた酒へ口をつけたのであった。
「ただいま!」
元気な声と共にノレンが開かれたのは、そんな時のことである。
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