第23話 大切と憧れ

「……何も言わずに、抱きしめて」

 

 ある日の夜、夕陽が唐突に部屋に上がってきてそんな事を言いだした。

 

「もちろん、ベッドの上でね。……あ、今日はまだそういうことをするつもりじゃないから、安心してね?」

 

 何が言いたいのか……それはよくわかっている。

 だから、ベッドに引き込んで抱きしめた。

 

「あったかい……あーあ、これが私だけのものだったら最高だったのになぁ」

 

 梨花ちゃんのことだろう。マリーさんの事もだ。

 それはわかっている。酷いことをしているのも知っている。だけど、今更性分を変えることもできないし、恋人たちを捨てるのも嫌だ。あり得ない選択肢だった。

 夕陽が何よりも、この宇宙よりも大切な存在と言っても……彼女の懇願であろうと、命令であろうと、切り捨てたりは出来ない。

 

 だから、せめて……わたしの存在を強く感じられるように抱きしめる。

 

「……しあわせ」

 

 夕陽は暗い雰囲気をやっと収めて、安らかな表情を浮かべた。

 

「昔は逆だったわよね。最初の最初こそ違ったけど、些細なことで傷ついたり、嫌がらせを受けたあなたを私がずーっと抱きしめて慰めてた」

 

「そうだね。でも、本質的には今も変わっていないよ。わたしは夕陽がいるおかげで精神を保ててる。夕陽がいなかったら、とっくにこの世から去ってるもん。それくらい、わたしは心が弱いから。……夕陽に依存してるから」

 

「ほんと、私と戦技がなかったらどうなってたのやら。でも……こうして出会えたというのが真実だもんね」

 

「うん。……愛してるよ」

 

 夕陽の耳元でそうささやく。

 ビクンと跳ねて、ゾクゾクしているのが良く伝わってきた。

 ……シたいな。

 でも、スるのはやっぱりわたしが高校卒業してから。

 マリーさんが一人だけしばらくできないという羽目になってしまう。

 あの人は納得してくれているみたいだけど、そこはある程度平等に行きたいと思ってしまった。

 ……わたしが高校卒業してから、と言ってもその場合梨花ちゃんとシたらわたしが条例違反になっちゃうわけだけど、まあ部活の後輩で在学期間が被っているということで、慣習的に考えて絶対捕まらないから良いだろう。

 とは言っても、そもそも会えない日々が続くだろうけどさ。

 高校戦技のスタープレイヤーとプロ入りした選手じゃ会える期間が短すぎる。

 まあそれは今は良い。

 

 今は夕陽だけを見なくては。

 

「ふふっ、か〜わいい」


「えへ……もっと、かわいいって言って。溺れるくらいにかわいいって言って」

 

「〜〜っ!」

 

 からかったつもりで言ったその言葉は……返しのその言葉で撃沈してしまった。

 ……あ〜、かわいい。

 

 普段の夕陽はどちらかと言うとサバサバしている感じなんだけど、その本質はわたしに依存しきっている。

 それがどうしようもなく嬉しい。

 文字通り夕陽はわたしのためだけの存在であり、わたしも夕陽なくしては生きていけない。

 本当は駄目なんだろうけど、この共依存の関係が心地よくて仕方ない。

 

 

 

 ……昔、小学二年生の頃、夕陽は虐められていた。

 その理由はどうだったのか、正直言って良くわからない。

 だけど、男女両方から虐められていた。

 

 見た目が良かったから女子に嫉妬されたのが始まりだったのかも知れない。

 それとも、好きな子はいじめたくなる的な小学生男子特有のアレから始まったのかもしれない。

 

 だけど、わたしはそれに見て見ぬふりをしていた。

 

 それを見ているだけの自分が情けなかった。

 だけど、『助ける理由』も見つけられなかったし……なにより、自分が代わりの標的になっていじめられては元も子もない。

 

 当時のわたしの……というか今に至るまでほぼそうなんだけど、所属するグループはいわゆる陽キャグループ、あと優等生グループの二つだった。

 顔だけは極端に整っていて、身体能力も化け物じみていた。

 勉強もかなりできる方で……はっきりいって、特別な存在だったと思う。

 だから、当時の属していた社会では一番強い立場だったと言っても良い。

 

 だけど、わたしの本質は弱い人間だ。

 ネット掲示板なんかにたまにいるクズ人間、それに近いかも知れない。実際掲示板はよく覗くし、たまに書き込む日もあった。

 体と環境に恵まれたからそこまで歪まなかっただけで、心の本質……資質的には彼ら以下だったろう。

 

 ……わたしの立場はすでに脅かせない位置にいたから、まっとうにやるだけで、助けようと思えば助けられたのだろう。

 

 だけど、怖かった。当時の仲間から嫌われることを恐れた。

 今も昔も、わたしは人に嫌われるのが怖いんだ。怖くて怖くて仕方ない。想像するだけで泣き叫びそうになる。

 

 そんなとき、昔の高校戦技の試合の再放送をテレビだったかティーチューブだったかで見ることになった。

 そして圧倒された。

 

 優勝した高校のキャプテン。セブンスセンスの歴史上最高のスター。あの人のようになりたいと強く願った。それがすべての始まりだった。今となってはOB現役問わず戦技選手の中で一番の憧れ……その程度に落ち着いたけど、当時の憧れは特別強かった。

 

 あんなにかっこよくなって、強くて、みんなに注目されて、チヤホヤされたい。

 ……いや、そんなものじゃない。『誰よりも価値のある素晴らしい人間になりたい』。『あらゆる人間から愛される存在となりたい』。そんな渇望(いのり)が、心の奥底から無限に湧き出る。

 再放送だったから、もう当時はプロで全然活躍できなくて罵倒されてばっかりの選手になっていたが、それでも強く憧れた。

 

 今思えば、わたしの女体化はTS病によるものじゃないのかもしれないと思えてきた。

 セブンスセンスを意識するにあたって、原点を強く意識した結果のことだ。

 『あらゆる人間から愛される存在になりたい』。その渇望(いのり)が溢れ出て、戦法として具現した。

 それを無意識に使ってしまった。そういうことだったのかも知れない。

 今のわたしの姿は、理想の己そのものだったから。女体化したいと思ったことはほとんどなかったが、女として生まれてきた場合の理想の自分は今の容姿だと思うから。

 結果としては完全にはうまく行っていないけど……それは渇望(いのり)の深度が浅いから、精神面までカバーしきれなかったことに寄るんだと思う。

 まあ、そんな事言っといて本当にTS病によるものかもしれないんだけどさ。

 

 ああ、話がズレたね。

 憧れの存在に近づく……その第一歩として夕陽をいじめる子どもたちを止めた。

 一緒にいじめようと誘われたとき、堪忍袋の緒が切れた音がしたのだ。

 正義のヒーローに憧れた少年、そんな感じだったのかもしれない。

 それまではやんわりと受け流して逃げていた。だけど、気が大きくなって助けようとしてしまった。今となっては間違ってなかったと胸を張って言えるけど……あのときは苦しいことになってしまった。

 当時のわたしは特別コミュニケーション能力が低かったから、止め方が悪かったのだろう。

 

 いじめの標的はわたしへと移った。夕陽はいじめられなくなったけど、わたしがすべてを引き受ける羽目になった。

 

 そして、いじめっ子たちは夕陽にもわたしをいじめるよう迫っていた。

 だけど夕陽は、見て見ぬふりで受け流していたわたしとは違って毅然と断った。

 それどころか、わたしを守り始めた。

 

 標的は、二人になった。

 

 そして、いつの間にか互いの存在に依存していた。深く深く、ドロッドロに。

 いつ共依存になったのかは、覚えていない。

 

 それからしばらく世界には二人だけしかいないかのような感覚に陥っていた。

 わたしには戦技でスターになるという別の強い目標があったし、夕陽に次ぐ大切な存在であるお姉ちゃんがいたから……戦技を始めることで早めに抜け出せた。

 そんなふうに精神的にも立ち直れる要素があったし、綺羅星の如き才能があったから、周りから強く認められ始めた。他人の評価にも再び依存するようになった。

 それがなければわたしたちは破滅していたかもしれない。

 

 あのとき、あの映像に出会えなかったら、どうなっていたのだろう。

 それはわからないし、考えるだけ無駄なのはわかっている。

 そもそも考えたくもない。

 

 わたしもあの人のようにヒーローになりたい。太陽のようになりたい。

 だけど、それは違うと理解している。

 ……わたしは憧れを越える。まずはあの人と同じように夏のセブンスセンスで優勝してやる。

 そして彼が果たせなかったプロで活躍……いや、アメリカで世界一、歴史上最大の大スターになってやる。

 

 だけど、今は……やっぱりこの共依存の沼に浸かっていたい。

 

「大好きだよ、夕陽。すきすきすきっ」

 

「えへ、えへへへ……私も大好きよ。今だけは私だけのお嫁さんでいて……?」

 

 その後、抱きしめ合って眠って……朝起きたとき、そのぬくもりで幸せに包まれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る