7. まわる

 徐々に表情の動きが戻っていく男の首を眺めながら、魔女は自分で言った言葉を反芻はんすうする。色々なことを終わりにしたいのは、魔女も同じだった。本来なら今日、この温室で、一人で終わりを迎えられるはずだったのだが、無いと思っていた来客に足止めを食らったのだ。

 数時間前、すっかり忘れ去られた城へやって来たのは、死体を入れた袋を運んできた数人の男たち。いずれも軍服を身に纏い、三十から四十ほどの年齢と思われた。みな神妙な顔つきをしていたが、気配に驚いて魔女が姿を見せると、少なからず狼狽えていた。


「貴女は、北の魔女様ですか」


 声を発したのは、先頭にいた男。おそらく最年長と思われる男で、姿勢の綺麗さが厳格さをかもし出していた。彼が背筋を伸ばせば、他の男たちも次いで姿勢を正し、落ち着きを取り戻していた。


「そうだけれど、軍の方が一体何のご用?」

「この方を生き返らせてほしいのです」


 間髪入れない返答に、魔女は目を見開いた。切羽詰まった空気も、軍人の顔も真剣なのに、言葉になった望みだけが浮いている。必死な人間から願われることは幾度となくあった魔女だが、最後に聞いた願いさえとうに昔。それを今さら、軍人という堅実な人間たちに更新されるなんて、誰が想像できただろう。

 だが同時に、ドレスの下で寒気が這い上ってくる。蘇生の願いなど、魔女にとっては嫌な記憶の引き金だ。自分は、その願いによって安眠を取り消された身なのだから。


「北の魔女のおとぎ話は事実であると、古くからの家々には伝わっております。その魔女はいかなる願いも叶えられると」


 呆気に取られる魔女に痺れを切らしてか、男が再び話し出す。


「私の祖父も軍人でした。祖父は貴女にお会いし、防衛に必要な資金を調達したと」

「ああ」


 記憶の合致に、魔女は思わず相槌を打った。最後に聞いた願いと、そう願ったのは何故という問いへの答えと同じ。つられて、一人やって来た男の姿も、ぼんやりと思い出されていく。


「よく、そんな話を信じましたね。あの方も、あなたも」

「それだけ必死だったからです」


 被せるような声で、じゅうぶん答えているようなものなのに、男はわざわざ言葉にする。垣間見える「何としてでも」という思いも、これまでに散々感じ取ってきた魔女には痛いほど分かりやすい。


「この方にはまだ、亡くなられては困る。この国には、軍には、まだこの方が必要なのです。そんな時に、自殺なんて――」


 ぞわり。

 はっきりと、寒気が体を駆け上がる。己に施された延命の呪いが、後ろから侵食してくるような感覚がする。咄嗟に、魔女は笑みを引きつらせていないか疑ったが、そもそも軍人たちに笑みを向けていたのかも分からない。


 魔女は答えなかった。答えたくなかった。軍人たちにも答えさせないようにした。数人の男を瞬く間に眠らせることも、記憶を都合よく書き換えることも、魔女には容易い。眠ったまま立ち上がらせ、城の外へ出て行ってもらうことも。

 回れ右をして歩いていく軍人たちを見送った後、魔女は残された死体袋へ視線を下ろした。願われた蘇生を叶えるつもりはない。生憎、城の近辺にしか埋葬できないが、せめて丁重に扱わせてもらうつもりでいた。


 けれど、魔女はしゃがみ込む。袋に入れられているのは、自分と同じように死を望まれなかった人らしいことが、魔女の手を動かしていた。

 引っ張り出した遺体は、壮年の男のもの。普通より伸びてしまった首には、縄の痕も残っている。この男がどんな功績を重ねてきたのか、魔女は知る由もない。知らないままで終わるはずだった。


 ――自死を決めた時、彼はどんなことを思っていたのだろう。


 ふと、他愛なく浮かべた思考に、立ち止まりさえしなければ。

 魔女が自死を選び、実行した時の胸中にあったのは、うんざりだという鬱屈。それをようやく捨て去って、しかし取り消された際には嘆息したが、蘇生させた張本人たる魔法使いの言葉を聞けた。曰く――呪いを背負ったままの死は、生者にとっても死者にとっても禍根になると。

 それならいっそ、みんな呪われてしまえばいいなどと、魔女には言えなかった。自分を閉じ込める人々のことも、檻と化した城のことも、魔女は嫌いになれなかったので。


 自死を選んだ男も、そんな呪いを抱えて死んでしまったのではないか。勝手な妄想と分かっていながらも、思ってしまった以上、魔女の思いはどんどん傾いていく。そうして、魔女は一時的な蘇生を思いついた。蘇生というよりは、再現と言った方が正しい魔法。男の頭を切り離し、頭部だけに意識を蘇らせる方法を。魂に代わる炉心が必要にはなるが、古城に残された宝物を利用すれば形成できる。

 決断した魔女の行動は素早かった。自らの意志で命を絶った男には申し訳ないが、話してみたいという好奇心が湧いてきている。一つ望んでしまえば、後から湧いてくることも熟知している魔女は、もう思い切ってしまっていた。


 後は、首だけとなってしまった男も知る通り。そして、これまでに話してきた理由通り。場内を案内して回り、棺桶と決めた温室で、首だけになって男と談笑している。


 ごろりと転がる首の感触を思い出す。

 ぐるりと回る視界の感覚を思い出す。


 回らない首を外し、落っこちた魔女たちは、ようやく定めを抜け出せた。温室で、時おり吹き込む風に揺られ、音もなく落ちた木の葉や花びらのように。


「ねえ、軍人さん。あなたはどこで、命とお別れをしたい?」


 先ほどまで何を話していたのか、魔女はもう忘れていた。回想に意識を半分以上は持って行かれていたのと、だんだん体の機能が鈍くなり始めたために。けれど、軍人の男がさほど表情を動かさなかったことから、唐突だとは思われていないと察せられた。


「自分はこの通り首だけですし、もう死んでおりますから、どこに転がっても悔いはありません」

「そう。じゃあ、温室で終わらせてしまって構わない?」

「お邪魔でないのなら」


 暗い茶髪に、せた灰色の目を持つ首は、ほのかな微笑を浮かべる。ずいぶん心を許してもらえたらしい。死に際の夢という前提ありきかもしれないが。


「良かった。もしお嫌だったら、頑張って別の場所まで行かないといけなかったから。私が先に終わってしまったら、あなたも終わってしまうから、城の中でさ迷わせるわけにもいかないし」


 温室で眠る自分を置いて、ぴょんぴょん跳ねながら出ていく男の首を想像する。しかし、彼もそう長くは活動できず、薄暗い中で止まらざるを得なくなる。それではあまりに寂しかった。廃墟の瓦礫がれきと同じになるよりは、温室で花に囲まれていた方がいい。

 いつの間にか、魔女は感傷や懐古やらを、切り離した後ろで緩やかに弱っていく身体に溜めていた。視界はまだはっきりしているが、脳裏では走馬灯が始まっているようだった。

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