8. 鶺鴒

 チチッ、チチッと鳥のさえずりが聞こえる。現実なのか、走馬灯に連なる夢か、ぼんやりし始めた魔女には判別がつけ辛い。しかし、軍人の男にも聞こえているらしく、灰色の目が空中へ向いていた。それなら現実で、おそらく鳴いているのもあの子だろうと、魔女も橄欖かんらんの目を開ける。


鶺鴒セキレイという小鳥です。この国よりもずうっと東の国にいて、珍しいからと献上されたことがありました」

「それは……いつのことなのですか」

「あなたが生まれるよりも、ずうっと昔です。いま鳴いているのは、私が再現した模型のようなもの。私の命が尽きれば、跡形もなく消えます」


 天蓋を見上げると、素早く飛び横切る小さな黒い影が見えた。どこかの枝に留まったのか、再び鳴き声が聞こえてくる。


「少しでも長く現界していられるように、私の近くへ来たのでしょう。軍人さん、あなたもだんだん眠気が強くなってきていないかしら」

「……そういえば」


 男の首はまぶたを重たげにしばたかせる。呟く声もぼそぼそとして、ため息と聞き間違えそうなくらい小さくなっている。


「時間はかかりますけれど、確実に夢は終わりつつありますね。夕暮れ頃には終わってしまうかしら。今がどれくらいの頃合いなのかも不明瞭ですけれど」

「まだ昼ですよ、日が高い。……しかし、今は春ですから、夕暮れもなかなか来ないでしょうね。このまま昼寝をしたら、そのまま寝入ってしまいそうです」

「ええ、確かに。あなたが最初より饒舌じょうぜつになってくれているのも、終わりが近そうに見えてくるわ」

「それは……確かにそうかもしれません。自分はあまり話す方ではありませんので。くちばしを開けば何か鳴ける鳥は、少し羨ましい」


 チチチ、と。答えるような鈴の囀りが、麗らかな温室に転がっていく。魔女がささやかな設定をしているため、声が聞こえなくなったのを認識して、沈黙を掻き混ぜ軽くしてくれたのだろう。


「セキレイ、といいましたか。どんな鳥なのでしょう。今のところ、小鳥であることと、鳴き声くらいしか分からないのですが」

「白と黒と灰色の、可愛らしい小鳥ですよ。丸くて、ころころしていて、忙しなく動くのが健気で。東の国では結婚の神話に関わっているから、婚儀の場にモチーフの品物や装飾が出てくることもあるらしいわ」


 鳥籠に収められ、忙しなく動き回っていた小さな鳥。見る者の胸を、いじらしさと憐憫れんびんで締め付けるような姿の後ろで、説明してくれる人がいた。数多いた名も知らぬ使者の顔は、とっくに思い出せなくなっている。

 だが、別に思い出すことがあった。結婚の話だ。首が落ちる悪戯を仕掛けられるようになる前ではあるが、婚姻の話は少なからず寄せられてきた。魔法を使える血筋を、濃淡に気を付けて結び付ける試み。北の魔女だけでなく、魔法を使える者には避けられない話。


「軍人さん。失礼な質問をしてしまっても構わない?」

「自分でしたら、妻子を持ったことはありません。恋人もいませんでした」


 先んじての答えは、見事に魔女の問いを言い当てていた。予想通りの答えに、魔女の首が微笑に揺れる。


「あなたは優しい人だから、帰りを待つ人を作りたくなかったのかしら」

「いつ死体になってもおかしくない人間ですからね」


 男の首も自嘲に揺れる。そもそも、男は淡い親愛くらいしか抱かさなさそうな雰囲気があった。その淡さに居心地の良さを覚えた人々から、慕われてもいたのだろう。かく分析する魔女もまた、男の傍に居心地の良さを見出していた。

 魔女は城を悪く思っておらず、男もおそらく、軍という居場所を心から嫌っていたわけではないのだろう。ただ、息苦しい場所に変わってしまっただけ。そういう場所という風に、自分が感じるようになっただけ。不変が存在しない以上、善良とて存在し続けられはしない。


 チチチ。変わらない鶺鴒の囀りが聞こえる。暖炉でまきが爆ぜる音に似た囀りが。けれど、今はもう春。暖炉は静まり、夏に迎える植木鉢を待って沈黙している。

 ずっと冬だったのに、暖炉の爆ぜる音が友と化していたのに。今さら、春なんて迎えられはしない。


「鶺鴒って、秋の鳥なんですって。四六時中鳴いてもらっていたから、季節なんて関係なくなってしまったけれど」

「では、本来なら季節外れの鳴き声がしているのですね」

「そう。季節外れなの」


 時の本流に乗っているわけではなく、時の止まった温室に飼われているのだから。

 冬で足を止めた魔女に、動かされている模型なのだから。


 ふもとへ降りて近くの街へと向かえば、春の祝祭を見ることもできるけれど、凍原から抜け出せるわけではない。抜け出そうとも思わない。根は抜けないほどに伸び切り、また腐れて、枯れるのを待つばかりとなっている。

 結局のところ、頭だけを切り離したところで、魔女が城から離れることなどできないのだった。動きを封じられた手足を胴体ごと切り離しても、頭の中で悶々と考え続けてしまうようでは、檻に囚われているのと何ら変わらない。


「軍人さん。私たちもお揃いね」

「そうですね。春に乗れませんでしたから」


 聞こえるか聞こえないか、伝わるか伝わらないか。どちらでもいいと投げた言葉を、軍人の男はさらりと拾い上げた。やっぱり、この人とは似た者同士なのだと魔女は笑んで、しかし姿の見えない鶺鴒を見上げる。


 ――どうせ最後なのだから、あなたにも、話し相手を作ってあげるべきだったかしら。


 返答の囀りはない。このまま沈黙が続けば、設定されただけの囀りが聞こえるだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る