4. 温室

 最後と称して魔女が男を連れてきたのは、温室だった。城の敷地内では最奥に位置しており、ガラス張りの天井からは、空と一緒に古城の後ろ姿も見えている。吊るされた鉢もちらほらと見え、はみ出した細長い葉やつたが揺れていた。


「ここは、私のための温室。城よりはずっと新しいし、改良もされてきたけれど、今から見ればじゅうぶん古いわ」

「とてもそうとは思えません」


 再び、ぴょんぴょん跳ねて魔女の後に続いていた男は、止まってあごを上へと向ける。今の男にとっては、単なる植物であっても樹木のようだ。普通なら、草花と言えば明るい色をしているが、首だけで地を跳ねる男に見えるは裏側。透き通る花びらや葉は、表とはまた違ったおもむきをしている。

 どこからか聞こえてくる水音、今度はコツコツ聞こえてくる魔女の足音、そして何とも言えない……とすとす跳ね進む生首の音。人の手で、春の世界と同じように設定された箱庭は、屋外でも屋内でも異質だ。そこに魔女と生首も加えれば、異常さに拍車がかかる。


 温室の入り口から伸びていた小径こみちは、円形のスペースに続いていた。石畳も円を描くそこには、蔦模様を描く椅子とテーブルがたたずんでいる。ずっと、魔女が一人で使っていたからなのだろうか、椅子は一脚しかなかった。男は再び、魔女に机上へ上げてもらった。

 ずっと高くなった視界には、さらに多くの花が咲いている。自らぐるり、ゆっくりと周囲を見回すと、黄色やオレンジ色の花が多いらしいと気付く。葉の緑も含めて、それらの色合いは魔女と同じだとも気付いた。


「城の中で一番、維持に力を割いているのはここです。だから、そこまで古くないように見えるの」

「大切になさっているんですね」

「それはもちろん。私専用だからというのはあるけれど、私の自由が確約された場所だから」


 魔女が持つ橄欖かんらんも、男が持つ灰色も、同じ花園へ向いている。そのまま一つの絵画にできそうな温室の一角は、日差しに柔らかく浮き上がっている。

 再び、両者は緩やかな沈黙へ漕ぎ出していた。いかなる過去も奥底へ沈んで遠ざかり、ただ美しいものだけが眼前に広がっている。人の手が加えられているとはいえ、草花は伸び伸びとして、息苦しさを感じさせない。


「あなたは私と同じなんだと思った」


 前触れなく、魔女の声が外へすべり出た。唐突に切り込むようでいて、鋭さや荒々しさはない。すれ違いざまに聞こえるような、すんなり入って馴染む音色をしている。


「私と同じ、やめさせてもらえない人。……私があなたのことを首だけにできて、動き方も教えられたのはどうしてだと思います? 私が、自分でやったことがあるからよ」


 思わず男は目を見開いて、ゆっくりと魔女の方へ顔を向けた。華やかな出で立ちの魔女は、顔だけを憂愁に浸らせている。


 その顔が――するり、落ちた。背まで伸びていた金髪が、さらさらと鈴を鳴らした。


 美しい魔女の頭部は、自身の手に抱えられて微笑んでいる。頭が取れたにも関わらず、魔女の体は当たり前のように動き、自分の首を男の隣に置いた。流れた金髪は扇子状に広がり、近くなった橄欖の目には、悪戯っぽい光がちらついている。


「うふふ。悪趣味ですけれど、首が落ちてぎょっとする人たちを見るのは、胸が空きました。元から私はおてんばでしたけれど、首を自由に動かし始めてからは、もっとおてんばになりました。捕まりたくないんですもの、私の魔法を利用し尽くしたい人たちになんて」


 ころころ、金と橄欖の首は無邪気に笑う。男は灰色の目を見開きっぱなしだったが、だんだん理解が追いついてきた。魔女にどういう過去があるのか、薄っすら察しもした。


「……そうまでして、逃げたかったのなら。城から抜け出してしまえばよろしかったのでは?」

「あら、ここにいるのに分からない?」


 魔女の返答は手短で、問い返しだったが、男はすぐに思い出した。この温室は、魔女のためのもの。彼女の自由が確約された場所。


「この城が大嫌い、というわけじゃなかったの。仲良くしてくれた人もいた。ここは私を閉じ込める鳥籠だったけれど、心から大嫌いじゃなかった」


 だから逃げられなかった。

 続く言葉はなかったが、下がった魔女の視線は物語っている。男も、その心には覚えがある。好きなものができると、裏切れない。だから背を向けられない。


 ――お前が生きてくれれば、後続の将来も安心して見守れるってもんだ。


「魔女様がいてくれれば、この先、多くの人が笑顔になります。……そう言われたの」


 響きは違えども、意味は同じ言葉。聞いた時は熱を帯びて、自分の炉心にくべられたはずのそれが、今となっては体を凍らせ動けなくする。


「人の役に立てるなら、長く生きるのは悪いことじゃないと思った。でも、私は長く生かされすぎました。終わりどころがどこなのかも分からない」

「……それで、今日に定めたのですか」

「ええ。そういうことにしました。そこに、もう死を決めたあなたを巻き込んでしまったのは、申し訳なく思っています。ごめんなさいね」


 困ったように笑う魔女に、男は首を振った。予想外の状況に放り込まれはしたが、男は魔女にいきどおりを覚えていない。夢だと思ってほしい、と言われたこともあって、なんとも言えない凪いだ心地を抱いていた。

 どこかの窓が開いているらしく、角の取れた涼風が、ふんわりと吹き抜けていく。春陽が溜まった温室は、まだ息をしている。


「今の私は、ただ、夢を見ているだけ……貴女の夢に迷い込んだだけですので。夢から覚めても、そういうことにしておきましょう」


 告げる男の声は、男自身が驚くほど柔らかくなっていた。言われて、魔女が浮かべる微笑も、同じくらい柔らかくなっていた。

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