3. だんまり
食堂での談笑を経ると、北の魔女はより砕けた雰囲気を
魔女の古城案内は続き、当初に予定されていた範囲を広げることにもなった。掃除は行き届いていないが、いる分には支障のない所まで。さすがに首では床の
女性に頭部を抱えられるというのは、果たして恥ずべきことなのか……生憎、初めて首だけとなった男には分からない。特定の女性と仲を進展させたこともなければ、買うこともなかった男なので、なおさら。とりあえず魔女が楽しそうなので、それでいいかと考えていた。
男の首を抱えた魔女は、階段を上がっていく。絨毯が音を吸うため、足音は
階段を上り切った先には、天井から床までを繋ぐような大窓が
中天に差し掛かった陽の光が、廃墟と化した古城に降り注いでいる。花を交えた山の木々を背に、長らく風雨に晒されたのだろう城の一部が
男の首が、バルコニーの手すりに置かれた。好きに見てくれということなのだろうか、男は魔女を見上げたが、
だが、独りというのは心地が良い。
男は自力でずりずり視界を移動させ、萌ゆる木々の緑と朽ちた古城のコントラストを眺めた。古い建造物と鮮やかな草花の取り合わせは、絵画でも見たことがある。額縁に収められた虚構を見ても、男は特に感じ入ることはなったが、こうして実物を見ると、
時おり、遠くから鳥の声が聞こえてきたが、押し黙られると何も聞こえなくなった。吹いてくる微風も
沈黙は手持ち無沙汰を生み、漫然とした謎の焦燥も生むが、この場所は落ち着いている。首だけを手すりに乗せられている、という奇妙な絵面をしていることも忘れて、男はただ、崩落した古城を眺めていた。
「――立ち続けていると、疲れてしまいますね」
「立ち尽くしてから、そんなに時間が経ってしまいましたか」
「さあ。時間なんて意識しなければ無いのと同じ。気にするようなことじゃありません。ここにはもう、時を告げる鐘の音も鳴り響かない」
日の下に出たことで、金髪も橄欖の目も、朱色のドレスも華美を増していたが、顔に浮かぶ表情は憂いに翳っている。そのまま、魔女はしばし黙っていた。かつて聞いた鐘の音を、思い出しているのかもしれなかった。
男にも、鐘の音は馴染みがある。しかし、思い出せなくなって久しい。男の耳に蘇ってくるのは、砲声、銃声、叫び声に泣き声。夢の中でさえ追いかけてきた轟音ばかり。染みついていたはずのそれらは、乾いた血のように黒ずんでいる。
――貴方は、こんなところで死んでいい人ではないのです。
鮮血が、脳裏に過った。塞がらない古傷から、滴り落ちた赤色だった。
「どうかなさった?」
僅かに俯いた男の顔を、橄欖の目が覗き込む。「いえ」と簡単な声を出すこともできず、男はただ、口を引き結んだ。心配そうだった魔女の顔も、憂いに翳る笑みへ戻っていく。
「誰にでも、言いたくないことはありますものね。……もう少し、ここをご覧になられる? それとも、次の場所へ案内してもよろしいかしら」
「疲れは大丈夫なのですか」
「ああ、平気よ、このくらい。私は深窓のお姫様ではなくて、野を駆け回るおてんば娘でしたもの。立ち尽くして疲れ果てる、なんて情けないことにはなりません」
「では……案内の再開をお願いできますか。役目を終えた古城の美しさは、目に焼き付けましたので」
別段、意を込めたわけでもない頼みの言葉に、魔女が目をきらりと輝かせる。どことなく誇らしげに見える表情は、嬉しがっているのだろうか。男は考察を巡らせたが、先に抱えられてしまった。
「次で案内は最後になるのだけれど、そこも綺麗なところよ。楽しみにしていらして」
男が相槌を打たなくても、魔女は上機嫌で歩き出す。娘のいる同僚も、こういう風に手を引かれていたと、男はぼんやり思い出した。
死ぬ前、同僚に挨拶をすることはなかった。彼に限らず、男は誰にも挨拶をしなかったし、遺書も書かなかった。無音のまま消え去りたかった。望みこそ叶えたものの、首だけ残され生き返るなんてことが起こるとは思わなかったが。
城内へ戻った魔女の足音は、響くことなく吸い込まれていく。目覚めるような色合いも、薄暗い世界に馴染んでいく。首が跳ねても埃の舞わない廊下へ出るまで、男はしばし目を閉じた。灰色を覆う
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