2. 食事

 頭部だけの状態にされてしまった軍人の男は、全く動けないわけではなかった。首だけの状態にした張本人である北の魔女にコツを教えてもらい、方向転換はもちろん、自力での移動も何とかできるようになった。

 教示に手慣れていたのを見ると、北の魔女は今までにも、誰かを首だけの状態にしたことがあるのだろう。男はすんなり判断したが、予測に冷や汗が出てくる。目が覚めるような色で構成された華やかさの下に、猟奇趣味が隠れているかもしれない。そう考えると恐ろしかったが、どうにも違う気がした。彼女の目はよどんでおらず、透き通っていたので。


 男が動けるようになると、魔女は古城を案内すると微笑み、ぴょんぴょん飛んで前進する首を連れて廊下へ出た。男が目を覚ました部屋は、廊下を挟んで中庭に面していたが、屋内の綺麗さに比べると荒れているように見える。


「ここには私一人で、魔法も便利とは言えなくなってきたから、庭は手入れができなくなったの。しばらくは頑張ってみたのですけれどね」


 男の視線から考えを察したかのように、魔女は寂しげな笑みで言う。男は何も言えず魔女を見上げたが、橄欖かんらんの瞳から心情を読み取ることは困難だった。


 綺麗に掃除も行き届いているのは、魔女が生活範囲として扱っている一部分だけだという。古城と言うだけあって、絨毯じゅうたんやタペストリーなどに覆われていない箇所には、石積みの古い様式が見られた。

 男は首だけで跳ねているが、これといった苦労もなく魔女について行けていた。ほこりが立って目鼻をやられることなく、飛び跳ねたことによる痛みもない。さすがに疲労は溜まると言われたが、首だけになっても軍人だからなのか、一向にそんな気配も感じない。


「お食事などは、どうなさっていたのですか」


 流されるままだった男が自ら口を開いたのは、食堂だという大広間に入り、説明を受け終わった後だった。


「この城から人がいなくなった時から、取らなくなりました。あなたも既に亡くなっているわけですし、何より首だけにしてしまいましたから、何かを食べる必要はありませんよ」


 頭と首が繋がるあたりを支えるように、すくい上げるように持ち上げて、魔女は男の首をテーブル上に置いた。複数の椅子を従えて鎮座しているテーブルは、磨かれた深い黒茶の木目に沈黙を被っている。


「よかった。完全に興味がない、というわけではなさそうですね。城を案内できるようなお客様は本当に久しぶりだから、少し不安だったの」

「客人扱いだったのですか、自分は」

「そうだけれど。……伝え方が悪かったかしら。お客様でなければ、何だと思っていらしたの?」


 こてん、と首を傾げて問われると、男は答えに窮した。人質だとか暇つぶしの玩具おもちゃ代わりといった言葉が浮かんできたものの、あどけない素振りを見せた魔女には似合わない。

 男が答えられない間に、魔女は近くの椅子を引いて着席している。華やかな出で立ちをした彼女は、古城に見える色にしては新しすぎるようだが、すぐに馴染んでいく。


「私は魔女と呼ばれて、名乗ってきたけれど、元々は何ら普通の人間でしてよ。あ、身分はどうという指摘はしないでね。貴族も庶民も人間であることに変わりはないでしょう?」

「おっしゃる通りで。しかし、魔女という存在は本当にいたのですね。作り話かと思っていました」

「実際、昔話……おとぎ話の存在よ。私がまだ人間として生きていた時代、この古城が最も新しい様式だった時代なら普通の存在でしたけれど、今は私以外に魔女なんていません」


 屈託のない笑みを浮かべて断言する魔女は、どこかほこらしげだった。姿は大人の女性だが、時おりのぞく表情は少女のそれだ。


「魔法なんて要らなくなった後も、どうしようもないことを何とかしてくれないかって訪ねてくる人はいました。あなたのような軍人さんも。そういう人たちは、私を遠く思っていたから、こうして城を案内することなんてできなかった」


 窓が取り込んだ、昼に向かう外光を頭の後ろに受けた魔女は、穏やかな表情を浮かべている。輪郭を縁取るような金髪のきらめきと、薄い影が掛かった程度ではかげらない橄欖の瞳が、彼女の不朽を物語っている。


「本当なら、ここで食事会も開いてみたかったのよ。昔みたいにパーティーを開いて、みんなで笑い合って。でも私ったら、久しぶりにして最後のお客様を首だけにしてしまったから……ふふふ、自分で自分の楽しみを潰しちゃった」


 軽やかに笑う魔女の声は、男に言葉を一つ引っ掛けた。聞き逃しようのない暗色をまとった、不問と消せない言葉を。


「最後、というのは、どういうことでしょう」

「これでおしまい、ということよ。私ももう、命を終えるの」


 男が目にし続けた陰惨とは真逆の、清々すると言わんばかりの声音が、柔らかな沈黙に混ざって溶けていく。逆光の中で、魔女は楽しい幼子の笑みを咲かせていた。花が見頃を終えるように、魔女は息を引き取るのだと、花をゆっくり眺めたのがいつだったかさえ思い出せない男は悟った。


「だから、あなたのことも長く引き留めるつもりはないのです。これは死に際の夢とでも思ってほしいの」

「お互いの、ですか」

「ええ、そう。お揃いよ。魔女と同じ夢を見るのはお嫌?」

「そちらこそ、生首と同じ夢を見るのは、お嫌ではないのですか」

「あはは! あなたのことを首だけにしたのは私よ。嫌なわけがありません」


 それもそうだ。けれど、男もそんなことは分かっていた。口の端を少し釣り上げて笑う男に、魔女もにやりと悪童めいた笑みを浮かべる。


「あなた、思っていたより親しみやすい方ね。無口な方は苦手じゃないけれど、あんまりにもお話ができないと困ってしまいますから、安心しました」

「状況についていけなくて、話をするにも何を話せばいいのか、分からなかっただけですよ。鏡を見たら首だけになった自分が生きているなんて、絶句以外の何物でもありませんし」

「どうして首だけにしたのか、理由は訊かないのね」

「予測している理由としては、再び自殺に走るのを防ぐためかと。貴女は自分を客人として扱ってくださるとのことでしたし」

「当たりです。舌を噛み切るのだって、言葉にできないくらい不可解な現象を前にしたら、口がポカーンと開いてしまって、できないでしょうと思ったの」


 くすくす、魔女は口に手を当てて笑う。彼女の言う通り、男は驚きにすっかり頭を洗われてしまったし、そのまま流されてもいた。既に死んでいるのなら、一時の都合で生き返らせられても文句は出てこない。


「食事もお茶も出せない夢の中だけれど、私が眠るまで滞在していただけるかしら」

「自分のような者でよろしければ」


 お辞儀はできなかったため、男はあごを引いて一礼とする。喋る生首と魔女の、世にも不思議な死に際の白昼夢が、人知れず幕を開いていた。

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