第17話・キノコの里

 そろりと右前足をあげて、巨大なモルモットがシオンのもたれている壁を短い指で指す。


「……その壁、なんか動いてね?」

「うむ。そのようだな」


 振り向いて冷静に言うカーネリアに、エルがぼそっと「いや、そこ驚くところでは?」と突っ込みを入れていたが、彼女はむしろ壁に顔を近づけていた。光源がとぼしいためはっきりとは見えないが、カーネリアの表情は楽しげに見えた。どうやら、彼女の中のスイッチがオンになってしまったようである。


「なにかが、中にいるのか? こちらに出てこようとしているようだが……暗いな」


 パチン、と指を鳴らして先ほど消した光球をもう一度出現させた。ついでに、シオンも同じタイミングで光球を出現させたため、明るさはじゅうぶんだ。


「ダメだな、やはり見えない。いっそ、こちらに引きずり出してしまおうか」


 明かりを引き寄せながらめつすがめつしていたところで、エルの耳に聞いたことのある音が響いた。

 それは、にゅいんとかにょいんとかいかんとも言いがたい音を立てて壁から生えた――否、飛んできた。


「うぉわッ!」


 情けない悲鳴とともに、顔めがけて飛んできたものをぺしっと床に叩き落とす。カーネリアはそれを見下ろし、紅い唇をにんまりと持ち上げた。


「これはおもしろい」


 弾んだ声で言いながら、床で肉厚な傘をひくひくさせているキノコを摘まみ上げる。ジークも興味津々で顔をよせた。ひげと鼻がぴくぴくと動く。


「これ、形は似てるけどおれさまキノコとは違うな。でも、このひくひく加減はすっげーそっくりだぞ」

「そうだな。あれは飛ぶことはない」

「キノコって、飛んできたりひくひくしないと思うんだけど」


 ぼそっと言ったエルの反論はもちろんスルーされた。いつの間にやら、シオンやクロウさえもキノコをまじまじと見つめている。この場でそれに興味を持っていないものは、どうやらエル一人のようだ。

 だが、それが幸いした。

 キノコは動きを止めたように見えていたが、突然石づきの部分から白い菌糸を囲んでいたメンバーへと放出した。それぞれの頭をめがけて飛んだ菌糸はカーネリアには素手でつかみ取られ、クロウはシオンを抱えてすべて避ける。しかし、きっちり顔を寄せていたジークには、払いのける手も避けるだけの素早さもなかった。

 音もなく、大きなモルモットの額に細い菌糸が絡みつく。シオンが悲痛な顔をして、短い叫び声をあげた。菌糸の接触に、一瞬固まりびくん、と身体を震わせたジークだったが。


「……ん? おれさまなんともないぞ」


 言いながら、もぞもぞと動いている菌糸を頭を下げて前足で払った。どうやら、もふもふの柔らかい毛に阻まれて、菌糸は目的の肌まで行きつけなかったらしい。


「さっすがおれさま」


 ジークはふふんと胸を張って、決め台詞をはいた。カーネリアは、絡めとられた菌糸をまだ自分に向かって伸ばしてくるキノコを眺め、「なるほど」と呟く。


「私たちに寄生するつもりか。寄生型は研究が大変でな。少々名残惜しいが、ここは消しておくこととしよう」


 キノコを摘まんでいる右手が、ぼっと音を立てて燃え上がる。キノコが焼ける香ばしい匂いが辺りに漂った。その香りに思わず、これならジークが食べたのも分かるかも、などと思って生唾を飲み込んでしまうエルだった。


「……ッ!」


 カーネリアは一瞬顔をしかめ、燃えているキノコを高々と投げた。キノコは炎を纏わせたままもう一度菌糸を伸ばしかけ――。

 銀の軌跡がきらめいて、炎をあっけなく両断する。伸びかけた菌糸がしゅるっと丸まり、左右に分かれた本体と一緒に今度こそ炎に巻かれ焼け落ちていく。火が消えた後に残ったものは、黒々とした炭だけだ。


「聖女さん。こりゃあ……」


 剣を収め、深刻な表情でクロウが問うた。カーネリアは彼の顔をちらりと見、首を振って答える。


「どうやら、魔法が効かぬようだ」

「待って! 壁の中の気配が消えましたわ」


 シオンが壁に手を当てて鋭く言う。感知魔法を使っていたらしく、手のひらはふわりと光に包まれている。彼女は手を離さずにゆっくりと壁伝いに歩き、一度も通ったことのない開けた箇所まで行って足を止める。通路の三倍ほど広くなっているその先は、壁も光っておらず黒々とした闇に覆われていた。


「……こんな場所、いつの間に」

「エルドレッドさま、お静かにッ。この先に、なにかが群れていますわね」


 パチン、と指を鳴らす音と共に、三度みたび光球が呼び出される。いままでより大きな、両手で支えるサイズの光球はふわりと天井へと浮かんで行き、大きさどおりのじゅうぶんな明るさで広場を照らし出した。

 うにょん。

 にょにょん。

 うにょにょにょん。

 気合いの抜けるゆるい音が、そこかしこで響き渡る。しかし、それと一緒に聞こえてきたがしゃがしゃという音を鳴らした主を見、エルは一瞬どんな顔をしていいのか分からなくなった。


 無駄に立派な体格をした、骨だけの人間がそこかしこに立っているのは、まだいい。そういうのは大体魔物としているもんだろうと、脳内で納得している。がしゃがしゃ音を立てて動いていようが、眼球のない暗い穴の中になぜか青い炎がちろちろと燃えているのは、まだ理解の範疇なのだ。

 問題は、その、上にある。


「なるほど。遺跡に迷い込んだ先客がいたわけか」


 カーネリアが、不敵に笑う。が、エルには到底理解ができない。

 彼女は、どうして。

 アレを見て、平然としていられるのだ?


「このまま迷っていたら、わたくしたちもお仲間になっていたかもしれませんわね」

「それはちょっと御免こうむりたいぜ」

「……いやいやいやいや……そうじゃ、なくて!」


 我慢できず、とうとう大声を出したエルを皆が「どうした?」とこういう時だけ一致団結した瞳で見つめてくる。


「骸骨の上にキノコが貼りついてるんですよ!? どうして誰もそこを突っ込まないんですか!」


 指差した人差し指は、手首からぶるぶると震えている。皆、きょとんとしていまいちノリが悪い。


「なー、エル。それはおれさまじゃなくとも、みんな分かるところだぞ? わざわざ言う必要もないところだぞ?」

「あれが骸骨に寄生して動かしているのは明白じゃないか。見た目どおり、そのまんまだ」

「いや、だって、あれ、骸骨ですよ? スケルトンですよ? 脳みそないのに、どこに寄生して動かすんです?」

「……身体全体に菌糸を纏わせておりますわね」

「操り人形の要領じゃねえか?」

「えええええええー……」


 いや、寄生ってそうじゃないだろなんか違うだろ! と言いたい気持ちをなんとか堪え、エルはがしゃがしゃうるさい骸骨たちに目を凝らした。シオンやクロウが言ったとおり、骨の裏側を菌糸が這っている。裏側に這わせているのはせめてもの擬態かなにかなのかもしれないが、対象が骸骨スケルトンなので動くたびに裏側が丸見えである。あれなら、堂々とぐるぐる巻きにでもしていてくれたほうがずっと潔く見える。

 キノコなりの、涙ぐましい努力の結果なのかもしれないけど。


「さてさて。あのキノコには魔法が効かぬ。骸骨にはどうか分からぬが、キノコが支配している以上、効かぬものと考えた方が良いだろう。ここは、騎士の見せ場ではないか?」

「らじゃー!」


 勢い良く答えてとっとこ飛び出していったのはジークだ。否、そのもふ尻を捕まえて、クロウはジークをぽんっとカーネリアへと放った。彼女が器用に受け止めたのを確認し、クロウはすらりと腰から下げた剣を抜く。


「聖女さんは後ろに下がって! やるぞ、エル!」

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