第12話・圧倒的実力

 最初に動いたのは、カーネリアだった。エルが指差した方向へ向けて、弱い魔力の波動を飛ばす。感知の魔力に引っかかったのは、こちらの倍以上の数だったが、カーネリアは余裕の笑みを浮かべた。


「取るに足らん雑魚だ。が、数は多いな」


 彼女の言葉に、エルはごくりと生唾を飲み込む。騎士とはいえ、合格してすぐ、意気込みすぎてやらかしカーネリア付きになった彼は、それほど結界の外に出る機会がないのである。

 つまり、あまり魔物を見たこともなければ、戦ったこともない。ジークにいいだけへっぽこ呼ばわりされる彼とて、騎士団の一員だ。毎日の訓練は欠かさないし、仲間との模擬戦などもおこなっている。はいりたての頃は、クリストフに剣の筋がいいと期待されてもいた。ただ、その期待ゆえに突っ走ったとも言える。


「カーネリアさん。雑魚って、相手がなんだか分かるんです?」

「当たり前だ。あれは、死せる猟犬デスハウンドの群れだな」

死せる猟犬デスハウンドォ!?」


 淡々と言った彼女の言葉に、一人の騎士が素っ頓狂な声をあげる。エルが珍しく、彼に声をかけた。


「……クロウ?」

「エル、なぁーにスカしたツラしてんだよ。死せる猟犬デスハウンドっていやあ、死んでも死なねえことで有名じゃねえか。ま、元々死んでるから、死なないってのは変なんだけどよ」


 しかも、こんな真昼間に? と明るい茶の髪を無造作に遊ばせている彼は、疑問の視線を投げかけた。もちろん、カーネリアに向かって、である。


「聖女さん、それ本当に本当か? 間違いってこともあるよな?」

「この程度、私が間違えるとでも? 怖いのなら、結界から出ずに見ているという手もあるが?」

「そういうこっちゃねえ! 陽の光に弱いアイツらが、こんな時間に群れてるわけはねぇって言ってんだよ!」

「なるほど。常識的に考えて、というやつか。しかしな、人間が進化をするように、魔物だって進化をとげる。陽の光に強い群れが現れたのかもしれん。私ならば、他人を疑うよりそちらの可能性を考えるがね」


 す、と白い指で草原を指す。エルの目にはいったときはちらちらと動いていたものが、土ぼこりをあげて目視できる速さで走ってきている。どうやら、こちらをターゲットと認識したようだ。


「論より証拠だ。あれは、死せる猟犬デスハウンドで間違いないだろう?」


 彼女の指先を追ったクロウの瞳が、驚愕に大きく見開かれた。その表情が、カーネリアの感知が間違いではなかったと物語っている。


「……マジかよ。エル、お前正体まで見えてたのか?」

「まさか。ただ、なんかちらちらしてるなあって」

「はあー。さっすがエルだわ。こんなおっかねーねーちゃんに剣突き付けただけあるぜ」

「いや、それとこれとは、話が別……ッ」


 あの話を持ち出され、赤くなったり青くなったりエルを苦笑して見つめ、茶髪の騎士は脳内を切り替えた様だった。迫りくる魔物たちを一瞥し、調査隊のメンバーに向き直る。


「皆、聞いてたな? 昼間だが、魔物は死せる猟犬デスハウンドだ。どうやら結構な団体さんだが、戦えるやつは何人いる?」


 クロウの声に応じた隊員は四人。調査隊は調査や研究など主に頭脳労働を中心に行うのが二人、それを護衛するのが五人の、全部で七人という少数部隊だ。隕石が落ちたと確定しているのならともかく、落ちたかどうかを調査しにいく部隊なのだから仕方がない。そこに、導き手のシオン、壁画の確認という極秘任務をうけたカーネリアとお付きのエル、勝手にくっついてきたジークといった、混合部隊になっている。

 護衛四人の顔を順繰りに見やって、クロウはカーネリアたちに視線を合わせた。


「お前たちは、どうする?」

死せる猟犬デスハウンド……でしたわね。つまりゾンビ犬? ゾンビはわたくし遠慮致しますわ。でも、怪我を癒す奇跡はわたくしも使えます。ですから、どうぞ張り切って戦っていらして? 何度でも、治してさしあげますわよ」


 それこそ聖女のような穏やかな笑みを浮かべて、シオンは一歩下がった。笑顔は美しいが、言っていることは結構えげつない。隊員の士気が微妙に下がる中、クロウは一人頷いた。


「正直、自衛できる程度ではアレは倒しきれない。結界の中で、万が一のときはお願いしたい」


 とんとんと話を進めていくクロウを見、エルは腑に落ちないといった顔で疑問を口にする。


「……クロウ。なんでお前がし切ってんの?」

「は?」


 ぴたりと動きを止めて、金髪の青年をまじまじと見つめる。十秒ほど見つめたあと、彼はこらえきれずに吹き出した。


「はっはっは! ほんっとにエルってなんにも変わってねーな! おれが、調査隊の隊長だからだよ!」

「え、そんなこといつ言った!? どーせ俺がいないときに言ったんだろ?」

「人の話聞かねーところが、小さいときからなんにも変わってねーって言ってんだよ。そんなもん、最初に言ったに決まってんだろ」

「そんなこと言って、いつも都合よくはぐらかしてたのはどこの誰だよ!」

「いや、ちゃんと全員集まったときに言ってたぞ。おれさまはできるモルモットだから、きちんと聞いてたぜ」

「……勝手に付いてきてたのには、気付かなかったけどな」


 どや顔を決めたジークを珍しそうに見て、ぼそっと突っ込む。


「おれさまの魅力に気付かないとは。隊長と言っても、まだまだだな」


 ふっと笑ったジークの頭に、ぽんと白い手が置かれた。カーネリアはゆっくりとジークの手触りの良い毛並みをなぞり、不敵な笑みを浮かべて口を開く。


「盛り上がっているところ悪いが。アレは武器との相性がすこぶる悪い。死んでも死なない――正確に言えば、死体に巣食った細菌が身体を動かしているだけだからな。斬っても突いても、身体が使い物にならなくなるまで動き続ける。私が魔法で一掃するのが一番効率的だと思うのだが、どうだ?」


 カーネリアの言葉に、クロウは目をすがめる。


「確かに、武器よりは魔法のほうがあいつらには効果があるが……結構な数がいるからな。我々が時間を稼いで、聖女さんには確実にトドメをさしてもらう、それではダメか?」


 調査隊隊長のもっともな作戦に、彼女は鼻で笑った。


「効率的というのはな。時間も戦力も温存できるという意味で言っているのだ。勘違いしてもらっては困るが、先ほどのは提案ではない。決定事項だよ」


 彼女の挑戦的な紫の瞳に貫かれ、クロウは抗議をするだけ無駄だと悟った。彼は護衛の騎士たちを結界の中へ撤退させると、すれ違いざまに言葉を浴びせる。


「聖女さんの実力、安全な場所で拝見させてもらう。まさか、魔力切れなんかにならないだろうな?」

「それは面白い冗談だ。肩慣らしにもならんだろう」


 鋭い視線を向け、踵を返す。ついでに、どうしたものかおろおろ成り行きを見守っていたエルの首根っこをひっつかみ、結界の中まで引きずって行った。ジークはすでに結界内に引っ込み、そのもふもふで隊員たちの気持ちを和らげるという大役を自らかって出ていた。

 カーネリアは一人、草原へと足を踏み入れる。背の高い木々がなくなり、風が彼女の髪を、スカートをはためかせて過ぎていく。死せる猟犬デスハウンドも、格好の獲物が一人、ふらりと現れたことに気が付いたようだ。

 陽の光を受けて、一瞬双眸が赤くきらめいたように見えた。

 カーネリアは、魔物たちに向けて無造作に右手を突き出す。


煉獄の炎ヘルブレイズ


 静かな声だった。一拍の静寂。カーネリアの突き出した右手の前に、彼女を飲み込むほど巨大な魔法陣が現れ、花開くようにぐるりと展開していく。


「全てを飲み込め」


 言いながら、彼女は魔法陣を左右に切り裂くように右手を一閃させた。刹那、魔法陣は眩い赤に発光し、直視するのも困難になる。目を細めながら調査隊のメンバーが見ることができたのは、カーネリアの一閃通りに、魔物の目の前に赤黒い火柱がどんっという重たい衝撃と共に一直線に吹きあがったという事実。


 一瞬遅れて届いたのは、魔法によって生まれた炎の生み出した凄まじい熱波だった。結界内にいても、焦げるような熱さを感じ、今度こそ皆一様に目をつぶる。熱さが過ぎて、隊員たちが目にしたものは、ずぶずぶと煮えたぎって荒ぶる大地に飲み込まれていく死せる猟犬デスハウンドの姿と、陽炎に揺れる草原だ。火柱はもう消えているのにも関わらず、魔物たちは燃え上がったものも姿が残っているものも皆等しくなみなみと揺れて怒れる大地に飲み込まれ、断末魔の悲鳴をあげて消えていく。動くもののいなくなった大地には、まだ陽炎だけが残っていた。

 死せる猟犬デスハウンドがいた証など、骨どころか灰すら残っていない。すべては火柱に焼かれ、燃え滾る溶岩に飲み込まれたのだ。その溶岩も、魔物たちと一緒に地の底へと姿を消している。


「…………」


 陽炎が消えても、誰も言葉を発せずにいる。まだ熱を帯びる風に長い黒髪をなびかせ、悠然と佇む背中が、圧倒的な実力差を見せつけている。


「……エル、すまん。新入りがはいってくるたび、お前のこと面白おかしく話してたの、多分おれが一番多い」


 唐突に口を開いたかと思えば、突然の謝罪だ。謝られるのはともかく、なぜいま? とエルは訝し気に幼馴染の顔を見やる。

 彼は、茶髪の遊ぶちょっと軽そうに見える顔に、恐怖なんだか楽しんでるんだかよく分からない曖昧な表情を浮かべていた。

 ごくりと生唾を飲みこむと、クロウはカーネリアの露出した背中を見つめて熱っぽく言い放つ。


「あれは確かに、魔女と間違えてもおかしくない。おかしくないが、おれはぶっちゃけ彼女が魔女でも聖女でもどっちでもいい。エル、お前聖女付き騎士の座を譲れ」

「……はあ?」


 なにを言い出すかと思えば。

 エルは、みょんみょんキノコでも食べたかのような顔をしてクロウを見つめる。


「……惚れた」


 隊長が呟いた言葉は、キノコ以上の衝撃となってエルの脳天を貫いたのだった。

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