第10話・黒い隕石(2)

「はいはい。喧嘩はその辺で。シオン・アンリエッタ。君をここに呼んだのは、聖女の選定をし直すからではないよ。君は癒しの奇跡を起こせるのかもしれないが、それでも君は聖女じゃない。ただ、魔法の力が強いというだけだ。誤解されがちだけど聖女っていうのはね、癒しの奇跡を起こせるもの、って意味じゃないんだよ」


 実際はね、もっと複雑なの、と国王に否定されては、返す言葉もなかったのだろう。シオンと呼ばれた女は、悔しそうに唇を嚙みしめてエルの腕をぎゅっと握る。


「あとね、エルも放してあげてね。なんか痛そうだから」

「そんな理由!?」

「だって、君と彼女の因縁なんて知らないし。に見えるのは本当だから」

「あ……ッ!」


 急に下を向いて腕を解放したシオン。エルはぱっと腕を組むと、身体を少し彼女から遠ざける。彼女は可愛いタイプの美人であるのは認めるが、まったく記憶に存在しない人間に名前を覚えられるほど自分は目立ったことがないはずだ。カーネリア付きになった事件にしても、名前までは出ていない。なぜ彼女が一方的に自分を知っているのか、さすがに気になり、距離を取ってしまう。

 すると今度は、隣に座るカーネリアに必然的に近づく形になるのに気付き、なんだか微妙な気分で背筋を伸ばす。


「なにやってるんだ」

「なに、やってるんでしょう」


 彼のお気楽な騎士仲間などが見たら、両手に花などと茶化したに違いない。見た目はそうだが、圧倒的な毒を持ち合わせている花と、得体の知れない新種の花だ。恐ろしくて、触ろうなどとはとても思えない。

 毒花――カーネリアは肩をすくめてため息をつくと、エルから国王へと視線を移した。国王は頷くと、うなだれたままのシオンに声をかける。


「シオン・アンリエッタ。隕石を見たときのことを、話してくれるね?」


 隕石……とシオンはぼんやり呟き、ゆるりと移動するとエルの正面に腰をおろす。


「あれをなんと呼んだものか……。分かりやすいよう、ここでは隕石としましょう」


 下を向いたままではあるが、ぽつぽつと彼女は話しはじめた。


「わたくしは、天体観察が趣味なのです。昨日も、いつもと同じように窓を開けて夜空を眺めておりました。昨晩は月の光が強く、星の観察にはあまり向かない日でしたが、それでも時間をおいて何度か星の動きの記録を取りましたわ。スケッチも残してあります」


 言って、テーブルの上に取り出したのは数枚の空のスケッチである。時間と方角がメモされ、時間ごとに目当ての星の名前、動きが分かるようになっていた。


「ほう。これは、趣味の域を超えているな」


 カーネリアが感心の声をあげる。王が三枚目のスケッチを指し、「これか?」と端的に問うた。

 そのスケッチには、前の二枚にはなかった真っ黒な物質がえがかれている。それはどことなく、壁画と似ているような気もする。時間はちょうど夜の十二時。日付が変わった時刻である。

 シオンは頷き、黒い物質をとんとん、と細い指で叩いた。


「最初は、なんだか分かりませんでした。ただ、とても月明りが強い晩でしたのに、光が届かない場所があるように思えて、目を凝らしたのです」


 すると、夜の闇よりも暗く、月の光も遮断するなにかが上から下へ動いているのが見えたのだ、という。


「その黒い隕石は、月の光だけでなく、星の上も通過しました。上から下へ星の前をなにかが動いているのは明らかで――わたくしはそれから目が離せなくなったのです」


 結果として、黒い隕石はするすると夜空を滑るように落下し、森の向こうに消えたのだという。ただし、落下時の衝撃も音もなにも感じられず、落ちたとは思うが目視はしていない、と彼女は締めくくった。

 なんとも言えない沈黙が、応接間を覆う。


「黒い隕石か。しかし、落ちたものを見ていないのでは断定はできないな。黒いいきものが飛んでいただけかもしれん」

「ここにくるまでに少し聞き込みをしてみたのですけれど。時間が時間ですから、寝ていた方が大半でしたが、それらしいものを見た、という方も数名はいましたわ」

「数名ねえ~」


 国王が、唸るように声を出す。


「それに、見た人がいても、それが隕石とは言い切れないですよね」


 エルが正論を口にして、シオンはばっと顔をあげた。その丸い瞳にはうっすらと涙が浮かんでいて、エルはびくっと肩を跳ねさせる。


「エルドレッドさままで! わたくしは、天体に関しては自信がありますの! あれは見間違いなんかじゃないし、いきものでもない。空から降ってきたものですわ」


 だから、どんなに確証がなくてもご報告にきましたの、とシオンは続け。


「それに、嘘だとおっしゃるのなら最初からおっしゃっているでしょう? わざわざカーネリアまで呼んで、秘密の報告会みたいなことをしなくとも」

「まあ、そうだよね。勘ぐっちゃうよね。別に、シオンを泣かせるために呼んだわけじゃないよ」


 苦笑しながら国王は言うと、扉の側で一言も言葉を発さず壁の一部になっていたクリストフを呼んで耳打ちをした。自分が口を挟める問題ではないと理解して、きっちり口を閉ざしていた騎士団長は、王の言葉を聞き終えると短く答えて扉を出ていく。


「だからね、こうしよう。とりあえず、その黒い隕石があるのかどうか見に行こう。なければないでいいし、あったらあったで音もなく落ちてくる隕石なんて、きちんと調べないといけないからね。安全かどうかだけでも、まずは、ね」


 それでいいかい? と適度な脱力感をともなわせて、国王は言った。








 隕石調査を行うという方向で話がまとまったところで、解散となった。

 シオンが最初に、エルが少し離れてゆっくりと部屋を出ていく中、カーネリアは国王に呼び止められる。足を止めて振り返ったエルに先に帰っていいと伝え、彼女は応接間の扉を閉めた。


「さて……。彼女の話。正直にどう思った?」

「……光すらうつさない、黒い隕石とはな。本当かはさておき、思い当たるのは一つだ」

「地下の壁画かね?」

「さあ。本物を見ていないのでなんとも。ただ、似ては、いる」

「見に行くのなら、行っていーよ。というか、あの壁画を知っている人間で身軽に動けるのってカーネリアだけでしょ」


 のほほんとのたまった国王をじとりと見やり。


「それはつまり、行けという意味だな」

「そう」

「しかし、その間魔力の補充は誰が行う? あれは意外と魔力を食われるぞ?」

「大司教でいいんじゃない? というか、他にあの場所を知っているのは彼しかいないし」

「……絶対に自分は行かない、という顔だな。分かった、一筆書いてくれれば大司教に遺跡に入る権限を付与しよう」


 まったく、人使いの荒い王様だ、とカーネリアはぼやく。そんな彼女の横で、国王はまるで子供のようににこにこと笑った。


「カーネリアだって、隕石を調べたくてうずうずしてるくせに」

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