第二章・隕石騒動
第7話・幸運或いは不幸な事故
それは、突然だった。
なんの前触れもなく。まるで、通り雨のような気楽さで。
それは黒い影を宿し、燃え尽きることなく落ちてきた。
――否。
燃えてすらいなかった。
ただ、空に向かって放った石が落ちてきたかのように。
黒いかたまりは、王都に向かって音もなく降ってきたのだった。
騎士団の制服を着た青年が、必死の形相で大通りを駆け抜ける。
揺れる金髪にほどよく引き締まった身体。長い手足を動かして、彼は好奇の視線の中を走り抜けた。
目的地を危うく通りすぎる勢いで駆けていたエルは、立ち止まったあとにやはりここは目的地ではないのではないかと考えた。ここ二年で見慣れた塔は確かに目的の人物が住む塔であるが、問題は入り口までの小道脇、一応庭とも呼べる場所で草を食む巨大なモルモットに抱き着いて笑う二人の子供の姿が認められたことである。
だが、羊大のモルモットなど、なんたらいう謎キノコを食べて大きくなってしまった、カーネリアの連れているジーク以外にいるはずもない。王城から一気に駆け抜けてきたため、酸欠で自分は幻覚でも見てるんじゃなかろうかと、ごしごしと両目をこすった。
「……お兄ちゃん、誰?」
小道の入り口。白い柵に手をかけて立ち止まったまま、はいってくる気配のない青年に子供たちは少なからず警戒心を抱いたようだ。年上っぽく見える男の子が、訝し気に訊いてくる。
「あ、えっと、俺は。怪しいもんじゃなくて」
「その返事は誰が聞いても怪しいだろ」
横から突っ込みを入れたのは、草を食んでいたモルモットだ。彼が口を開いたことによって、子供たちの視線はモルモットに集まる。
「知ってるの、ジーク」
「へっぽこ騎士のエルだぞ。弱いから怖がることないぞ」
「ジーク! あのな、もっとちゃんとした紹介ってもんがあるだろ」
「おれさまは本当のことしか言ってねーぞ。へっぽこはへっぽこだろ」
ふん、と鼻を鳴らしてジークが胸を張る。実際、自分が強くカッコいい騎士だとは逆立ちしたって思えないので、一瞬肩を落としたが、こんな場所で落ち込んでいる場合ではないと用件を思い出した。
「カーネリアさんは? いつも通り寝てる?」
「寝てる。起こしても起きねーから、おれさま子分と一緒に優雅に朝ごはん中なんだぞ」
子分、についてはきっちり問いただしたいところではあるが、それはあとでもいい。エルは入り口まで早足で通り抜けると、今日は遠慮せず最初からどんどんと扉を叩いて声を張り上げた。
「カーネリアさん! 今日は緊急の用事です! 起きてこないなら、はいりますよ!?」
「……女の人の寝てる所に……」
ぼそっと、女の子の呟きが聞こえた。いや、そういうんじゃないから! となんか泣きそうになりながら振り返る。いつの間にか近くにきていたジークの鼻に、膝がクリーンヒットする。直後、モルモットの甲高い叫び声が、辺りに響き渡った。
「んのおおぉぉぉおおおッ! 鼻が、おれさまの鼻が……ッ!!」
「あああ、ごめんジーク! わざとじゃないから!」
「わざとじゃなきゃなにしてもいいっていうのか!? せっかくおれさまが一緒に起こしにいってやろうと思ったのに!」
「だからごめんって! 頼むよジーク、行ってくれよお!」
「嫌だね! おれさまの親切を仇で返すようなやつには協力しねー!」
「ってゆか、じゃあそれ早く言ってよ!」
ぎゃあぎゃあとけたたましいことこの上ない。兄妹が呆れて見守っていると、扉がぎぃと軋んだ音を立てて内側から開いた。完全にジークに向き直っていたエルの頭に、音の割には勢いよく開いた扉の角が盛大にぶつかる。
「……うるさいな。こんな朝っぱらから一体なんの騒ぎだ」
寝起きそのまま、不機嫌を身体中から醸し出したカーネリアが、おろしたままの黒髪をがしがしとかき回しながら顔を出す。適当にその辺にあったシャツを引っかけて寝たのであろう。普段もスリットの入った服を好むため見えている太ももではあるが、シャツの長さはそれ以上に際どかった。
扉で打たれた頭を押さえ、しゃがみ込んで悶絶していたエルがカーネリアの声に何とか顔を上げる。
「……?」
視界いっぱいにはいってきたのは、白くすらりとした二本の足。いつも外に出しているからか、案外と健康的にお肉もついてるんだな、などとどうでもいいことを考えながら、なんの気もなく視線をゆっくりと上に持っていく。
その綺麗な碧眼に映ったのは、よれよれのシャツの裾と、白い――。
「騎士のお兄ちゃん、えっち」
少女の軽蔑した声によって、エルははっと気が付いた。飛びあがるようにばっと立ち上がる。少年が少女を抱き寄せ、彼から距離を取っていた。
「お兄ちゃんが守ってやるからな。近づいちゃダメだぞ」
「え、え、え、あの……」
視線が冷たい。いや、今のは、と弁解を口に乗せようとしても、突き刺さる純真な瞳が痛すぎて、意味のある言葉にならない。
いや、でも。
まさか――白だとは。
瞬間、脳内をかすめた本音を、頭を振って吹き飛ばす。
「なんだ。エルはカーネリアをそういう目で見てたのか」
「そッ、そういう目ってなんだよ! っていうか、今のはッ!」
「……ふむ。それは知らなかったな。私もずいぶんと警戒心が薄れたものだ」
「っていうか! カーネリアさん、いつも際どい恰好してるじゃないですか!」
「ほう。やはりそういう目で見ていたのだな。お前は、私がどんな格好をしていようと気にかけるような輩ではないと思っていたが。今後は認識を改めるとしよう」
「へっぽこで弱くてむっつりって。エルは本当に残念だなあ」
「いらん称号を増やすなあッ!!」
心の底から絶叫を絞り出して、エルは項垂れる。なんで俺は、こんな不幸な星の下に生まれてしまったんだろうか……。
現実逃避を始めた青年を愉快そうに眺め、カーネリアは口角をあげる。こいつと出会ってから、本当に退屈だけはしないな、と思いながら。
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