第6話・夜も更けて

 少年はオズ、妹はドロシーと名乗った。二人ともすっかり大きなモルモットに夢中になっている。抱き着けるサイズの、もふもふでもこもこだ。夢中になるのも仕方がないと言えた。


「ジークで遊ぶのはいったん中止だ。治療ができないだろう」


 言いながら二人の前にガラスのカップを置くと、手慣れた様子で同じくガラスのポッドから薄い桃色の液体を注ぐ。注いだそばから、ふうわりと優しくも華やかな香りが部屋中に広がる。ポッドの中では、色とりどりの花びらや砕いた木の実などが揺れていた。


「飲むといい。気持ちが落ち着く」


 言いながら、自分のカップにも注ぐと一口飲んで見せた。


「毒ではないぞ? 私特製の、ハーブティだ。ま、レシピは秘密だがな」


 おどけながら言い、ポッドとカップをテーブルに置く。おそるおそるカップを持ち上げ、兄妹は顔を見合わせた。その間から大きな顔を出したモルモットが、ふごふごと匂いを嗅ぐ。


「んおッ! なんだこのヤベーぐらい美味そうな匂いは!? カーネリア、おれさまには? おれさまにはないのかッ!?」

「ジークも飲むのか? 淹れてやるが……焦るな、火傷するぞ」


 皿に淹れたハーブティにものすごい勢いで舌をつけ、ものすごい勢いで「あっちぃぃぃぃぃいいいッ!!」と飛びあがって叫んだモルモットを見、カーネリアは頭に手を置いて分かりやすく嘆息する。が、下からくすくすと笑い声がもれてきて、彼女もつられるように笑みを浮かべた。


「ほら、ジーク。舌を出せ。まったく、焦るなと言っただろう」


 言いながら、モルモットの真っ赤になった舌に手をかざす。ふわりとあたたかな光がこぼれ、カーネリアが手を退けたときにはもう舌の火傷は治っていた。


「おおお、すっげー! おれさまもう味が分からなくなるかと思ってたのに!」

「とまあ、こんな感じで治せるが。まずは怪我をした経緯いきさつと、傷を診せてもらおう。ああ、ゆっくりと、茶を飲みながらでいいぞ」

「さすがおれさま! モルモットの鑑だな!」


 まるでデモンストレーションのように、魔法を見せられたのが嬉しかったらしい。ジークにはジークなりの誇りがあるのだ。少し冷めたハーブティを口にしたドロシーに頭を撫でられて、ご満悦なのである。


「……美味しい」


 ほっこりと微笑む妹を前に、オズはカップを持ち上げたまま動かなかった。カーネリアも特に急かすようなことはせず、ジークとドロシーを眺めている。


「えと……。あのっ、隣町に住むおばさんのところに、お使いを頼まれて、おれとドロシーで一緒に行ったんだ。おばさんの家は何度も行ったことがあるし、一度も魔物なんかに遭ったことがなかったんだけど」


 ぬるくなったハーブティを一口すすり、オズは両手でカップを包み込む。小さな両手が、かたかたと震えていた。


「おれたちはしゃいじゃって、いつもより遅くなったのがいけなかったんだ。お土産に林檎をもらって、お腹減ったから食べちゃおうかって、悪いこと考えちゃったから……。道端から突然、見たことのない、赤い犬が飛び出してきたんだ。それでおれ、ドロシーを慌てて突き飛ばしちゃって……怪我を」


 ぽつり、ぽつりと話し、責任感に下を向く兄を見やり、妹はふるふると首を振る。


「あの場所にいたら、わたし魔物に食べられてた。お兄ちゃんは悪くない」

「……赤? 黒ではなく?」

「え、そこ?」


 思わず突っ込んだジークだったが、誰も反応しないので大人しく黙っていることにした。


「真っ赤だった。林檎みたいな色だったから、間違いない」

「ふむ……。あの辺りで犬のような魔物というと、黒妖犬ブラックハウンドだと思うんだがな。しかし、赤というのは私も聞いたことがない」


 紅い唇に白い人差し指を添え、カーネリアは口を閉じた。深い紫色の瞳はどこを見ているのか分からず、宙をさまよっている。ときどき、ぶつぶつと独り言と共に、忙しく部屋の中を歩き回ったり、彼女の頭の中は赤い犬で占領されてしまったらしい。


「赤……赤、か。犬型の魔物で赤というのは……いや、しかしアレはもう滅びているな……。生き残っている可能性……やはり変異個体か? それならば原因は――」


 思わず好奇心を刺激される話を耳にして、カーネリアはうっすらと笑みを浮かべながら早口で呟いている。さすがに引き気味の子供たちを見て、ジークが彼女の足にまとわりついた。


「おい、カーネリア!」

「なんだジーク。いまとても忙しい」

「犬はあとでもいーだろ! いまはドロシーの怪我だろ」


 大きなモルモットの訴えに、カーネリアはきょとん、と首を傾げた。数秒のち、ぽんっと手を打つと、「そうだったな」とジークの頭を撫でてドロシーの横にしゃがみ込む。


「では、傷を診るぞ。なに、怖がることはない」


 とはいえ、膝丈のスカートだ。すでに傷口は見えている。固まった血にくっついたスカートをゆっくりと剥がしながら、カーネリアは「痛いか?」と聞いた。


「……ちょっとだけ」

「そうか。では、少し触るぞ。痛いところがあったら言ってくれ」


 頷いた少女を、兄が心配そうに見やる。カーネリアは、傷口にくっついたままの砂や土を静かに払いながら、膝の他にふくらはぎを触ったり足首を動かしたりしている。足首を軽く捻ったとき、ドロシーが顔を歪めて「痛ッ」と小さな声をあげたので、彼女は手を離した。


「なるほど。膝の擦り傷と、足首を少し痛めているな。なに、すぐ治る」


 言うが早いが、膝と足首に両手をかざす。ふわりとほんのりあたたかな光が花開くようにこぼれ、みるみるうちに傷が小さくなっていく。


「わあ……」

「……凄い」


 ぽつり、とオズの口から言葉がこぼれた。「ん?」とカーネリアは手を止めて、少年を見る。彼の言葉が、泣いているようにも聞こえたからかもしれない。


「……おれ、逃げるのに精いっぱいでドロシーを守ってやれなかった。おれにも、魔法が使えるようになるかな?」


 ぽろりと、小さな口から本音がこぼれた。両の手は膝の上で強く握られ、ぶるぶると震えている。


「そうだな。成人を迎えれば、誰でも魔力を扱う回路ができる。正確には、成人を迎える頃に身体の中で回路が完成するのだ。向き不向きはあるが、使えるようになるさ」

「本当?」


 オズの瞳が、期待に眩しく輝く。


「この私が言うのだ。お前たちの両親だって、使えるだろう?」


 兄妹が顔を見合わせ、妹が小さな声で答えた。


「……お料理のとき、お母さんが火を起こしてる」

「うむ、実に堅実な使い方だな。日常を便利にするための魔法、それがこの時代の魔法だ」

「おれは、大切なひとを守れる魔法が、いい」

「そうか。目標を持つのは大事だぞ。魔法は、世界に満ちる魔素と、魔素を魔力に変換する回路があれば必ず使えるものだ。目標があるのならば、回路が完成するまで使いたい魔法について学んでおくがいい」


 学ぶ、と聞いて、少年の顔にほんの少しの嫌悪の色が浮かぶ。まだまだ子供だな、とカーネリアは心の中で呟いた。学びがなければ、この世界などなにも楽しくないじゃあないか。

 ふふ、と短く笑い、彼女はオズを見据える。


「逃げる判断をする勇気があったのだ。焦らず構えているといい」

「逃げる判断?」

「ああ、そうだ。かなわない相手に向かっていっても、守るどころか無駄死にしか待っていない。そんなのは、バカのすることだ。だから、ときには逃げるのも重要なのさ。死んだらすべて終わりだろう?」

「……うん」


 小さな、だが意味はしっかり飲み込んだ声音を聞いて、カーネリアは大げさに手を広げた。


「さて、これ以上は両親もさすがに心配するだろう。ジーク、送ってやってくれ」

「え? まだ傷は……」


 不安げに妹の膝に視線を落とすオズだが、カーネリアは不敵に笑った。


「すべて治してしまえば、遅くなった言い訳がなくなるぞ? なに、痕が残るほどの傷じゃあない。もう血は止まっているし、一晩眠れば痛みもなくなる。さっき、薬を飲んだだろう」

「……薬?」


 見事にハモった兄と妹の声。カーネリアはふっと紅い唇を持ち上げると、ハーブティが入ったポットをとんとん、と指の腹で叩いた。


「気持ちが落ち着くと言ったが、他に、安眠と痛み止めの効果もある」


 今日はよく眠れるぞ、とカーネリアは妖艶に微笑む。

 二人と一匹を送り出し。

 カーネリアは塔に戻らず、結界の外へと向けて歩き出した。








 兄妹を家の前まで送り、家族をびっくりさせないために扉を開ける前でわかれたあと。

 ジークがとことこと塔の前に戻ってくると、反対側から歩いてくる人物がいた。たっぷりとした黒髪を揺らし、どことなく嬉しそうな様子でやってくるのは紛れもなくカーネリアだった。


「お、カーネリア。おれさま、任務完了であります!」


 気に入ったのか、また敬礼のようなポーズをとるジークに、カーネリアは「よくやった」とねぎらいの言葉をかけた。


「こちらも、首尾は上々だ。子供たちのお陰で、珍しいサンプルが手に入ったよ」

「さんぷる?」


 涼しそうな格好の一体どこに隠し持っていたのだろう。カーネリアは栓をした試験管を二本取り出し、細い指の間に挟むと中身をうっとりと眺める。なにやら赤いものが詰まっている試験管をふるふると攪拌かくはんするように細かく振ってやると、下に溜まっていた赤いものがバラバラに動き始めた。


「……なんか、キモッ」

「子供たちの言っていた、だ。動きや能力は黒妖犬ブラックハウンドと変わりないが、こんな色の個体は見たことがない。実にいいサンプルだ」


 カーネリアは楽しそうに語るが、ジークにはなにが楽しいのかまったく分からない。ので、もう一本の試験管に視線を変え、「こっちは?」と問う。


「ああ、これはマンドラゴラだ。犬の近くに生えていたのでな。なにか関係があるかもしれんと思って採取してきた。それに、道端に生えていては危ないだろう?」


 取ってつけたように言い、カーネリアは紫の双眸を細めて試験管を見た。ジークも倣って丸い瞳を細める。よくよく目を凝らせば、試験管の底で小さななにかが走っているようにも見えた。


「あまり、耳は近づけない方がいい。万が一にもないと思うが、マンドラゴラの悲鳴が聞こえてしまっては困るからな。私の作った捕獲用魔道具マジックアイテムとはいえ、人間用にしかカスタマイズしていない。次からは、配慮しよう」


 今日一番の笑顔を見せて、カーネリアは浮足立った様子で塔に入っていく。取り残されないように後ろについて歩きながら、「今日、寝ないな」と直感するジークだった。

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