36 絡新婦 日曜午前 自室 スパイダーレディ七変化

 日曜午前といえば、惰眠を貪ってゴロゴロしたい時間帯だ。

 休日の筈の土曜に三郎渕教授との面談に費やした以上、ガッツリと休息の時間にあてたい所なのだが、今日の所はそうも言っていられない。

 俺の使い魔となった、絡新婦の八重乃。

 彼女には、休日の内に色々と説明する必要があるからだ。


「旦那様、どちらへ?」

「八重乃に任せたい仕事に関わる場所だよ」


 出かける準備をしながら、俺は背後からの声に応える。

 声の元は、背負ったリュックの中から響いてきた。

 手のひら大の蜘蛛になった八重乃がそこに収まっているのだ。


 ちなみに、八重乃は幾つかの姿を自由に変えられるらしい。

 基本形は、人と蜘蛛の姿が混ざった、初めの形態だ。

 人によく似ているけれど、背中に生えた四本の蜘蛛の脚と腹部が、明らかな異形として目に映る。

 花魁の姿は、基本形のまま人に寄せた結果らしい。

 次に、完全に人そのものになった姿。

 朝食前に見た、キャリアウーマン風のビジネススーツの時は此方だ。

 見た目も人間と変わらないので、俺達が頼みたい物資の購入などはこの姿になってもらう必要がある。

 そして、蜘蛛の姿。

 この場合、身体の大きさを変えられるらしい。

 朝食前や今リュックに収まっているような手のひら大から、俺の部屋いっぱいに収まりそうな程の巨大化も出来る。

 こうなると、まさしく妖怪だ。

 だが、他にももう二つほど、形態があると八重乃は教えてくれた。


「争いの際に取るべき姿も御座います。お見苦しい姿なのと、此方では少々狭く、この場ではお見せ出来ませんが……」


 一つは、所謂戦闘形態という奴らしい。

 大まかに言えば、小屋ほどもある化け蜘蛛に女性の上半身が乗っているような、そんな姿だとか。

 確かに、さほど広くない俺の部屋で見せるのは無理だし、彼方此方監視カメラがある現代だと披露する機会は少ないだろう。


「そしてもう一つ。意図してお見せすることは叶いませんが……」


 そう前置きされて告げられたのは、芯核だけの姿。

 ただし、八重乃が言うように意図してなれる形態ではなく、衰弱した末の冬眠形態のような物らしい。

 妖気で身体を形作ることも出来ず、意志の宿った核だけの状態。

 こうなってしまうと完全に無防備で、敵対者が芯核を砕こうとしても防げない。

 そして芯核を砕かれれば、それが妖怪としての終わりになる。

 なるほど、出来ればなりたくない姿だ。


(『僕の世界の使い魔はそんなに色んな姿を持たないけれど、八重乃は多彩だね』)

(【クリーチャーもあんまりすがた変わらないよ?】)

([「コモン」の世界だからというより、妖怪だからじゃないか? 多分、妖怪でも個体差があると見るぜ?])

(「確かにあの古墳に居た妖怪達で、器用に姿を変えるような奴は居なかったな」)


 俺達が遭遇した妖怪は、あの夜見かけた獣じみた奴らと八重乃だけだ。

 だから、その違いがどういう意味を持つのか、正直わかり難い。

 その疑問に答えてくれたのは、他ならぬ八重乃だ。


「妖怪も、変化が得意なモノとそうで無いモノが居ますから。年月を重ねれば、苦手なモノでも人化程度ならこなせるようになりますけれど」


 彼女が言う通り、妖怪もただ一つの姿しか持たないモノが殆どらしい。

 また、器物に陰の気が宿って芯核となった付喪神系統の妖怪などは、年月を経たのが前提となる為か変化を得意とするモノが多いとか。

 他にも変化特化で有名といえば、狸や狐の系統だろう。

 無機物にすら化ける逸話──文福茶釜等が有名だ──まであると言うのは、卓越した変化能力の証なのだとか。

 そして、八重乃自身は比較的変化が得意な方だが、それでも蜘蛛の姿と人の姿をベースとしてそれとは別種の姿──例えば、背中に羽を生やす等──を取ることは難しいらしい。


「……もしかして、八重乃って妖怪としての格は高い方なのか?」

「ふふっ、どうでしょう? ……一度は敗れた身ですので、決してこの身が格が高いとは……」

「敗れた身?」

「……この身の恥に御座います。どうかご容赦を」


 どうやら身の上話を話してはくれる気には、まだなれないようだ。

 ただ、分かることがある。

 八重乃の芯核は、あの三つ首の人面犬に利用されていた。

 そしてあの三つ首の人面犬は、あの夜初めて出現したらしいことを、三郎渕教授が教えてくれている。

 つまり、あの三つ首を生み出した者が別にいて、事前に集めた芯核をあの場に仕込んでいた事になる。

 八重乃がその人物に敗れたかはともかく、芯核になる程衰弱して意識さえ失っていたのは確かだ。


([アレを仕込んだ奴がいるなら、また似たような事は起きるかもな])

(『別の場所で起きるならともかく、人か場所かを狙ったなら、「コモン」も無関係ではいられないよ?』)

(「……やっぱり、俺自身戦えるようにしておきたいな」)


 俺の世界に、ただ妖怪が湧くだけではなく、あんな災害じみた事件を望んで引き起こそうとする者がいる。

 そう考えると、俺自身対応できるようになっておく必要をひしひしと感じていた。

 ただまあ、そのための準備は、着々と進めている。

 今度『ファンタ』の番になったら、その辺りも進めて行こう。


 □


 そうこうしている内に準備を整えた俺は、八重乃を連れてとある場所に向かった。

 行き先は近所のトランクルームだ。

 ここには、うちの家が倉庫代わりに借りているコンテナがある。

 不用品や直ぐに使わない物を収納するのに使っているが、[サイパン]と繋がってしばらくした後、俺達はそれとは別にもう一つコンテナを借りていた。

 名義は、いつの間にか[サイパン]が作り上げていた架空の人物だ。

 [サイパン]にとっては、電子的な情報の改ざんは息を吸うように手軽な事で、更に技術的に遅れた俺の世界の場合、その程度は鼻歌交じりにできる事なのだとか。

 [サイパン]の姿になってネットワークに直結されると、他の俺達では思考スピードが違い過ぎて全く把握できないし、外付けの電子脳での思考がプログラム言語でのそれなので全くついていけない。

 だから、本当にいつの間にかこのコンテナは借りられていたという認識だ。

 そしてここには、俺達の資金源がある。


「旦那様、コレは……?」

「見ての通り、俺の資金源だ」


 コンテナの中に並んでいるのは、絶賛稼働中のPC筐体だ。

 それも、俺の世界のものではない。

 [サイパン]世界謹製の、俺の世界基準で言えば10世代は先のスペックを誇るモンスターマシンだ。

 馬鹿げたレベルの処理スピードと多重処理が可能なこれらの端末は、様々な資産運用を電子的に処理している。

 俺のほんの僅かな手持ち資金から、極僅かな期間で当面問題ないレベルにまで資金を増やした原動力だ。

 このため、このコンテナには電源や冷房なども増築してある。

 ただ、幾ら自動で稼働していると言っても、ある程度の管理は必要だ。

 これまでは俺が度々様子を見に来たり、筐体に異常があった時は[サイパン]に交代して対処して貰ったりしてきた。

 しかし、今後俺が御霊刀使いとして動くとなると、対応できる時間は限られるようになるだろう。

 そこで、八重乃の出番だ。


「八重乃には、まずこれの管理を頼みたい。行けるか?」

「管理、ですか?」


 八重乃が並んだ筐体を不思議そうに眺め、首をかしげる。

 週一度程度に筐体の様子や空調などを確認し、必要ならパーツの交換や対応をするだけの事。

 コンテナ内には予備のパーツも用意してあるし、手に負え無さそうな案件なら俺を呼び出せばいい。

 一応、そう難しい話ではないはずだ。

 ただ、俺は『ファンタ』の術で与えられる知識や繋がりというのを、過信していたらしい。


「この箱は何をするものなのでしょう?」

「………えっ」


 心底不思議そうに言う八重乃に、俺は絶句したのだった。


 □


「……ちょっと、想定外だったな」

「申し訳ありません、旦那様。この身が至らず……」

「いや、それは良いんだ。仕方ない」


 申し訳なさそうに小さくなる──恥じ入っているのか、蜘蛛の姿の上に最大限縮こまっている──八重乃に、俺は手を振って大事無いと告げる。

 実際、コレは彼女の責任じゃない。

 八重乃の知識は、二世代前程度で止まっていたのだ。

 所謂、俺の祖父の世代──所謂高度成長期やバブルと呼ばれる時代──で、彼女の知識は止まっていた。

 その頃に、彼女の言う敗北を喫して、それ以後長らく意識を失っていたようだ。

 だから、コンテナの中に並んだ筐体をPCとも認識できなかったらしい。


「ぱそこん? ……それにしては付属のてれびが見当たりません」


 なんて言い出したのだから、その手の知識はほぼ期待できないと考えていいだろう。

 いやまあ、地頭は良いようなので、慣れたら対応できる気配はあった。

 ただ、『ファンタ』の術による知識の付与というのが、決して万能ではないと判ったのは、ある意味幸いだ。

 もっと切羽詰まった時に明らかになるよりは、ずっとマシだろう。

 となると、今日やるべきは仕事の説明よりも、八重乃の知識のすり合わせが先になる。


「八重乃が棲み処にしていたのは、何処なんだ?」

「それは……」


 まず手始めに彼女の元々の棲み処を聞くと、これも言い淀んだ。

 余程過去を知られたくないのだろうか?


「……いえ、何れ旦那様はご自分でお知りになられるでしょう。なら、今ここでお伝えしても変わりませんね」


 しかし、僅かな逡巡の後に、彼女は身の上を語り始めた。


「この身が棲み処としていたのは、水越しの古川に御座います」

「水越しの古川……ああ、隣の市のあそこか」


 彼女の言う水越しの古川というのは、隣の市を流れていた川だ。

 流れが速く、大雨が降ると堤防が良く決壊したことから、その名前がついていた。

 しかし、江戸時代だかの治水工事で上流から流れの緩やかな新川へと大体の流路を変えられて、すっかり水量が落ちてしまったらしい。

 確か小学生の頃地域の歴史を調べる授業があって、そこで知ったのだったか。

 それで、高度成長期に宅地需要が高まって、地下水系化工事があり、今では完全に姿を消したという……。

 そう俺が告げると、


「そう、ですか。結局あの女も棲み処を失ったのですね」


 八重乃は寂しげに笑った。


「あの女?」

「ええ、私と棲み処を争った女妖が居たのです。他の言い伝えとは違い、この身と争ったのは、蛇女でありましたが」


 そう前置きして彼女が語ったのは、他の絡新婦の逸話と似た話だった。

 

 水量を大きく減らした水越しの古川は、流れが淀んで彼女のような妖怪が棲み処とするのに格好の場所だったらしい。

 同じように思う妖怪は他にも居て、流れの淀みそれぞれに主のように、棲み処を構えていたのだとか。

 それぞれの主は、淀み同士が相応に離れているのもあって不干渉だったが、八重乃が棲み処とした淀みの程近くにもう一つの澱みが有り、その主が問題だったようだ。


「何しろ蛇の妖怪です。嫉妬深く執念深く、何度追い返してもこの身の棲み処を奪おうとするので、閉口させられました」


 それでも、妖怪としての格は八重乃が上回り、挑まれては追い返していたらしい。

 八重乃も妖怪である以上、容赦はしなかったそうだが、蛇という生命力の高い動物の妖怪であるせいか、何度滅ぼしても、最終的に芯核を砕いても復活したのだとか。

 そんな有様で時代が過ぎる中、ある時相手の蛇の妖怪が助っ人を連れて来たらしい。

 人間の術者であったその助っ人は、蛇の妖怪と共に八重乃を打倒すと、彼女を芯核にまで戻してしまったのだとか。

 そして、八重乃の意識は、俺の部屋まで途切れていた、そういう事らしい。


 他の地方の逸話では、ウナギの妖怪が似たような形で助力を願ったが、頼んだ相手が怖気づいて争いから逃げた為に、絡新婦側が勝利したと伝わっている。

 八重乃は、その逆な訳だ。

 ただ、そうなると、少し気になる話がある。


「八重乃、具体的な棲み処は古川のどのあたりだった? もしかして、このあたりか?」


 俺はスマホを取り出し、マップアプリで隣の市のとある場所を見せる。

 航空写真モードで示されたそこは、住宅地の中にポツンと残された池。

 地下水路工事中何度も事故が起き、祟りだと騒がれて池として残された場所。

 「水越しの名残池」と呼ばれる淀みだった。

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俺ーLINKS! ~脳内会議のメンバー達が、並行世界の俺自身だった件~ <2章開始> Mr.ティン @mahirushinya

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