35 絡新婦 日曜朝 自室 目覚めた彼女

「旦那様、この身は八重乃と申します」


 翌朝目覚めると、目の前で絶世の美女が三つ指ついて挨拶をしてきた。

 俺の顔を窺うようにそっと見上げてくる顔は、その僅かに見える範囲でもとんでもなく整っているのがわかる。 

 綺麗に結い上げられた髪に何本か刺さった簪に、黒真珠を思わせる珠がいくつも輝いていた。

 身に纏っているのは、所謂遊郭の太夫を思わせる、豪奢な着物だ。


「ああ、えっと……おはよう? よく眠れた?」

「はい、お陰様で」


 寝起きで頭が回っていないせいで、俺は間抜けな返しをしてしまった。

 ただ、驚いて大声を張り上げなかっただけマシと思う事にしよう。

 『ファンタ』が万が一に備えて防音や偽装の魔術を昨夜のうちに仕込んでいたけれど、俺の世界では魔術の持続性が低い。

 うっかり声を張り上げて、母さんや妹に部屋に入られるのは、どう考えてもいい状況にならないだろう。

 何しろ、息子が見ず知らずの女性を部屋に招いているのだから。


「ところで、旦那様って俺の事でいいんだよな?」

「もちろんで御座います。この身を創られたのは貴方様方。目覚めたばかりのこの身でありますが、その事を解らぬはずもございませぬ」


 もちろん、俺は京都の芸子さんを自室に連れ込んだわけじゃない。

 彼女は、昨夜『ファンタ』が生み出した使い魔……妖怪の基となる芯核を中心に生み出された存在だ。

 核に使ったものが悪かったのか、『ファンタ』の想定を外れて形作られた彼女は、所謂妖怪の絡新婦──蜘蛛の女妖の姿を得ていた。

 ただ、生み出された当初の彼女に意識はなく、勿論放置も出来ないので、昨夜のうちに自室に連れ帰り、とりあえず俺のベッドに寝かせて置いたのだ。

 ベッドを譲った俺は、毛布一枚に包まって床で寝て、とりあえず一夜を明かすことにした。

 もちろん、零時になれば『ファンタ』達の番に代わるが、【ポスアポ】[サイパン]も含めて、取り立てて語る事の無い平凡な日が続いたのは有難かった。

 おかげで、空いた時間に俺達同士でいろいろ話し合えたからな。

 そうやって俺の番がまたやってきて、とりあえず寝て起きたら三つ指を突いた彼女──八重乃を名乗る絡新婦が居た訳だ。


(「なんか、理解力高すぎないか? それに名付けるまでも無く名前持ちって、どういう事なんだ?」)

(『多分、元にした芯核に元々意思が在ったんだと思う。詳しい理屈は判らないけれど……』)


 『ファンタ』が自分の世界で造る使い魔は、カタチを持たないモノの意志がある妖精を使い魔の素体に宿すことで意志を持つ。

 その際、個体として自我を持つ妖精なら、名前を持って生まれる事もあるらしい。

 妖怪の基になる芯核を起点として妖力で練られた素体から生まれた彼女も、その芯核に意志があったのなら似たような事が起きても不思議ではない。

 『ファンタ』の意志はそう俺達に伝えてくる。


 まあ、名づけとか面倒だし、ある程度知性があると言うのは有難い。

 流石にこの明らかに成年女性に見える絡新婦へ一般常識を含めた諸々を教え込まずに済むのだから。

 ……いや、そう判断するのは早計か?

 会話が出来ても話が通じないなんて事例は、世の中幾らでも転がっているのだから。


「とりあえず……八重乃? 楽にしてくれないか? そんなに畏まられるのには慣れていないんだ」

「……旦那様が、そうお望みなら」


 そう言うと、彼女はようやくしっかりと顔を上げてくれた。

 未だ毛布にくるまって、上半身だけ起こした俺と、その真横で三つ指を突いていた八重乃。

 彼女の吐息が甘く届くほどの距離で彼女は俺に微笑んだ。

 昨夜意識の無い時からわかっていたけれど、はっきり言って、とんでもない美女だ。

 怖気がする、という表現が的確に思える凄みのある美貌。そのくせ、俺に送ってくる視線が妙に艶めかしい。

 昨夜はすっぴんだったはずの顔にはいつの間にかしっかり化粧までされている。

 衣装も相まって花魁めいた彼女にそんな風に見られると、背筋に何かヤバイ痺れのような物が走る感覚さえあった。

 それにしても、昨夜は全裸だったのに、どこからそんな衣装を持ってきたのだろうか?

 蜘蛛の妖怪は糸を操るのが定番とはいえ、もしかすると妖力等でその糸を服として自在に編み上げるような真似ができるのかもしれない。

 そんな思考を横において、俺は告げた。


「……まず、自己紹介をしよう。俺は桜井夕。見ての通り高校生だ」

「はい、旦那様。存じておりますよ」

「さっき、貴方様方といったな? 俺達を認識している、そう考えていいのか?」

「もちろんの事。四様の旦那様とこの身は、今も繋がっておりますので」


 八重乃の言う、繋がっていると言うのは、『ファンタ』が操る使い魔の術の特性の一つだ。

 使い魔に意志のある妖精を宿す際、術者の思考や知識の共有がされるらしい。

 その為、余程相性が悪くない限り、術者と使い魔との意思疎通はスムーズなのだとか。


(「その割に、俺は八重乃の事何にもわからないのだが?」)

(『えっ? そんな筈は……あっ来た来た』)

(【ふぇっ!? 何コレ!?】)

([直結してデータ流し込まれてるのと似てるなぁコイツは!])


 その時、俺の目覚めを待っていたかのように、八重乃についての知識が俺の中に流れ込んできた。

 どうやら、実際に八重乃を使い魔として生み出した『ファンタ』だけではなく、俺達にも知識共有が為されるらしい。

 魔術というのは、本当に出鱈目だなと思いながら、俺はその情報を咀嚼する。


「……繋がるって言うのは、こういう事か」


 その情報には、八重乃を名乗る彼女の由来が事細かに記録されていた。


 彼女八重乃は、古い古い蜘蛛の化生であったらしい。

 棲み処は、とある谷合の淵。

 余談ながら、絡新婦という妖怪は、古くから水に深い縁がある。

 水面めいた巣や、朝露に濡れる糸から、過去の人々は蜘蛛を水と縁深いものと考えたのかもしれない。

 幾つか現代に残る言い伝えには、淵の主として絡新婦の存在が語られるものが幾つかあるのだ。

 同時に、糸を手繰り寄せ獲物を深い水底へ引き込むと言った話も伝わっている。

 その中には、他の水妖と淵の覇権を争うと言うモノもある。

 ある武士がウナギの妖怪に助力を請われるが、その理由が棲み処を絡新婦と争って居て単身では勝てないとしたせいだったと言う話がある。

 その武士は怖気づいて争いの場に赴かず、結果ウナギの妖怪は敗北しその武士も狂死したと言うのだから、中々に救いの無い逸話だ。


 この八重乃はそういう話は無い。

 ただ、人里離れた地の淵で、静かに主をしていただけだ。

 極稀に山の民──恐らく、神谷さんや三郎渕教授のような御霊刀使い──と関わることがあったらしいけれど、棲み処の立地と彼女の気性から、大きな問題とはならなかったようだ。

 ただ、それもある時終わりを告げた。

 ある時やってきた邪法を使う集団が、彼女の身体を滅ぼしたのだ。

 彼女の記憶はそこで途切れる。

 次に意識を取り戻したのが、俺達が目覚める小一時間前だったとか。


(『もしかすると、あの三つ首の人面犬が生み出していた妖怪って、他の場所で自然発生した妖怪の芯核を取り込んだ上でそれを複製していたのかも』)


 『ファンタ』の感想は、あながち間違いではない気がする。

 あの三つ首は大量に芯核持ちの妖怪を生み出していたけれど、全くランダムに生み出すにしては妖怪の姿に偏りがあった気がした。

 そしてもう一つ。


([この女が複製されなかったのは、相性の問題か。あの三頭犬野郎がばらまいていたのは、獣系が殆どで、蟲系じゃなかったからな])

(「形も影響していそう。矢か鏃かみたいな形だと思っていたけれど、今思いかえすと簪っぽい気もしてきたし」)

(【ほんとだー】)


 相性で配下としては使えず、撃ちだすのに都合の良い形なら、三つ首がやった様に砲撃の弾として使うのはある意味合理的だろう。

 もっとも、俺達にとって芯核の形は心底どうでもいい要素だ。

 今俺達にとって重要なのは、彼女が何が出来て、俺達は彼女をどうするべきかという事だ。

 幸い、俺達に流れ込んだ知識で、彼女に任せたい仕事は能力的に可能な範疇だと思う。

 問題は、それを受けてくれるかどうかだが……


「旦那様……?」

「ああ、ゴメン。ようやく八重乃の情報が流れて来たから驚いたんだ。で、少し確認させてくれ」


 八重乃の情報を飲み込むのに手間取ったせいか、彼女が困惑したように俺を見ていた。

 見た目や多くの伝承に残る絡新婦の物に比べ、彼女の気性は穏やかなようだ。

 それに、気遣いも出来る性質でもあるらしい。

 こうやってお互いの性質を理解できる使い魔の魔術も相まって、俺達が頼みたい仕事をこなしてくれるであろう期待は高まっていく。

 ただ、知識だけではわからないこともある。


「八重乃、今の姿以外に、どんな姿を取れる?」


 俺達のに流れ込んできた知識によると、今の彼女の姿は『ファンタ』が身体を作り上げた時と大して変わっていない。

 何となく想像していた通り、豪奢な衣装は、蜘蛛の妖怪の特性である糸を変化させたもののようだし、特徴的な蜘蛛の腹部と背中から生えていた脚は、花魁衣装の帯の結びに見せかけているらしい。

 確かに人に化けると言う点では十分すぎる程に成功しているけれど、人に化ける際この姿にしかなれないなら、頼める仕事は限られる。

 そんな俺達の意図を彼女も察したのだろう。


「ああ、でしたら……」


 すっと立ち上がると、彼女の背後から白いものが広がっていく。

 それが糸だと気付く間もなく、それは彼女の全身を包み一抱えもある繭のようになると、次の瞬間それは弾けるように消えた。


「旦那様のご要望は、この様な姿でしょうか?」


 まさしく一瞬の早着替え。八重乃はその姿を大きく変えていた。

 キッチリとしたビジネススーツを着て、社長秘書かベンチャー企業の若き女社長といった様は、キリッと擬音が聞こえそうな程。

 もちろん、その姿は俺達が頼もうとしている仕事にぴったりと合致している。


([おお、良いんじゃねえか? 俺達の代わりに資産の運用や仕入れを頼むなら、コレでいけるだろ?])


 そう、俺が今後御霊刀使いとして動くとなると、他の皆の為の物資の仕入れがしにくくなる。

 それを代わりにやってもらうなら、この姿で十分な筈だ。

 むしろ、今の俺の代役以上の事を頼めるかもしれない。


「良いね。その姿なら、色々とやってもらいたいことができる」


 そう俺達が満足した、その時だ。


「おにいちゃん。まだ寝てるの? 朝ごはん出来てるよう?」


 ノックの音とともに、妹が呼びかけてくる。

 おっと、日曜の朝だと言うのを忘れていた。

 『ファンタ』の防音の魔術は一応効いているようで俺達の声は外に漏れていないらしく、ドアに鍵をかけてあるものの、このままだと拙い。

 扉を開けようものなら、八重乃の姿を見られてしまう。


「八重乃、小さい姿になれるか!?」

「えっ? あっはい。このような姿でよろしいですか?」


 慌てて命じると、先ほどの様に一瞬繭に包まれた後、今度は掌に乗るようなジョロウグモそのものの姿に変わる。

 よし、この姿なら何とかなる。


「すまない、ベッドの下とかにその姿で隠れていてくれ」

「わ、分かりました」

(「『ファンタ』、偽装の魔術解除だ!」)

(『わかった!』)


 俺の言葉に従って、八重乃は慌ててベッドの下に潜り込む。

 ソレを見届け、ファンタの魔術を解除すると、俺は如何にも眠たげにドアを開けた。


「まだ眠いんだが……」

「……何で床で寝てた風なの!?」

「寝ぼけてた」

「えぇ……」


 呆れたような旭の声。

 こんな調子で、俺は日曜の朝を過ごすのだった。

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