29 夜半 神谷家本家 屋敷の離れ 「伝奇」世界の戸惑う媛巫女

 私、──神谷奏恵にとって、桜井君はとても奇妙な存在に見えていました。


 グラウンドでスポーツに熱中していそうな背格好なのに、自分から進んで図書委員になるヒト。

 成績は不思議な程平均的なのに、何時も本を楽しそうに選んでいるヒト。

 自分を表に出すのを苦手としている私に対しても、他のクラスメイトにも、飄々とした姿を崩さない彼。

 男子らしく、食欲旺盛な彼。


 でも、それだけ。


 少し背が高い以外全てが普通。

 他のクラスメイトに混ざって過ごしていると、自然と埋没していくような。

 図書室でも、その場の空気に溶けていくような。

 そんな彼。


 だけど私の目には、何かほんの少しボタンをかけ間違えたら、常識的な枠組みから飛び出してしまいそうなヒトが、努めて普通であろうとしている様に見えていたのでした。


 それは、媛巫女として目に見えないモノと相対する訓練を積んだことで得られた、予感のような物だったのかもしれません。

 それが明らかになったのは、昨夜の事。

 彼が、お役目の家系以外には珍しい、御霊刀使いの素質があると判ったのです。



 御霊刀使いというのは、非常に特異な存在です。

 妖怪達の存在の源である芯核を、特殊な技法で金属と融合させて刀とする御霊刀は、使い手を自ら選びます。

 そして選ばれるのは、古くからお役目を担ってきた血筋の家系に限られていました。


 後に三郎渕のおじ様から聞いた話ですが、桜井君の家系にも山の民の血が混ざっていた名残があるとのこと。

 そういう事情なら、私の感じていた奇妙さも理解が出来る、そう思っていました。

 ですが、話はそう単純なものでは無さそうなのです。

 桜井君──彼は私の理解を、本当に超えていくヒトだったのですから。


 □


「……さて、始めましょう。あの時、何があったのか……」


 妖怪の大量発生から一夜明け、週の終わりの学業と桜井君への三郎渕おじ様からの面談の要望を伝えた後、私は普段住まう市街の住居から、山深い実家の屋敷に戻っていました。

 今でこそ道路が通じて往来しやすくなっていますけれど、お爺様の代までは険しい山を越えなければ人里に出る事も難しかったと聞いています。

 そんな地に神谷の家が居を構えたのは、密かに受け継がなければいけない尊い血を世から隠すため。

 大元はやんごとなきお方の正当なる血を、山間の隠れ里で守り通していた……そんな伝承が残っています。

 真偽は、私ではわかりません。

 少なくとも神谷の家は、そのようにして守られてきたと言う文献が残されていました。

 他にも色々な資料……そう、私の通う学校、その図書資料室にも、過去に寄贈された郷土資料が残されていて、それについての記述がありましたから、多分伝承の通りなのでしょう。

 同時にその血脈は、世に度々現れる妖怪を封じるお役目を担っていました。

 そして妖怪の芯核から、妖怪退治のための物品を作り上げる事も。


 私、神谷奏恵は、そんな古い血を引く巫女です。


 その山間の地は、霊脈が交わる高度な霊地でした。

 媛巫女として行うさまざまな儀式には、霊脈から力を引き出さなければ成し得ないものも多いのです。

 人里離れた山中にそんな理想の地があった事で、神谷の家は長く長くお勤めを果たすことが出来たのでした。


 そしてそのような儀式の中には、私が今夜行おうとしているものも含まれています。



 御霊降ろしの儀。


 御霊刀とは、その名の通り御霊を宿す刀。

 妖怪の芯核は、元をたどれば人の情念が結晶化した物。

 それを材料として打ち鍛えられたが為に、全ての御霊刀には、力ある霊が宿っています。

 その霊の格がそのまま御霊刀の力となり、しいては御霊刀使いの実力に直結するのです。


 そして、私は媛巫女。

 神谷──カミの御座す谷間にて、祭祀を司る家の巫女。

 御霊刀に宿る御霊との交信を担う者。

 御霊を呼び起こすことで、普段できない言葉を交わすことも出来るようになります。

 それはつまり、彼女──私の御霊刀に宿る御霊から、私が気を失っている間もつぶさに何が起こっていたのかを聞き出せると言う事。


 そもそも、あの夜は奇妙なことが多すぎました。

 今にして思えば、御霊刀が本格的に反応したのは、あのバス停で彼を危うく突き刺しそうになった時からです。

 そこから、微かな振動が続いて……逆に言えば、もし彼が御霊刀を用いて狗胴魔を倒していたのなら、振動はもっと以前から発生していなければおかしい筈です。

 つまり彼はあのバス停まで、御霊刀に触れていなかった。

 ですがそれでは、彼はいかにしてあの狗胴魔を斃したと言うのでしょう?


 その疑問を晴らすためにも、私は御霊を呼び出そうと心に決めたのです。

 でも同時にそれは重大な秘密をはらんでいる予感がありました。

 だからこそ、三郎渕のおじ様にも秘密で、文化財第零課の支部にある祭壇ではなく、実家のものを使おうと思い立ったのです。

 

 □


 ですが、あの夜起こった事は、私の想像をはるかに超えていました。


「……待って、どういう事?」

「どういう事も何も、三つ首との戦に現れた子供が、姫様のご学友が変化した姿なのですじゃ」


 古めかしい祭壇で、淡い光を放つ御霊刀。その淡い光に照らされるように、うっすらとした人影が私の前に姿を現していました。

 私の愛刀「立葵」に宿る御霊「葵童子」は、見た目は中学生になるかという様な少女で、今の私と同じような、巫女の姿をしています。

 でも、今彼女の姿を気にしている余裕はありません。

 彼女から、およそ想像していた物とは違った話が飛び出して来たのですから。


「桜井君が、そんな力を……でも、そんな術の気配なんて、彼から感じた事なんて無かったわ」

「ですが、事実なのじゃ。まず変じたのは、六尺を超えそうな偉丈夫。次はこの身よりも幼い姿に、そして最後はこの身程の姿に。アレは一体何なのか、この身にも見当つきませぬ。長く御霊を務めていますが、あのような変化は見たことがありませぬ。あのご学友、一体何者なのじゃ?」


 葵童子は、その年若い姿に反して、古風な話し方をします。

 なにしろ彼女は、数百年前から「立葵」に宿り、神谷の家の守護刀として媛巫女の傍にありました。

 その経験は豊富で、京都の陰陽師や修験道の神通力、それに外国の術なども見聞きしている程。

 ですがその彼女をして、見たことが無いと言う変化を桜井君が使ったと言うのです。

 陰陽の気が揺らぎもしなかったと言うのですから、妖怪に絡んだ変化でも在り得ません。


「ごく普通の、同級生としか……私も、彼の事は学校での姿しか知りませんから」

「ふうむ、世には爪を隠しながら生きる者も少なくないのじゃ。ご学友もその一人なのかもしれませぬ」


 妖怪という人の世の裏の在り様に触れて来た葵童子には、妖怪や私達のような影の者以外にも世に不思議があると言うのを見て来たのでしょう。

 珍しい物を見たといった様子で、桜井君の異能も何となしに納得しているようでした。

 そんな葵童子は、あの公園で私が倒れた後、何があったのか教えてくれました。

 異能に詳しい彼女にもわからない、何かを為したらしい奇妙な風体の青年。

 狗胴魔を引き裂いた幼い少年。

 私を癒し、同時に偽りの夢を見せた年若い狩衣の少年。

 その中で幼い少年と狩衣の少年は、三つ首の狗胴魔との戦いの場に現れたのと恐らく同一人物であろうことも。


「陰陽師らしいこの身程の年恰好の方は、装束もさほど変わっておりませなんだ。故に、流石に気付こうと言うモノですじゃ。もっとも、幼い幼年と共にいた女……あれはヒトでも式神でもない、奇妙なモノでありましたのじゃ」


 そんな葵童子の言葉を聞く私でしたが、すぐに私の理解できる範疇を超えて行きました。

彼女の言葉が、意識の表面だけなぞっていくような、そんな感覚。

 彼女の言葉は聞こえているのに、語られる内容を飲み込み切れない感覚。

 幾ら桜井君が御霊刀に認められたとしても、あの三つ首の狗胴魔は、大妖──時に災害にも例えられる災厄そのもので、


 たしかに、あの三つ首の狗胴魔との最後、三郎渕のおじ様とは別の誰かが、あの無銘の妖刀を振るっていました。

 ですが、あの場に居た謎の人物は桜井君とは背格好もまるで別人。

 私は今の今まであの創作の住人のような子供と陰陽師の少年を桜井君と重ねることなど、想像もつかなかったのです。

 だけどあの対妖結界の中に、桜井君は確かにいました。

 そして、あの時点で桜井君が御霊刀に認められていた事も、私は知っていたのです。

 だというのに、あの不思議な人物と桜井君が繋がらなかった。

 今にして思えば、背格好の違い以外、何処か似たような空気を纏っていたと言うのに。


 そして今三郎渕のおじ様が管理している、あの無銘の妖刀。

 アレを一度振るえば、今の所持者である三郎渕のおじ様でも酷く衰弱して、倒れてしまうほどなのです。

 あの夜のおじ様も、山さえ切り裂きそうな一閃を放つと、酷く衰弱されていました。

 だというのに、その後謎の人影は、二度あの妖刀を振るったことが判っています。

 それを為したのが桜井君だと言うのなら、昼間話した際にもっと具合が悪かったはずです。

 ですが、桜井君は体調を崩した様子も無く、元気そうでした。

 その事実が、私の混乱に拍車をかけます。


「思い起こせば、あの狩衣の姿の際に、姫様になんらかの術らしきものをかけていたのじゃ。姫様の傷が癒されたのもこの身の癒しの法ではなく、ご学友の術に寄るものでしょう」


 更に告げられるのは、中学生くらいの姿の時に行ったと言う、術。

 そこでふと、私は目覚めるまで、あの狗胴魔を相打ちで倒していた、そんな思い込みをしていたことを思い出します。

 桜井君の姿に気を取られて不覚を取った記憶が鮮烈だったので、直ぐに思い直すことができていましたけれど、もしかするとその思い込みは、狩衣姿の彼の術に寄るものだったのかもしれません。


 □


「して、姫様。ご学友の件、三郎渕めには如何にお伝えなさるおつもりなのじゃ?」

「今は、何も。桜井君からは悪意も敵意も感じなかったのでしょう? なら、彼から話してくれるまで、動くつもりはありません」

「……それは助けられた故なのじゃ?」

「……負い目もあります。私は、彼に助けられながら、彼を刺してしまうところだったのですから」


 私は、命の恩人である桜井君を危うく傷つける所でした。

 バス停のベンチに座る彼があまりにも現実感がなくて、妖怪の化けた姿かもしれないと思って、あの時御霊刀を突きつけたあの時。

 御霊刀は霊刃を出していなければ刃が無いとはいえ、先端は鋭角で気の鎧を纏って居るなら無理矢理人を貫くことも出来ます。

 だから、桜井君が気を失って倒れ込む時は本当に危なかったのです。

 あの時は咄嗟に立葵を引くことが出来たから良かったものの、それでも喉元に強く切っ先を押し付ける形になっていました。

 それが桜井君の御霊刀使いとしての素質を見出す結果になりましたけれど、事実は事実。

 なら、せめて彼が隠そうとしている力を私も秘密にする、それくらいはしなければと思うのです。


 そして、今までも桜井君のことが、何となく気になっていましたけれど、今後はより一層、彼の事を気に掛けようと。

 そんな決意をする私を、葵童子が何故か生暖かい目で見てきましたが、今は気にして居られません。

 三郎渕のおじ様と桜井君の面談がどんな結果になっても、私は彼の秘密を守ろうと、そう誓ったのでした。


────────


現在過去作の作業中により更新が間延びしております。

3月には2章開始予定です。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る