04 プロローグ 夜 「コモン」世界の壊れる日常
夕食を食べ、宿題を終えて。
俺は今、夜の空を駆けていた。
(『っと、まだまだ安定しないなあ』)
(「慎重に飛んでくれよ? あと明かりの少ない方向で頼む」)
正確には、俺と交代した『ファンタ』が、だ。
『ファンタ』は、俺の世界のラノベや色々な創作物を参考に色々な魔術を開発しているが、こういった飛行の魔術もその一つ。
今日試しているのは、重力軽減と送風の魔術の応用らしいけれど、詳しい事は判らない。
ただ視点の高さと、周囲を駆け抜ける風の心地よさは十分に伝わってくる。
この辺りは大都市圏の外れで、夜もかなり早い。
夜の空を照らす明かりも、大都市圏中央程も無く、夜空を見上げるにも星明りは適度に街の明かりで霞んで見えない、そんな場所だ。
そのせいで空を飛ぶ怪人物が居ても、まあ左程目立たないという目算があった。
『ファンタ』も素のままで飛ぶのではなく、認識をされなくなる魔術も使っているから、よっぽど注意して夜空を見上げる奇人以外は気付くことも無いだろう。
それをいいことに、『ファンタ』は俺の世界でこうして、飛行魔術や目立たない魔術の練習をすることがある。
自分の世界でやれとも思うが、『ファンタ』が通う帝立の魔術学校は、全寮制であまり自由が無い。
特に夜の外出は厳しく制限されていて、飛行魔術の練習などなかなかできるものではないのだ。
同時に、【ポスアポ】の世界や[サイパン]の世界で練習するには、どちらも余りに環境が厳しすぎる。
結果平和な俺の世界で、練習するしかない。
まあ、夜空を飛ぶと言う貴重な体験ができるのは、正直役得ではある。
あとは……夜中にひっそりと、あまり俺を知らない場所へ買い物に出られるというメリットもあった。
もっとも、今夜に関してはそうじゃない。
旭が実習用に必要な工具をぶっ壊してくれたので、慌てて買いに走っているのだ。
工具となると、コンビニのラインナップだと少々物足りないし、田舎交じりのこの近辺で夜に工具を買うとなると、少し足を延ばすことになる。
つまりは、飛行魔術で飛んでいるのは、ついでなのだ。
そんな夜の散歩と買い物も、行って帰るだけなら直ぐに終わる。
何より、”俺”達には、あまり時間を掛けられない理由があった。
(「もう充分だろ? 早く帰ろうぜ?」)
(『もう少し感覚をつかみたかったんだけどなあ』)
([飛行中に0時なったらどうするんだ、コイツ])
(『それもそうか』)
俺達にとって、深夜0時は節目だ。
基本的にそのタイミングは、極力安全な所に居たい。
そう思って帰路を急いでいると、奇妙な感覚があった。
(『……? 何だろう?』)
(【うん、変だ】)
(「どうした、二人とも」)
同時に、”交代”して表に出ている『ファンタ』と【ポスアポ】が、顔を顰めた感覚がある。
(『空間の相がズレた、様な気がする』)
(【殺気。こっちに向けられていないけど】)
([おいおい、そりゃ何だかヤバくないか?])
”俺”達の中で、感覚が鋭い二人の言葉は重要だ。
俺では分からない変化というモノがあるのだろう。
(『一種の結界かな? 閉じ込められてる』)
([……マジか?])
(『ほら、ここ。この先にこれ以上進めない』)
(「ええ……? 俺の世界でそんなのあり得る?」)
飛行魔術で快調に飛んでいた『ファンタ』が、いつの間にか空中で静止していた。
引き戻すような力というべきだろうか?
背中から噴き出る風の力に押されていた『ファンタ』の小柄な体が、ここから先に行こうとすると無理やりに戻されるような感覚があった。
しかし、どういう事だ?
俺の世界に、こんな現象を起こすようなことがあるなんて、信じられないぞ?
(【力の向きは、殺気を感じた方向】)
(『うん、この相がズレた空間の中心方向だね?』)
(【そう】)
異常事態に慣れている二人が意識を向ける方向には、公園がある。
そこに、何かあるのだろうか?
([どうする? ここはお前の世界だ。この妙な状況も、時間が過ぎれば解消されるかもしれねえ。つまり、このまま何もせずやり過ごすって手もあるぜ?])
[サイパン]の言う事ももっともだ。
ただ、俺はこんな奇妙な現象が、何の不思議もない俺の世界で起きているって事実に、好奇心が抑えきれそうにない。
殺気というのは気になるが……、
(【「コモン」、大丈夫。何があっても、何とかして見せる】)
普段と変わらない【ポスアポ】の声が、好奇心を後押しする。
実際、普段から変異クリーチャーを狩りまくっている【ポスアポ】と交代したなら、大概の事には対処できるだろう。
それに、[サイパン]も含めた全員から伝わってくるのだ。
俺と同じように、抑えきれない好奇心が。
(「何が起きてるか、確かめに行こう」)
(『そうこなくっちゃ。となると、一旦降りた方が良いかな』)
(【それで良い。空中で交代されても、困る】)
([なら、「コモン」に交代だな])
こうして、俺は異変の中心らしい場所へと向かったのだ。
□
公園で繰り広げられている光景は、目を疑うものだった。
四つ足の獣の群れに囲まれながら、激しく戦う人影。
同じ四つ足の狼のように、群れは統制が取れた連携で、人影に襲い掛かる。
「ハッ! やっ!」
迎え撃つ人影は、死角から来る獣も含めて的確に手にした刀で切り捨てていく。
その度に獣は黒い靄だけ残して消えていく。
まるで、アクションゲームを再現しているような光景だ。
直ぐ近くで起きている事なのに、まるで現実感が無い。
まだ距離がある分、獣と人影のどちらも俺に気付いた様子はない。
それでいいだろう。
今、こちらに気付かせることは、あの人影に多分不利になる。
何しろ、明らかに四つ足の獣の方が、良くないモノというのが明白だからだ。
体高が人の腰ほどあるような大型犬。
その頭部が、人間のそれとなると、悪趣味なコラージュのようにも見える。
しかし、そいつらはだらしなく涎を垂れ流し、明らかに作り物で無い事が判った。
それが、唸り声の代わりに悪言雑言を垂れ流しながら、襲い掛かっているのだ。
人面犬、なんて言葉が浮かぶ。
確か一昔前に流行った都市伝説とかだったか。
姿かたちはそれに似通っているけれど、こんな風に群れた上で人を襲うという話では無かったように思う。
対して人影は、遠目からでも女性とわかる。
身体のラインが浮き出るような、プロテクター付きのレオタードかライダースーツのようなモノを着ているのだ。
ただし、フルフェイスのヘルメットのようなものを被っていて、顔は判らない。
切りつける度に僅かに零れる声は、そのヘルメットのせいか妙に籠って聞こえた。
そんな彼女は、素早い動きで無数の人面犬を切り捨てている。
ただ、あの戦いがこの奇妙な空間の原因だとするなら、俺が此処に来る以前から長く戦い続けていることになる筈だ。
そのせいか、僅かに肩で息をしているように思う。
最も、戦いの事なんてゲームやアニメでしか見たことが無い素人の俺から見ても、残る人面犬の群れを片付けるには、問題ないように見えた。
(【待って、「コモン」】)
(「【ポスアポ】……?」)
そんな予想を、荒事に慣れた声が否定する。
(【来るよ】)
(「!?」)
「ッ! 現れたか……!」
頭の中の声と、人影が最後の人面犬を斬り捨てるのと同時に、そいつは人面犬が残す靄をかき分けるように、のっそりと現れた。
今までの人面犬と比べても、明らかに別格の体格の個体。
さっき人面犬の群れを狼に例えたけれど、であるならアレは群れのボスに当たるのだろうか。
しかし、だとするなら薄情なボスだ。
今まで襲い掛からせていたあの無数の人面犬たちは、人影を疲弊させるためだけに使い潰された事になる。
狼の群れでも、そこまで薄情ではないだろう。
同時に、その薄情な命令を無理やり実行させられるだけの力を、このボス人面犬は持っているのだろう。
僅かに肩で息をする人影が、これまでにないほど緊張した声をこぼした。
「徘徊型、それも統率能力持ち……」
「かわいい子分達をよくもやってくれたものだ。これは、仕置をせにゃあならんよなあ?」
嫌らしいニヤニヤ笑いを浮かべて、そいつが人影をねめつける。
まるで、好色な親父のような笑い方だ。
だが、その笑いが人のものとは決定的に違う点がある。
(【人に近いクリーチャーが浮かべる笑いだ。食べる気だよ】)
([うへぇ、マジかよ])
俺達の中でも一際幼く、同時に場慣れした声に、俺達は怖気立つ。
終末戦争後、変容した動物や元人間が徘徊する【ポスアポ】世界の様子は俺も知っている。
【ポスアポ】の視界を通じて、そういうクリーチャーと戦う光景と感覚も、何度か体験してきた。
だが、そんな人食いの化け物が、「コモン」なんて名付ける位普通な俺の世界に存在していたとは。
そんな驚きが、皆に伝わっていたせいだろう。
「グウォオオオオオオーン!!!!」
「な、何だ!?」
「!? 誰かいるの!? ……えっ!?」
次の瞬間起こった突然の咆哮に、”俺”達は対処しきれなかった。
衝撃を伴った咆哮は、近距離で人面犬に対峙していた人影どころか、物陰に隠れていた俺達まで打ち据えて、バランスを崩させたのだ。
転がるように物陰から飛び出してしまった俺を、人面犬と人影の視線が射抜く。
完全に想定外だったのか、人影が驚きに動きを止めた。
そのミスを、人面犬のボスは見逃さない。
「ほう……?」
「っ! 待ちなさい!!」
一際笑みを浮かべた人面犬が俺へと駆けだすのと、咄嗟の事に出遅れた人影が追いかけてくるのが見える。
(【「コモン」! 交代を!】)
(「!」)
いち早く反応した【ポスアポ】の声に、だが俺は反応することも出来ない。
咆哮の衝撃が、俺のとっさの判断を奪っていた。
アスファルトに転がったまま、碌に身動きできない。
だからこそ、目の前で起きた惨劇を目の当たりにしてしまう。
急速にアップになる人面犬の巨体と、追い付いてきた人影。
何としても人面犬の動きを止めようと無理に伸ばした刃が、人面犬の尾に絡み取られる。
さらに身をひるがえした人面犬は、宙返りするように後ろから来た人影を飛び越え、刀を引かれバランスを崩した人影を、短刀じみた爪の揃った前足で薙ぎ払った。
吹き飛ばされるヘルメットと、弾けた血しぶき、そして俺の傍へと飛ばされてきた身体。
「逃げて……さくら、い、君……」
倒れ伏しながら、辛うじて俺の名を呼んだ人影は──同級生で、図書委員で、文学少女のはずの神谷さんのものだった。
□
あの後、人面犬を倒して公園を後にした俺達は、未だ変容したままの町を歩いていた。
自宅に帰ろうにも、『ファンタ』の言う結界に阻まれて帰れないのだ。
周囲には人影一つ無い。
幾らこの近辺は田舎に片足を突っ込んでいるとはいえ、こうも誰も居ないのは明らかに異常だ。
この妙な空間から抜け出すには、あの人面犬と人影の争い以外に、何か他の方法が必要なのだろうか?
(『あの争いが無くなれば、結界は消えると思ったのに、当てが外れたなあ』)
(【でも、殺気はもうない】)
(『そうなんだよね……つまり、あの「神谷さん」の方が、この結界を張っているのかもしれない』)
(「どういう事だ?」)
(『この結界は、あのあからさまに人食いのモンスターを、逃がさない為にあるんじゃないかって事』)
『ファンタ』の推測は、何となく理解できる。
元々、あの人面犬は群れで行動していた。
あんなモノが田舎とはいえ住宅街で野放しになっていたら、どんな被害が出るか判ったものじゃない。
それに、あの時神谷さんは俺を助けようとしていた。
つまり、あの化け物を退治する側と考えると、被害を抑える方策として『ファンタ』のいう結界を用意すると言うのは筋が通っているように思えた。
つまり、
(「神谷さんの目が覚めないと、ここから出られない?」)
(『最後に近づいてきた仲間らしい気配の側が結界を張っている可能性もあるけど……』)
(【状況を怪しんでいるのかも】)
(『今から戻る訳にも行かないし、どこかで身を潜めていた方が良いかも』)
([それで事が過ぎればいいがな。そろそろ時間が不味いだろう?])
[サイパン]の声に釣られて、スマホを確認する。
この空間は電波が届かないらしく電波は圏外。
それでも時計機能は問題なく動いていて……拙い、そろそろ0時だ。
今のままだと、危険な状態で”番”を明け渡すことになりかねない。
せめて、安静な体勢にならないと……。
そうやって探し当てたのは、バス停のベンチだった。
本来なら、寝転びたい所だけど、座れるだけマシである。
俺はスマホを確認した。
あと1分で、0時。
これなら何とか『ファンタ』へと”番”を渡せると、安堵の息をつく。
その時だった。
「桜井君」
今この瞬間、ある意味最も聞きたくない声が響いた。
視線を上げると、さっき見た姿がそこに居た。
相変わらず、普段の制服姿とは違う、レオタード擬きを着て、フルフェイスのヘルメットをかぶっている。
だけど、俺の名を呼ぶ声は、ヘルメットで聞き取りにくくなっているとはいえ、聴き間違えない。
神谷さんだ。
そしてもう一点。
喉元に付きつけられた、鋭い刃。
「さっきのアレは、何?」
投げかけられる言葉は、突き付けたままの刀の切っ先と同じくらいに冷ややかだ。
これは、参ったな。
何を話せばいいのか思いつかない以前に、もうタイムアップだ。
(「くそっ! こんな状態で変わるとか最悪だ!」)
(『逆に考えよう、3日は考える時間が取れるよ』)
(「他人事じゃないぞ!? あっ!?」)
「え? ち、ちょっと桜井君!?」
0時の瞬間、”俺”達の意識が急速に遠のく。
同時に力が抜ける感覚と、慌てたような神谷さんの声。
それを最後に、俺達の意識は闇に閉ざされた。
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