二君に仕う

真田

***




 直柾すぐまさは朴訥な武士だった。

 ある秋の夜、直柾は主君に呼ばれて登城した。

 彼は譜代の臣だったが、夜に呼びつけられたのは初めてである。何の要件だろうかと訝りつつ向かうと、主君は人払いし、二人きりになるなり言った。

遠野えんや秋國あきくにを暗殺してほしい。おまえの忠義を見込んでのことだ」

 直柾が仕える本柳もとやなぎ家は窮地にあった。

 近年、本柳家の勢力は薄弱となっていた。隣接する強国にやむなく臣従し、主家となった強国の戦に度々駆り出され、兵も物資も枯渇している。本柳を見限り強国へ鞍替えする家も出始めた。一方で北隣の小国である遠野とは戦が絶えず、次に遠野と干戈を交えれば、本柳は敗れ滅びると誰もが思っている。

 戦が無理ならば謀殺しかない。

 とはいえ、直柾は戸惑った。彼は戦場で敵と相対して怯んだことはない。それに対し暗殺は、彼の性分に全く合わない。

 言葉を失った彼の返答を待たず、主君は言葉を継いだ。

「おまえは演技をして本柳を裏切り、遠野へはしるのだ。近々儂は、貢納のことでおまえを理不尽に叱り、知行地を取り上げる。おまえはそれに怒ったふりをして、遠野へ出奔するのだ。そして遠野秋國の信用を得て懐に入り込み、奴を殺せ」

 ますます、直柾は困惑した。彼は自分の妻相手にすら、芝居などしたことがない。しかし代々忠勤に励み、今も本柳に身命を捧げている直柾に、主命を拒否する選択肢はない。

「承知仕りました」

 彼は頷いた。







 本柳の主君は予告通り、税の量を偽ったという言い掛かりを皮切りにして直柾を衆前で面罵し、領地の大半を取り上げた。

 もともと感情を表すことの少ない直柾は、怒ったふりも大してできない。ただ緊張もあって、罵倒されている間、ひたすら床を睨んだ。

 直柾は家に帰ると、この計画を妻にのみ打ち明けた。

 彼は心配する妻を宥めると、その晩のうちに愛刀だけを抱え、遠野の領地へ向かって走った。


 夜通し走り、翌日の昼に、直柾は遠野秋國の屋敷を訪ねた。

 秋國は、敵方の武将である直柾を知っていた。直柾は意外にもすんなりと、秋國の前へ通された。

 遠野の君主は言った。

「本柳の忠臣が一体何用かと、興味深く思うてな。さあ、斬られる前に言うてみよ」

 視線が探るように直柾を射る。さあ、彼は演技をせねばならない。

「……私は、本柳の殿に捨てられ申した。それゆえ、遠野さまにお仕えできぬかと」

 秋國は首を傾げた。

「捨てられたとな?」

 緊張を押し込めるように訥々と、直柾は本柳で起きたことを説明した。

「本柳の殿は、私をもう本柳の臣ではないと。何より所領を召し上げられては、食ってゆけませぬ」

 暫くの間秋國は直柾の顔を見つめていたが、やがて言った。

「それで、主を見限ったと。汝の人となりは、忠に厚く実直そのものだと噂に聞いたが」

 そこで直柾が感じたものは、恥か緊張か怒りか。顔が赤くなり、目が吊り上がった。

 口を開くと、思ったよりも随分大きな声が出た。

「そうでは、なかったのでしょう。……無念です」

 彼の様子を見た秋國は何を思ったのか、それ以上は訊ねなかった。

 直柾は遠野に召し抱えられることとなり、屋敷と使用人とを与えられた。







 その晩、直柾は慣れない寝屋で布団に臥し、思い悩んだ。

 主君の命で見せかけであるとはいえ、本柳を裏切った。しかもこの先秋國を殺すまで、彼は周囲を欺き続けなければならない。秋國に近付くため、信用を得る必要もある。

 この期に及んで、直柾は気が遠くなる思いがした。彼は演技などできないし、本来なら嘘も嫌いである。敵と思う者に味方のごとく接するなど、直情な彼の神経には不可能である。

 無理だ、できない、どうすれば。

 苦しみながら何度も寝返りを打つうち、直柾の頭に閃きが点った。

 そうだ、演じなければいい。

 心から秋國に仕える。そうすれば、演じる必要はない。

 彼は、妻の言葉を思い出した。暗殺の計画を聞かされた妻は、こう言った。

「あなたのような人に裏切りを演じろなどと、あまりにむごいご命令です。企ては他の誰にも知らされず、ご領地も取り上げられて。もしかして本柳の殿は、我が家をお見捨てになったのではありませんか」

 その妻の言葉を、もちろん彼は笑い飛ばした。しかし今は、妻の言葉が本当であったと思い込むのである。彼は、所領を奪われ無理難題を押し付けられ、主君に捨てられた。それゆえ、新たな主君に仕えることとなった。

 思考がおさまると、ようやく直柾に睡魔が訪れた。

 彼は昨夜から眠っていない。


 翌日から、直柾は粉骨砕身の覚悟で遠野のために働き始めた。以前本柳に仕えていたときと、同様にである。

 同輩となった遠野の武士たちに挨拶して回り、手伝える仕事がないかと訊ねた。あると言われればそれが雑用であっても、懸命にこなした。

 遠野の武士たちは当初、裏切り者の新顔である彼のことを胡散臭そうに眺めていたが、彼が献身的に働くのを見るうちに、徐々に大きな仕事も手伝わせてくれるようになった。半年も経つと、彼は城壁の修理や城下の見回りといった、重要な役目にも加えられるようになった。そうなると、秋國に目通りする機会も増える。

 また遠野では、相手が本柳でないにしろ戦はあった。ここでも直柾は本領発揮とばかりに、獅子奮迅の働きを見せた。

 遠野の人々と打ち解ける間、直柾は、いつか本柳へ帰る日のことを忘れることにした。

 もう彼は、本柳へは戻らない。

 それならば、彼は欺いていることにはならないはずである。

 それは彼の意識を覆う、蓋のようなものだった。







 さらに半年ほどが経ったある晩、秋國が配下の武士たちを酒宴に招いた。直柾にもお声がかかり、彼は秋國の屋敷へ赴いた。

 酒と食事が振る舞われ宴も酣になった頃、直臣と談笑していた秋國が、部屋の隅に座っていた直柾に目を向けた。

「のう直柾。汝が遠野へ来て、もうじき一年になる。近頃ようやく、汝が本柳に通じておるという声も聞かなくなった。だから明かすというわけでもないが、秋の稲刈りが終わらぬうちに、我らは本柳を攻める。あちらにはろくに兵もおらぬから、今度こそ我らは本柳を落とすだろう。汝は旧主に戈矛を向けられるか」

 秋國の言葉を追うように、一堂の視線が直柾に集まった。

 直柾はうつむいた。

「……できれば、避けとうございます。ですが殿のご命令とあらば、背くわけにはいきませぬ」

 ふっと秋國は笑った。

「まあ、いずれにしても、汝は此度こたびの戦には出さぬ。なに、内応されるのを恐れているわけではないぞ」

 冗談にしてもきわどいが、幾人かが笑った。

 直柾は床を見つめたまま、ただ主君に向かって頭を垂れた。




 その晩、秋國は酒宴に招いた武士たちの殆どを、そのまま屋敷に泊まらせた。既に深夜で、住居が遠い者もいるので、それは秋國の気遣いだった。

 その中に、直柾も含まれていた。

 彼は宛がわれた寝室で横になり、先ほどの秋國の言葉を思い出していた。

 遠野は本柳を攻める。そして秋國は、その戦に彼を参じさせない。

 この意味を、直柾は考える。

 もしかして彼は、未だに秋國の信頼を得ていないのだろうか。しかし、もしそうであるなら、秋國は彼を酒宴に呼ぶことも、ましてや屋敷に泊まらせることもなかったのではないか。

 もしや、これは秋國の罠だろうか。信頼していると見せかけ、彼の行動を誘発するための罠。

 以前の直柾ならば、これは秋國のやさしさだと、何の逡巡もなく言い切っただろう。一年かけて観察してきた遠野秋國は、厳しい実務家である反面、家臣に思いやりを持って接する。

 彼が疑念を抱くのは、彼自身が偽っているからだ。彼自身に表と裏があるがゆえに、相手の表裏も見定めなければならなくなる。

 今や彼は、芝居人形に成り下がってしまった。

 そう思った彼は、もう思い出していた。こうして闇の中で目を開いているときだけ、蓋をして抑えていたものが戻り来る。

 本柳は彼の主君である。彼の妻と幼い子は、本柳に残されている。

 戦の前に主命を果たし、本柳を守らねば。

 これが罠であろうと千載一遇の好機であろうと、他の道は残されていない。

 自らに言い聞かせ、彼は起き上がる。

 隣に寝かせていた刀を取った。






 直柾は刀を手にし、忍び足で廊下を渡った。

 屋敷の中は寝静まっている。

 罠である可能性を考えつつ、恐る恐る足を進めたが、とうとう誰にも会わぬまま秋國の部屋へ辿り着いた。

 息を殺して、戸を開く。

 その時も、何も起きなかった。

 暗闇の中に見えた遠野秋國は、両目を閉じて寝息を立てていた。罠はどこにもない。

 彼は秋國に近寄った。

 剣の柄に手を置き秋國を見下ろす。

 そのとき不意に、彼の中で蓋をしていた何かが、突然逆巻いた。

 確かに彼は本柳の臣である。それゆえにここへ来た。しかし彼は遠野にも、誠心誠意、仕えたつもりだった。

 彼が欺いてきたのは、誰だったのだろうか。

 二君に仕えようとした彼は、結局誰にも仕えていなかったのかもしれない。無惨に裂けた残骸、己は一体何者だろうか。

 彼がひゅっと息を吸った瞬間、秋國の目が開いた。

 秋國は刺客の影を見止めるなり、枕元に置かれていた刀に手を伸ばした。

 反射のように直柾の体が、金縛りから解けた。

 鞘から刀を抜き放った。

「なん、」

 発されかけた秋國の声は途切れ、起き上がりかけていた体は血を吹きながら倒れた。

 直柾は、闇の中でその様を見送る。

 眩暈のように回る脳裏に、夜ごと思い返した妻の言葉が響く。

 所領を奪われ難題を課されて敵地へ送り込まれた彼は、本柳に捨て駒として使われたのではないか。それが真実であるかどうか、彼には永遠にわからない。

 確かなのは、彼は主君を斬ってしまったということである。

 彼は床に膝を突くと、血に濡れている刃を自らの腹に突き立てた。

 既に主君の命は果たした。ならばあとは、裏切りを償い、主君のあとを追うのみ。

 さあ、もう演じる必要はない。







<終>


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二君に仕う 真田 @kazuhiko_sanada

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