やりたいことリスト、なりたいものシフト
「は〜あ……」
サクラに呼び出された会議が終わってから――正確にはサクラの告白の後に、レーズンが私たちに自室へと戻るよう促してからだけど――2時間と少しが経っていた。私は
夜桜荘で目が覚めて、サクラたちと出会ったあの日。記憶喪失の私は何も縋るものがなくて、でも人間を握り潰した感触が手に残っていた。
その罪悪感を正当化し蓋をしても、自分が自分ではない恐ろしい何かになったという漠然とした……けれど心の芯から冷えるような恐怖は消えなかった。
「大丈夫」
そんな時に、手を握ってくれた人がいた。ここに居ていいと。温かくて、凄く安心した。
私は、自分が元は何だったのか、誰が私の身体を弄ったのかを知りたかった。その上で、この人の助けになれたらいいなと思った。
それが当面の私の生き方だと、心からそう思ったはずだ。
「……嘘だったのかな」
「全部が全部ウソって訳じゃないんじゃない」
「ぎゃわあああっ!?」
独り言に返事をされて仰天する。1人だと思っていた室内から朔月の声がした。跳ね起きて声の方向を見ると、枕元で朔月が体育座りをしていた。
「朔月!? お前いつ私の部屋に入ったんだよ!?」
「え、普通にアヴィと一緒に部屋に入ったけど……?」
「そこから2時間以上も黙って気配を消すな!」
出た出た。コイツの特技の1つである隠密行動だ。普通なら殴り飛ばして部屋から叩き出してやるところだが――。
「ごめん。さっきの会議の後さ、アヴィが動揺してたから心配だったんだけど、なんて声かけたらいいか分からなくて……」
申し訳なさそうに謝る姿を見て、その気力を失う。朔月も根はいい奴だ。
「……サクラの洗脳はレーズンの言うとおり、めちゃくちゃ弱い。星素の反応が微弱すぎて俺ですら気付けなかった」
朔月も散歩という最終試験の前に、サクラの洗脳を受けていた、らしい。言われてみればあの時の朔月はサクラに手を握られてニヤニヤと気色悪い笑みを浮かべていた記憶がある。
「だから持続力もほぼゼロで、何が言いたいかというと……今の俺たちが悩んで考え出した結論は、
「……その自分の気持ちがよく分からないから悩んでるんだけどな、私は」
私は再びベッドに横になりながら答える。真横には相変わらず朔月が体育座りをしている。この距離で気付かなかったのか……。
「あ、そういう時はさ、『やりたいことリスト』を作るといいんだって」
「やりたいことリスト?」
流石に体勢が辛くなってきたのか、図々しくも私の隣に寝転がり始めた朔月がスマホを取り出す。
「前に恒星教団治安維持部隊の友達に教えてもらったんだけど、やりたいことをリストアップすると自分の考えが整理出来て……いい感じになるらしいよ」
「適当すぎないか?」
「文句は俺にこれを教えてきた方へどうぞ」
面識のない奴に文句を言えるか、と突っ込みつつ、私もスマホを手に取ってメモ帳アプリをタップする。
私のやりたいことか……改めて考えてみても、私の身体で遊んだ奴を突き止めてぶん殴ることはマストだ。このリストもそいつのせいで作るハメになっている。
「『ぶん殴る』っと……よし、1つ目完成」
「……え、どんなこと書いてんの?」
改行して、1つ目に付随する目的を入力する。教団を打倒して非星素適合者の虐殺を止める……そう書こうとして、何となく違和感を感じて、手が止まる。
よくよく考えてみれば、私は別に私の知らない奴らなんてどうでもいい。非星素適合者はレーズンとかくらいしか知らないから、そいつらが無事ならいいかな?
じゃあ何で、あの時の私は、サクラと初めて話した時の私は、「一般人を救う」なんてヒーローみたいなことを言ったんだろう? 私は寝返りを打って、目を閉じて考える。
……ああ、そうだ。虐殺なんて絶対に許されないことだって、サクラが言ってたからか。私は理不尽に対して憤ってるサクラの役に立ちたかったんだ。
私は私の友達が、怒ったり、悲しんだりしてるのを見たくないんだ。この時も、朔月が姉の満月の襲撃を自分の所為だと言った時も、サクラが私たちを洗脳したんだって泣きながら打ち明けた時も。
私が嫌な気持ちになったのは、みんなが辛い思いをしていたからなんだ。なるほど。
「……朔月、このリスト結構役に立つな」
「でしょでしょ? 感謝してくれていいよ」
「ウザ……」
私の友達を傷付ける奴は許さない、そうリストに追加した。微妙に「やりたいことリスト」ではない気がするけど、まあいいだろう。
「よし、次は……」
今の自分のことが少し理解出来た気がして、心のモヤモヤが晴れたような気分になった。その後は既に真面目に考える集中力が切れ、「ホールケーキ丸ごと食べたい」とか「子猫を撫でたい」とか適当なことばかりを書いているうちに、いつの間にか寝落ちしていた。
◇
生きている以上は必ず辿り着いてしまう、命の終着点。それが死だ。それは、この場所と深く深く繋がっている。
それでも私は父が建てたこの場所が好きだった。白い廊下、優しい照明、笑顔の人々。絶対的な別れから遠ざけるために、もしくはそれを少しでも良いものにするために。
ふと、何気なく窓の外に目をやると、見知った顔の男性が歩いていた。ここは3階、急いで階段を使って降りても、あの人に追い付く前に見失ってしまうだろう……普通の人ならば。
私は換気の為に開かれていた窓からすぐさま飛び降りる。否、飛び降りたのではなく、飛んだのだ。私はそう願った。すると、私の背中からは白い翼が生える。少々空中を滑空してから減速して、男性の前に降り立った。
「イオンおじさん、こんにちは!」
「おや、サクラじゃないか。
イオンおじさん……イオン・ヘブンズウォーズさんは地球外から飛来した隕石から発見された物質である「星素」研究の第一人者だ。星素は無限の可能性を秘めているらしいが、おじさんや私の父は特に医学の分野に対しての活用を目指していた。
おじさんは私が飛び降りた病院3階の窓を見てから、強めの口調で私に注意する。
「サクラ、お転婆も程々にね? 術後の経過は良好と言えども、もし君が怪我をしたら私は君のお父さんにこっ酷く叱られてしまうよ」
「……はーい」
私は星素の力による人間の機能拡張手術の実験台の1人だった。が、これは固くて嫌な響きで語弊がある。私が持つ「空を自由に飛びたい」という子供じみた願いを叶えてくれた、と表現する方が私は好きだ。私にとって父やおじさんは、夢物語に登場する優しい魔法使いのようなものだった。
とはいえ、叱られて面白くない私はすぐさま話題を変える。
「それよりも、ファイナさんの容態はどうだったんですか?」
「ああ、母子共に健康そうだ。相変わらず妻の意識は無いけれど……」
おじさんの奥様であるファイナさんが隕石の調査中に昏倒してから、半年が経つ。彼女は妊娠しており、一時はファイナさんもお腹の中の赤ちゃんも生存が危ぶまれていた。
「そうですか、良かった……」
私は胸を撫で下ろす。イオンおじさんもファイナさんも、とても優しくてお世話になっている大切な人たちだ。そんな人が不幸になるなんて、あってはならない。
とりあえず一安心した私の様子を見て、おじさんは微笑みながら問う。
「サクラ、私たちのことをそんなに気にかけてくれているんだね」
「はい、イオンおじさんたちは私にとって家族みたいなものですから!」
「家族! そうか、家族と来たか」
イオンおじさんは私が言ったことが堪らなくおかしいと言った様子で笑う。私は一気に恥ずかしくなって、顔から火が出るようだった。
「な、何で笑うんですか? そのくらい大切だってことですよ!」
「あはは、いや申し訳ない。私たちは本当に幸せ者だなと思って、ついね」
そう言いながらおじさんは、頬を膨らませる私の頭を優しく撫でた。
「そうだ。私たちは大切な家族だ、サクラ。たとえ血が繋がってなくとも、恒に互いを想い遣る心があるのだからね」
――裏を返せば。
突然、背後から声がして、振り返る。
おじさんとよく似た髪色の少女が立っている。
「家族以外は皆殺しにして良いってことかな?」
「違うッ!!」
私は叫んで跳び起きた。そこで夢は終わった。じっとりと汗ばんだ身体と、静寂の暗闇がそこにあった。
私は枕元に置いてある錠剤を適当に掴んで口に含み、同じく常備している水で一気に飲み込む。吐きそうになりながら両手を祈るように組んで、魔法の呪文を唱える。
「大丈夫。私は大丈夫。私は……ッ」
自分の能力だ。効果がない時ははっきりと分かる。今がその時で、つまり私は、自分をもう信じられないのだ。
私は再び抗鬱剤に手を伸ばし――そこで腕を掴まれた。
「……本当に死んじゃうよ、世界を救う前に」
「レーズン……」
私は大人しく引き下がる。彼女が私のベッドの上に乗ってくる。そのまま抱き締められて、私は抵抗する力もなく倒れ込んだ。
私は、記憶が地続きになってないことを思い出して、彼女に尋ねる。
「レーズンが、ここに運んでくれたの?」
「急にバタッて倒れたあなたを運んだのはフュンゼだけど、頑張って着替えさせたのは私」
「そう……ありがとう」
私はレーズンを強く抱き締め返そうとして、腕に力が入らずに諦めた。それと裏腹に、彼女の腕の力はぎゅうと強くなる。
思考はぼやけているのに、眠気は飛んでいく。今日やり残したことや明日やるべきことが泡のように浮かんでくる。
「……アヴィちゃんたちは?」
「アヴィちゃんとさっくんは部屋にいるけど、サマちゃんは帰ってないみたい」
「そう、そうよね……」
3人の中でも特に私を慕ってくれていた子だ。私の裏切りにも等しい行為の数々で彼女をどれだけ傷付けてしまったのか、計り知れない。
「位置情報も分からないの? 私、心配だから探してくるわ。明日の9時30分からのライブラリとのリモート交渉までには戻っ――」
「もう黙って休んでよッ!!」
私の話を遮ってレーズンが声を荒げる。起き上がって私を睨み付ける。彼女は、泣いていた。
「もう心身共に限界だって自分が1番分かってるでしょ!? そんな状態で何が出来るの!? ……私たちには何も任せられないっていうの!?」
ああ、またか。相変わらずちゃんとしない頭で、また何かを間違えたことだけを理解する。正しい方へと進もうとしてきたのに、どうしていつも失敗するんだろう?
「……私は、何も諦めたくなかった。世界も、
そのために一生懸命頑張った。精一杯の努力をしてきた。周りの人々も助けてくれたし、よくやってくれたと思っている。
「でも、全て間違いだったのかも。全部を手に持とうとして、全部を落としちゃった」
「……何言ってんの。まだ何も終わってないって、いつものサクラならそう言うでしょ」
「もうやめる。私は私を諦める」
私が満足出来る結果を出せないのは、私が頑張ってるからだめなんだ。それが結論だった。
明日、夜桜荘を手放して。それで……それで、終わりだ。
「それを本気で望んでるの、なんて聞かないよ。サクラ、しばらく休んで――」
「もういいの」
そう吐き捨てた途端、心という場所に直接抉られているような激痛が走る。私を動かしていた意思や気力が完全に弾けて消える感覚と連動して、私の意識も溶けて消えた。
◇
「僕は正しいことをしていると思う?」
僕は目の前の、僕が脚を折ったので芋虫のように這って逃げる悪人に問いかける。返事はない。
「僕は表向き所属は夜桜荘地域に住む恒星教団の『蝿座』ということになっている。だから、現行犯で強盗罪を犯したあなたを殺すことが治安維持の一環として許可されている」
殺す、というワードに反応して小さく悲鳴を漏らす芋虫。善良な人に害を及ぼしておいて、いざ自分が狩られるとなったらこれだ。本当に癪に障る。
僕は、もう誰の傀儡でもない。僕は僕自身の正義のために自分で動く。
「恒星教団『蝿座』の名の下に、僕はお前を――」
……それからしばらくの間。僕は拘束した強盗犯を見張りながら、人待ちをしていた。
「何をしているんだ、僕は……」
個人的な感情の憂さ晴らしなんて理由で人命を奪っていいはずがない。そんなことをすれば、不可抗力で人を殺めてしまって苦しんだアヴィちゃんや、どんな悪党でも改心することを信じているサクラさんに一生顔向け出来なくなる。
……そう、こんな奴でも1人残らず救おうとしているサクラさんだから、手段を選んでいられなかったのだろう。理解はしているつもりだ。
でも、僕は僕の気持ちを利用されていたことと、アヴィちゃんと朔月くんに酷いことをした相手にへり下ることに、どうしても折り合いをつけられずにいた。そして、自分自身の弱さにも、向き合いきれていなかった。
「うぅ、寒いなあ……」
厳しい真冬の真夜中の冷たさが、絶えず身体を冷凍しようとしてくる。
悪人を探して、正義で叩いて気持ち良くなる。穢れた行為だと分かっていたから、夜桜荘から離れてわざわざ隣の区域まで来た。罪悪感を軽くしようとしていたのだろう。
おかげで、強盗犯を引き渡すためにこの地域を担当している恒星教団の人を待たなければならなくなった。その間、この寒さに責め苦を受ける。因果応報だ。
20分以上経っただろうか。真面目にそろそろ凍死するかもしれないと思い始めた頃、恒星教団員が2人でやって来た。教団を打倒しようとしているにも関わらず友好的に接することに若干の罪悪感を覚えながら、僕は彼女たちに挨拶をする。
「こんばんは。僕は――」
「こんにちは! あっこんばんは!! あたしは恒星教団治安維持部隊所属の『ヘルクレス座』エリナ・ディアードです!! こんなに夜遅くにご苦労様です! すごく偉いと思います! まぁあたしたちもそういう意味では夜遅くに頑張ってますから頑張り屋さん同士ですね! えへへっ!」
「恒星教団研究部門長セント・ヘブンズウォーズなのです。お前、こんな理解不能な時刻にこのセントの貴重な時間と才能と体力を浪費させるなんて、どういう頭のメカニズムをしていたらこのロジックが導出されるのです? セントの理外に位置するバカなのです? まずは誠心誠意その首を垂れて謝罪するのです」
……憂さ晴らしなんて変な気を起こさなきゃよかったなあ。僕は心の底から反省した。
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