見参、白髪長髪ボーイ

 フュンゼさんによる僕たちの戦闘訓練が始まってから数週間が過ぎた。


「はあっ!」


 顔を狙う素早い拳が飛んでくる。それを手で払い受け流す。

 勢い余ってバランスを崩した相手を狙って、ダメ押しの足払い。空を切る感触。


 瞳を動かし相手を探す。上、もしくは上寄りの前。滑空体勢の相手を目で捉える。速い。これは恐らくは全速力のスピード。


 いいよ、受け止めてあげる。訓練で強化された星素と身体の扱い方。加えて感覚を研ぎ澄ませる。


 相手の龍化した両腕が僕を切り裂くであろう、コンマ数秒前に、僕の右脚の星素エネルギーを爆発させる。文字通り一撃必殺の回し蹴り――が炸裂する寸前、突如として相手が空中でくるりと回転する。


 影が僕を覆う。強靭な尾が振り下ろされる。

 一瞬戸惑う僕の脳を置いて、脊髄が命じた回し蹴りで竜の尾を迎撃する。


 ばきり。対処が遅れた代償は大きい。それがたとえ一瞬よりも短くとも。

 完璧なタイミングを外された蹴りは本来の威力を発揮せず、代わりに激痛が僕を襲う。

 僕は右脚を見れなかった。見なくとも、何が起こったかは理解出来た。


「っ……! ぐ、ううっ……!」

「そこまで。サクラ、治療してやれ」


 くらくらする頭に、響く駆け足。程なくして、右脚の痛みは急速に和らいでいった。


「サクラさん、僕はもういいので、アヴィちゃんの方に行ってあげてください……」

「アヴィちゃんは、アヴィちゃんは大丈夫。フュンゼが介抱して、こっちに歩いてきてるから……」


 僕がアヴィちゃんを蹴り飛ばした方向を見ると、頭から流血しながらゆっくりと歩み寄ってくる彼女の姿があった。


「サマザー、無事か?」

「サクラさんが治してくれたから問題ないよ。そっちは平気?」

「私は自前の再生が速いからな」


 コンコンと自分の頭を叩くアヴィちゃん。傷口は既に塞がっているようだった。戦闘訓練の賜物か、再生速度は更に増しているみたいだ。


「サクラもそろそろ泣きやめ。何度目だ」

「うぅ〜、ごめんなさい……2人が怪我してるの見るの、まだ全然慣れなくてぇ……」


 フュンゼさんが溜め息を吐く。本格的な対人訓練をやり始めてからは、僕たちの治療のために常にサクラさんが待機してくれていた。

 確かこれで8回目だけど、サクラさんは毎回泣いている。当事者の僕とアヴィちゃんが気にしてないんだから気に病まなくていいのに……アヴィちゃんと目を合わせてお互いに苦笑いをする。


「そうも言っていられないのはこの2人の方がよく理解しているぞ、サクラ」


 空気が、ぴりっとする。


「明日からだろう? 実際に2人が隣町でを捕縛するのは」


    ◇


 デブリ、破片やゴミを意味する単語。近年では武装集団――特に星素を利用した武器を用いた――を指す。星素を込めることで強化した銃弾や刃物は、通常のそれに比べやや高価ではあるが、高い破壊力を持つ。

 それでも、僕たちのような星座の力を持つ者相手に効果は薄い。たとえ棒立ちの時に攻撃されても、刃物なら精々が薄皮1枚、銃弾ならば皮膚に触れるかどうかすら怪しいだろう。それ程の絶対的な差が僕らと彼らの間にはある。だから。


「何だこいつら、星素強化銃が効かねえ!」

「み、見逃してください……! あたしら、親もいなくて、他に誰も頼れなくて、それで……!」


 だから、こういう風に、行き場を失ってどうしようもなくなった人々を無傷で救える。

 デブリの子供たちはすぐに投降した。10歳くらいの4、5人だった。


「大丈夫、僕は君を傷つけるつもりはないよ」

「あなたたちはしかるべき対応をした後に、私の管理する夜桜荘で生活してもらいます。未成年だし……多分、お咎めなしかしら?」


 ……本当は誰だって、争って、戦って、血が流れることなんて望んでいない。平和的な解決が出来るならそれが最善策だ。


「え……マジで? いい……んですか? タイホとかされないの?」

「これから暴れてビルぶっ壊したりしなければ、な」


 アヴィちゃんが欠伸をしながら退屈そうに答えると、子供たちはへなへなとその場に座り込んだ。安心して力が抜けたのだろう。大きな声で泣き叫んではいたが、どこか安心したような顔をしていた。

 この現場もひと段落だ。僕はサクラさんに話しかける。


「今回も死傷者ゼロでしたね、良かったです」

「ええ、ここまではオーケー。問題は……」

「今日最後の『兇暴スカイスクレイパー』だろ?」


 兇暴スカイスクレイパー……この近辺で最も巨大かつ強力なデブリ。先程の孤児たちのような代物ではない。強盗、殺人などの所謂『闇の仕事』を生業としている、本格的な悪人の溜まり場だ。


「さっさと全員ぶっ倒して帰るぞ~」

「アヴィちゃん、もっと緊張感を持って。あと、なるべく傷つけないように制圧しないと」

「はぁ、分かってるって……」


 ……余計なお世話だったかな。

 でも、出来れば僕は、誰にも傷ついてほしくない……。


「はいはい2人とも、次の現場行くわよ?私もサマちゃんもアヴィちゃんも飛べるからここから10分かからないし、そのまま屋上から奇襲しましょう」

「あ、はい!」

「はーい」


 険悪になりかけたムードをサクラさんが正してくれた。細かい気配りが上手くて、毎度のことながら多才な人だな、と感心する。

 僕らはすっかり扱い慣れた羽根を広げて、次の目的地へと飛び立った。


    ◇


「……妙ね」


 現在地は兇暴スカイスクレイパー屋上、その1フロア下。

 時刻は深夜3時。殆どの構成員が寝入っているか、起きていたとしても僅かな数の見張り番くらい。僕たちはそう見立てていた。


 


 静かすぎる。人の気配はないのに、身体が緊張で強張る。ここに来るまでは軽口を叩いていたアヴィちゃんも、怯えた様子で周囲を見回している。


「……階段で1階ずつ降りていきましょう。警戒を怠らないでね」


 サクラさんの指示に、僕らは黙って頷いた。


 コツ、コツ、コツ。

 僕らの、僕ら以外には聞こえないくらいの小さな足音が、階段に反響する。

 1つ下に到着したら、そのフロアの様子を窺う。

 やや散らかってはいるが、争った形跡はない。

 そして、また階段を降り始める。


 それを何回繰り返しただろうか。僕はむしろこちら側が奇襲を受ける可能性を気にして、階段の上ばかりに意識を傾けていた。

 その時、突如アヴィちゃんが階段を幾つか駆け下り、サクラさんを追い抜かした。


「アヴィちゃんっ……!?」


 流石のサクラさんも動揺してか、やや焦燥した声で呼び止める。

 しかし、こちらに向き直ったアヴィちゃんは、驚くほどに冷静だった。


「サクラ、サマザー……ここから2つ下の階、血の臭いがする」


 僕は何も感じ取れなかったが、恐らくは竜骨座の能力だろう。

 下の下に、誰かが、何かが在る。僕は無意識に深呼吸していた。

 サクラさんは小さく息を吐いて頷いた後、アヴィちゃんに自分の後ろへ戻るよう促した。アヴィちゃんもそれに従った。


 階段を、1つずつ、1つずつ、足の裏で踏む。繰り返し、繰り返す。

 長く短い時間の流れが経過し、僕たちは、に辿り着いた。


 サクラさんが指を3本立てる。突入の合図。

 3、最後の呼吸。

 2、ごくり、邪魔な唾液を胃に流す。

 1、脚に力を込める。


 ゼロ、突入。静止した状態からのスタートでは、僕が最速だ。

 真っ先に視界の情報を高速で処理するように努める。


 床。倒れた人間が数名、いや十数名……いや、もっと?

 既に危険、警告、警鐘。駄目だ。危ない。肉体を急制動する。手で後ろの2人を制する。

 床はもういい。誰がこれをやった?意識を下から正面に向ける。しかし遅かった。視界の端に動くものが見えた。しまった。後手に回った?次の瞬間には、死ぬかもしれない。咄嗟に防御の体勢をとった。

 ……しかしながら、死も、痛みも訪れない。恐る恐るガードを下げる。


 動くものの正体は、風に揺れる、長い髪の毛だった。割れた窓から入る月明かりに照らされた、白く長い、2つの髪の束。その人物。

 それは、ただじっと、そこに立っていた。


 敵意は見られない……というのは、後から付け加えた理屈だろう。床に散乱する血肉の汚物とは対極にある存在――そう感じてしまうくらい美しいその佇まいに、僕はしばらく見惚れていた。


「サマザー!? おい、しっかりしろ!」


 アヴィちゃんの声で我に返る。僕は、何をしているんだ?集中を欠いていたなんてものじゃない。自分の失態を自覚した途端、冷や汗がどっと出てきた。


「魅了効果ね? 私には通じないけど。何者か教えてもらえるかしら?」


 そう言ってサクラさんが相手に銃を構える。フュンゼさんの星素が込められた特製の銃弾は、能力者相手でも十分な威力を発揮する。


「俺の能力が分かるってことはかあ」


 白いツーサイドアップの人物は、僕が思っていたよりも低い声で答えた。男の子のようだった。


って分かってるのに俺に銃を向けてるってことは、その銃か弾に細工があるってことだよね~……」


 彼はぬらりと刀を鞘から抜いた。目を惹くような美であった彼とはまるで異なる、恐怖を感じるのに目を背けられない漆黒の闇。それが、ゆっくりと歩いてくる。


「つまり、お姉さんかその仲間に狼座が――」

「ウッ……」

「はあ?」


 彼が踏みつけた人から声が漏れた。死んだふりか、気絶していたのか。とにかく、まだ息があるなら救命の後に事情聴取が出来る。そんなことを考えていた矢先。


「邪魔」


 額を刀が貫通する。疑う余地もない。絶命した。


「お前っ、わざわざ無抵抗の人間を殺すなよ!」

「別にいいでしょ、悪人だし、どうせ近々死ぬし……話の続きだけど」


 アヴィちゃんが怒りを露わにするが、彼はそれを気にも留めない。サクラさんの顔色が変わる。


「狼座が現在所属してるのは『夜桜荘』でしょ?みんな女の人だったからよく覚えてるよ。顔も名前も。狼座フュンゼ・ヴォルフィンさん、白鳥座サクラ・レイノースさん、兎座ヴェルトヴィーク・グレイテストコードさん……追加で蝿座の試験用カプセル」


 だから最大で4人! 彼は指折り数えた。何だ? この子は何が言いたいんだ?


「そっちの緑髪の眼鏡ちゃんが見た感じ蝿座……あれ? 1人多いよねサクラさん」


 わざとらしくニヤリと嗤う彼はアヴィちゃんを指差すように刀を向ける。


「俺は恒星教団直属治安維持部隊所属、髪の毛座の剣川つるぎがわ朔月さくげつ。そこのツノ生えた青い髪の子……正直結構かわいいし、多分こないだの脱走者だから持って帰るね」

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