夜桜荘、世界を変える力

 目が覚める。

 最初に感じたのは、眠気。まだ、まぶたが重い。

 次に疲労感、空腹、ふかふかの布団の気持ち良さと続く……。


「ここどこだ!?」


 跳ね起きる。昨日と、多分それよりも前から私がいた場所とはまるで違う。

 なんていうか……ホテルとか旅館とか、そんな感じの雰囲気だ。


「あ、起きた」


 急に聞こえた他人の声に驚きつつ、振り向いて声の主を確かめる。

 開いていた部屋のドアから謎の緑髪が覗いていた。


「サクラさーん、あの子が目を覚ましましたー」


 じゃあ一緒にこっち来てー。

 謎の人物その1の報告に謎の人物その2が答える。

 状況を全く整理出来ていない私にその1が話しかけてくる。


「あ、あの……お腹、大丈夫?痛かったりしない?」

「お腹……お腹減った」


 感じていたことがそのまま出力された。何かを食べた、という記憶が私にはない。少なくとも半日は食事を摂ってないし、の様子だとそれ以前もまともな食生活をしてはいないだろう。

 私のありのままの気持ちを聞いて、謎の人物その1はきょとんという表情を浮かべた後、安心したように微笑んだ。


「良かった……。僕はサマザー、よろしくね」

「あ、うん、よろしく……?」


 じゃあ、僕に着いてきて。

 そう言われた私は、謎の人物その1改めサマザーに連れられて階下に降りていった。


 降りた先はこれまた綺麗で広い、リビングルームだった。

 謎の人物その2、サクラは白い椅子に座り、白いテーブルに頬杖をついてこっちを見ていた。


「おはよう2人とも、疲れてるでしょう?そっちのソファに座ってちょうだい?」


 サクラが指さす先には白いソファ……ここ、白くて高そうなものばっかりだな。


「し、失礼します」


 サマザーが丁寧に座った場所のすぐ左に私は無言で座る。こいつらの名前は分かったけど、依然として謎の人物に変わりはない。

 ……それに、私は私が誰か知らない。謎の人物その0だ。


「ふふ、そんなに緊張しないで……おやつでも食べながらお話しましょう」


 いつの間にか席を立っていたサクラが何かを持ってきた。

 おやつ?壁の時計を見ると14時47分。確かに丁度いい時間帯かもしれない。

 となると、私は何時間寝てたんだろう?ていうか、私は昨日いつ寝たんだっけ?


 ――目の前に置かれたミルクティーとドーナツ(白くて高そう)の甘い香りに、考え事が打ち切られる。おいしそうだ。うん、本当においしそう……。


「……い、いただきます」


 空腹に耐えきれずにドーナツを一口齧る……おいしい。もう一口、もう一口と口に運んでいるうちに、輪っかはすぐになくなった。


「ふふ、お腹減ってたわよね」

「あ、あんまり急いで食べると喉に詰まっちゃうよ」


 周りの2人の反応で、本能的な食欲から解放される。顔が熱くなっていく。下品にドーナツにがっついてた自分が恥ずかしい。


「あ、えっと……」

「気にしないで、いっぱい買ってきてもらったから。50個くらい」

「そんなにですか!?」


 誰がいくつ食べるか分からなくて……。箱から新たなドーナツを取り出しながらサクラが苦笑する。サマザーが呆れ顔で「ははは」と乾いた笑いを発する。私も、釣られてちょっとニヤリとしてしまう。


「まあ、ここにいる3人以外にも配るから……どう? ちょっとリラックスできた?」


 サクラが私に話しかける。私はちょっと照れくさくて、目を逸らしながらも頷いた。サクラはニコッと笑い、ドーナツを頬張った。それを飲み込んでから、大きく息を吐いてから喋り始めた。


「さて、じゃあここからは少しだけ真面目な話、するね」

「サクラさんドーナツ3個も食べてません……?」

「真面目な話をします」

「は、はい……」


 サクラは4個目のドーナツをぺろりと平らげると、私に視線を向ける。


「あなた、お名前は何かしら?」

「名前? あー……、実は私、なんていうか、記憶喪失?っぽくて……」


 昨日までの自分のことを全く覚えていない。そして昨日目を覚ましてからも、殆ど。


「昨日何かを見て、思い出した、ような気がしたんだけど……」


 私が飛び立つ直前に重要なものを見たのは覚えていた。でも、それを思い出そうとすると頭に靄がかかったようになる。

 私が唸っていると、サクラに「無理しないで大丈夫よ」と心配される。埒が明きそうもなかったので、お言葉に甘えて諦めた。


「じゃあ、まずは私の自己紹介からね。私はサクラ・レイノース。この区域の治安維持を恒星教団から一任されている者よ」

「コウセイ教団?」

「サマちゃん、説明出来る?」

「えっ? あ、はい」


 不意に話を振られたサマザーがやや驚くが、すらすらと概要を述べる。


「恒星教団……『恒に互いを想い合う星守りたちの家』教団の通称。かつては星素によってした暴徒を鎮圧し、現在はそういった星素の影響や被害を受けた人々が平穏に暮らせるように保護活動を行っている団体、ですよね?」

「そう。流石、サマちゃんは優秀ね。こっちの学校に転入してもらった甲斐があったわ」

「いえ、一般常識の範囲内ですよ。えへへ……」


 言ってることとは裏腹に露骨に嬉しそうなサマザー。

 その説明中に5個目のドーナツを完食したサクラが話し始める。


はそうなってるけど、教団の最終目的は星素の適合率が低い人類の絶滅なの」

 

 余りに突拍子もない発言に、私もサマザーも固まっていた。でも、目の前の優し気な女性には、嘘偽りない真実を告げているという、妙な迫力があった。

 サマザーは視線を下に向けたまま、震えた声でサクラに問う。


「サクラさんも、それに、賛成してるんですか」

「大反対よ」


 やや怒気を孕んだ声色でサクラが答える。


「教団はその目的のために無茶苦茶な人体実験や治安維持を名目とした拉致監禁を繰り返している……この子が記憶を失って暴れていたのも、彼らの実験の結果でしょうね」


 サクラはウェットティッシュで手を拭いてからノートパソコンを取り出して、画面をこちらに向ける。そこには、恒星教団の施設で爆発事故があったというニュースが映し出されていた。多分、私がいた場所だろう。


「そんなの、絶対に許されない。だから私は、それを内側から壊すために仲間を集めてるのよ」


 少し考え込むように目を閉じてから、サマザーは言う。


「僕も、それで星空区に呼ばれたんですか?」

「……サマちゃんは星素適合率が高いって血液検査で判明したから、教団に拉致される前に私が引き抜いたの」


 サクラは説明の途中で唇を強く嚙み締めた。後悔と血の色が、はっきりと見えた。


「本当は、本当は戦わせるつもりはなかったのだけれど、あの状況であなたとこの子を助ける方法がこれしかなかった……だから、本当にごめんなさい」

「謝らないでください!」


 サマザーが大声を出して立ち上がる。私はびっくりしてテーブルにミルクティーを半分くらいぶちまけた。


「僕、昔からヒーローに憧れてて……あんな風に目の前の誰かを助けることが出来たらなってずっと思ってたんです。だから、ありがとうございます。それにサクラさんも……きっと、正しいことをしてると思います。だから僕は、サクラさんと一緒に戦いたいです」


 サマザーの突然の言葉にサクラも少々面食らっていたようだったが、やがて悲し気に微笑んで「ありがとう、ごめんね」と呟いた。


「……星素は人類にとって毒にも薬にもなる。簡単に人を握り潰すことも出来るし、私の星座、『白鳥座』の能力ちからなら瀕死に陥った肉体を回復させることも出来る」


 昨日は感じていた体調の不良があまりないことに納得した。そのとやらで治してくれたみたいだ。お礼を言いたいから、確認しよう。


「じゃあ、昨日はサクラが私を助けてくれたってことか?」

「最後だけちょっとね、殆どサマちゃんのおかげ」


 じゃあ2人にお礼を言おうとサマザーの方を向くと、先程とは打って変わってこちらを見ながら表情を曇らせている彼女の姿があった。


「サクラ、サマザー……その、助けてくれてありがとう」

「あ、うん、どういたしまして!」


 隣の顔は作り笑い。無理に明るく振る舞おうとしているような、そんな様子。

 昨日、私の記憶がない時間帯に、何かあったのか?昨日、何か――。


『簡単に人を握り潰すことも出来るし』

「あ……」


 その時。

 ふとした瞬間に忘れ物を思い出すように。

 些細なきっかけで疑問が解消されるように。

 私は、昨日を取り戻した。


 心臓がバクバクと脈動し、身体全体を揺らす。暖かい部屋に居るのに、寒気がする。

 異形を形成していた右手が、今も自分のものじゃないみたいに震える。

 間違いない。私はこの手で、人を。


「はあっ、はあ……」

「ねえ、君! ねぇッ! 大丈夫!?」


 酸欠でくらくらする頭の中に、サマザーの必死の呼びかけが反響する。

 ……ああ、そうか。多分、コイツは優しいからな。気にしてるんだ。

 いつの間にか支えてもらっていたサマザーの腕から離れて、深呼吸する。


「あんな奴、死んで当然だ」

「……え?」

「お前、襲われそうになってただろ。私が屑を1人殺したくらいで気に病むなよ」


 アイツが悪い。仕方がない。正当防衛。因果応報。記憶喪失。

 私が人を殺してもいい理屈を組み立てる。

 一通り完成すると、不思議なくらいに不安も罪悪感もなかった。


「えっ、いやでも……というか、君、記憶……」

「そう、あれは教団の治安維持活動範囲内。問題ないから気にしないで。ところであなた、自分の星座は覚えてる?」


 サマザーの問いかけの途中で、サクラが割り込む。

 サマザーは何か言いたげだったが、俯いて喋らなくなった。

 私は、昨日の記憶を辿って、答える。


「……分からないけど、Aviorアヴィオールって部屋に書いてあった」


 サクラが口に手を当てて考え込む。サマザーも黙りこくったままだ。

 白くて広い部屋を、重い静寂が支配していた。

 暫くして、紅茶を啜ってから、サクラが私に話しかける。


「ありがとう、アヴィちゃん」

「……それ私の名前?」

「そうね。暫定的にだけど、アヴィちゃんって呼ばせてほしいな」

「まあ、いいけど……」


 重っ苦しい雰囲気から急に私の名前が決まった。もしかして、ずっと黙ってたのって名前を考えていたからか? やや拍子抜けしていた私だったが――。


「アヴィちゃん、あなたの星座はほぼ確実に『竜骨座』よ。本来は船の部品を象った星座だけど……アヴィちゃんは見た感じ、竜の機能追加による肉体強化メインかしらね」


『竜の機能追加による肉体強化』って聞くとカッコいいんだけど、ツノとか翼とか邪魔なんだよな……尻尾は、どういう原理か今は引っ込んでるみたいだ。

 それに加えて、時折感じる。脳の中がぞわぞわする気色の悪さ。この身体や実験と無関係じゃないだろう。

 もし、また自分が自分じゃなくなって、今度は罪のない人や、サマザーやサクラを傷付けたら――?


「私は恒星教団の人体実験で記憶喪失になって、こんな身体になったんだな」

「そうね、それは間違いないわ」

「……それで、また我を忘れて暴れたりしたら、その、迷惑をかけると思うんだけど」


 サクラが、私の両手を包み込むように握る。温かな体温が伝わってくる。


「大丈夫。アヴィちゃんが安心してここで暮らせるような環境も設備も、ここに用意できるわ。だから、大丈夫よ」

「………………」


 これから先も、私は過去の自分を何も知らないまま、ずっとツノがついたまま暮らすことになるのかもしれない。まあ最悪、別にそれはいい。

 でも、何も悪くない人に怪我させたり、もしかしたら命を奪ってしまったり……それは絶対に嫌だ。

 だから、どこのどいつがどうして私をこうしたのか、それが知りたい。勝手に私をめちゃくちゃにしたことに腹が立つ。

 これは誰のものでもない。私の、人としての怒りだ。


「じゃあ、私もサクラに協力する。それで……とりあえず私で遊んだ奴をぶん殴ってやる」


 ついでに一般人も救えるし。そう付け加えてサクラに笑いかける。あっちも私に微笑み返す。

 ……サマザーは元気を取り戻したのか「アヴィちゃんかっこいい!」とはしゃいでいた。


「2人とも、本当にありがとう。すごく心強いわ。これからよろしくね、竜骨座のアヴィちゃんに、蝿座のサマちゃん!」

「え、僕の星座って蝿なんですか!?」

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