星の降る街、星空区にて

「星空区」、恒星教団の本部が置かれている街。教団が東京都に蔓延はびこる暴徒を武力で鎮圧した数年後に、東京ひいては日本全国の治安維持を達成するための足掛かりとして誕生した。

 今日から、僕が住む街だ。


「わ~、綺麗だなあ……」


 家屋やビル群、道路までもがカラフルな灯りで彩られている。夜の暗闇の存在を許さないかのようなその光は、まるで夜空に輝く星のようで。

 いや、星素を利用して発光させているんだから「まるで」という表現は厳密には相応しくないのかな?でも、星素という粒子が発生させる現象と宇宙にある恒星が輝いている原理は同一じゃないしそもそもそれを詳しく学びたいから僕はここに引っ越してまで新しい高校に通う訳で――。

 とん、と肩に何かが当たる感触。慌てて顔を上げると、大柄な男の人が立っていた。

 しまった。考え事をしすぎちゃった……。僕の明確な欠点だ。


「わっ……ご、ごめんなさい!」

「おい赤メガネ小僧、どこに目ぇ付けて歩いてんだ? ん?」


 あ、これは、やばい。絶対に関わっちゃいけない人だ。最悪だ。

 恐怖で身体が震えて、足がすくむ。

 どんなに太陽が明るくても、閉じられた箱の中までは照らせない。


「本当にごめんなさい……! あ、あの、ぼ、私っ」

「とりあえず持ってるもん置いて全部脱げ」


 ブレザーの首根っこを掴まれて、無理矢理ビルの中に連れ込まれそうになる。


「ひっ……嫌! 離してください! 誰か……!」

「何だお前、声たけぇガキかと思ったら女か?」


 楽しみが一つ増えたなァ。

 邪悪に歪んだ笑みを浮かべる男の顔が、自然と溢れ出した涙で滲む。

 ……ああ、こんな時に、ヒーローが助けてくれればな。

 小さい頃にテレビの中に映っていた、正義の味方。僕の憧れ。


「誰か、助けて」


 無駄だと理解しつつぽつりと呟く。

 誰も来ないことで、自分のこれから始まる地獄を受け入れるために。


「ク、クククッ! 馬ァ~~~鹿! こんなトコ誰も」

「痛っ……!」


 男が急に手を離して僕を地面に落とす。身体を起こして男を見る、見ようとした。

 いない。周りにいない。逃げた……?でも、逃げる理由もない気がするけど。

 とにかく、助かった、のかな――。


「ひぃ、助けてくれェ! オイ! 頼む、誰かあ!」


 びくりと肩が跳ねる。あの男の声だ。けど、声が遠いような。

 顔を上げて声の方向を辿ると、男がいた。いた、けれども。


 自分の視覚を疑う。眼鏡を取って目を手で擦って眼鏡をかけて、もう一度。

 ……間違いない。でも、信じられない。


 あの大柄な男が、僕と同じかそれよりも小さな女の子の片手で頭を掴まれて、身動きが取れなくなっていた。

 しかも、その青い髪の女の子には、赤い角や大きな翼がついていて、男を掴む腕もまるで巨人の腕かのように大きく太くなっていて、よく見ると尻尾まで――。


「嫌だ! 誰か、助けてくださいぃ! だれか、たすけ」


 ぐしゃり。首から上がひしゃげた男が少女の手から落ちた。


 なんなんだ? 何が起こっているんだろう?

 いつもは考えすぎてしまう僕の脳は、今や機能を停止していた。


「サマザー・ホープライトちゃん?」


 背後から僕の名前を呼ばれる。振り向くと、女の人だ。

 ……もうそれ以上、頭が回らなくて、僕は呆けていた。


「緑色の髪、赤い瞳に赤い眼鏡。うん、間違いなさそうね」


 あなたは誰なんですか。何しに来たんですか。これは何が起こっているんですか。

 いくつも浮かんだ疑問は、1つも喉から出てこない。代わりに、その桃色の髪の女性がやや急いだ口調で、しかし落ち着いた声色で話し始めた。


「私はこの辺りを教団から任されているサクラという者よ。あなたを迎えに来たんだけど……今は、ちょっと予定を変更して」


 そう言いながらサクラさんは、着ている上着からカプセル錠剤を取り出した。


「これをサマちゃんに飲んでもらって、あの子を助けてほしいと思ってる」


 助ける……? 片手で人間を潰せる怪物を、何からどうやって助けるって言うんですか? むしろ逃げ出したいくらいです。

 これも、心の中だけで喋っている言葉。僕は、息をするので精いっぱいだ。

 サクラさんは、僕に構わずに言葉を続ける。


「あの子は今、無理矢理与えられた力に苦しんでるの。このまま暴れ続けたら、あの子の命はすぐに尽きる。でも、私じゃあの子を止められない」


 命が、尽きるって。


「死んじゃうってことですか」


 ドンと響き渡る音。青髪の少女が肥大化した右手で地を殴る音。道路には深いひび割れが刻まれ……それ以上に、彼女の右手が、砕けて、血や肉や骨が、飛び散る。

 深呼吸。恐怖心を落ち着かせて少女に向き直る。その子は道路に倒れ伏した。

 女の子は、泣いていた。涙や汗、唾液の混合物が地面に小さな水たまりを作る。

 そして、何度も大きく咳き込む。水たまりに、多くの赤が混ざる。


「だれか、たすけて」


 あの子が男を握り潰す直前に、僕の口から零れた願い。それと同じ言葉。

 その声が本当に聞こえたのか、僕の空想だったのかは分からない。

 それでも。


「じゃあ、いただきます」


 サクラさんの手からカプセルを奪うように掴み、体内に流し込む。


「……本当にありがとう。ごめんね、サマちゃん」


 サクラさんが僕の手を両手で包み込み、感謝と謝罪を口にする。


「あなたが飲んだカプセルの効果は、身体能力向上、特に速さスピード敏捷性アジリティ、そして高速飛行能力よ……あの子を気絶させれば、後は私が何とかするわ」

「はい」


 サクラさんから離れ、青髪の少女と向き合う。

 立ち上がるのも辛いだろうに、こちらを睨みながら向かってくる。


「……さっきは僕を助けてくれてありがとう」


 脚に、力を込める。


「今度は僕が、君を助ける!」


 地面を蹴る。地面と平行に跳躍する。

 自分が風を切り裂く音が聞こえる。

 目に映る風景が凄まじい勢いで変化する。


 ――その全てを、感覚的に捉えることが出来る。

 早送りとスローモーションの矛盾の中で、思考を巡らせる。

 この子を救うために気絶させる。それだけなら……。


 相手の急激な加速に虚を突かれた少女は、僕の突進に微動だに出来ない。

 無防備な彼女の腰を掴み、思い切り投げ飛ばす。瞬きの間に20m後ろの建物に激突して、少女の姿勢と建物の一部が崩れ落ちる。その近くに、ころころと転がっている、折れた赤い角があった。


「ふぅ、はぁ……」


 緊張で行っていなかった呼吸をする。大丈夫かな。やり過ぎたかな。

 そう思った矢先。


「ガアアアアッ!」


 今度は少女が僕に目掛けて飛翔してくる。

 刹那、動揺で身体が凍る。しかし、それに反比例するように頭の中は考える。


 よく見ると青髪の少女は右目が青で左目が赤の特徴的な瞳の色、角と翼が生えていて、鱗のような皮膚があって、やっぱり僕より少し幼い年頃みたいで、そんな子が苦しんでいて。


 僕と彼女の距離がみるみる縮まる。多分、避けられる。まだ考える。観察する。

 この状況を解決するために重要なことが、まだ残っている、気がする。


 彼女の、粉砕した右手は――治っている。傷一つない、普通の、人間の手。

 赤い角をもう一度見る――2本とも、折れていない。完全な状態だ。


 ……これだ。直感だけど確信。女の子は、

 生半可な攻撃じゃ、却って彼女を刺激して、暴走させて、やがて。


 思考を止め我に返る。眼前には異形と化した左手と鋭い爪。

 上体を逸らす。脚で踏ん張り転倒を防ぐ。爪が頭皮を切り裂いていく感覚。

 痛い。凄く痛い、けど、僕はこれからもっと痛いことを君にする。

 本当にごめん。絶対すぐに終わらせてみせる。


 右膝で少女のお腹を本気で蹴り上げる。青い髪が上空に打ちあがる。

 両脚で地面を全力で蹴って真上へ跳ぶ。今日何度目かの全力。

 一発、一回、一撃で決める!僕は加速し続ける。


 重力加速度に従って落ち始める少女。だが、瞳はこちらを見据えている。

 顔を苦痛に歪めながら両手を巨大化させようとしている。

 ……大丈夫、ありがとう、ごめんね。


 僕は、青髪の少女の腹部を、全身全霊で蹴り抜いた。


 ――それから何秒経っただろう。僕は落下していた。

 女の子を気絶させた後のこと、全然考えてなかったな……。

 このまま落ちたら死んじゃうよね……あの子も、助けなきゃ、なのに。

 でも、もう疲れて、眠くて。というか意識が、もう。


「ありがとう、サマちゃん。もう大丈夫よ」


 僕が失神する前に見たものは、青い髪の女の子を抱えたサクラさんだった。

 優しくて柔らかな表情と声色のサクラさんには、白くて大きな翼が生えていて、まるで天使みたいだな、と思った。

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